5.対公国戦 part3
バラメキア公国軍が帝国討伐の為に置いている前線司令部がある街〈トレトリース〉。森副蓮香はその街の高級ホテルに宿を取り、チョコレートをパクつきながらユキロとセナドを伴って部屋で雑談していた。
「で、新設された〈勇者軍〉の戦果は如何ほどで?」
笑顔で尋ねるユキロに蓮香は不機嫌そうな顔を向けた。
「奮闘した……と言いたい所だけど、あれは恐らく壊滅したって言うのが正しいですね」
それを聞いたセナドはフッと馬鹿にするように鼻で笑う。
「二百人いれば敵を粉砕出来るって言って出ていって、帰ってきたのは五十人……皆化物を見たって言ってます」
公国による帝国討伐の直前、連盟はとある軍事組織を発足した。その名は〈勇者軍〉。若き戦士たちの軍団という触れ込みで勇者に憧れる者たちを集め、勇者たちを指揮官とした部隊で編成されるエリート軍、とされているが、実際は血気にはやる若者と勇者を盲信する『信者』が集まった不安要素しかない組織である。当然勇者である蓮香も指揮官に任命され、下に何百人もの人間がついているが、まだ実戦に出た事は無い。というより蓮香は実戦に出たくなかった。
「で、部隊の指揮をしたのは誰なの?」
「太田。
帝国に侵攻した部隊を指揮していたのは、太田和義という勇者だった。回復系の魔法に優れた魔法使いで、勇者パーティーが分裂する前はヒーラー役を買って出ていた。特別正義感が強い訳ではなかったが、人間と亜人との飽くなき戦争には辟易していた為に連盟側に立ってクーデターを起こしたのだった。
「じゃあその和義くんはどうしてるの?」
「ショックを受けて部屋に引きこもってます。自分は行かなかったのに、無駄に死なせてしまったって泣いて……」
「ふーん、蓮香はどう思ってるの?」
「何をです?」
「この敗北だよ」
「良い薬になったかと。正直、勇者たちはクーデター以後調子に乗っていたので」
「自分も勇者だってこと忘れてない?蓮香ちゃん」
「だからです。──ほんっとにイライラする……。あ~、嫌だな~。次は私の部隊に出撃命令が出たら……」
「そんときゃ俺が助言してやるよ。俺はその役割を与えられてここに来たんだからな」
セナドはチョコレートをつまむ。セナドは勇者軍のアドバイザーとして連れてこられていた。ちなみにユキロはというと、帝国を倒した後の戦後処理を行う際のアドバイザーだが、ユキロ本人はいくら何でも気が早すぎると思い真面目に取り組むつもりはない。
ドアをノックする音がした後、藍色の軍服を着た軍人が入ってきた。
「蓮香様、翼様がお呼びです」
蓮香はスゥーっと息を吸い、うんざりしたようにため息をついた。
「じゃ、頑張って」
セナドもグッドサインで蓮香を激励する。蓮香は笑顔の二人に見送られて部屋を後にした。
「嫌だ嫌だ……戦場になんか行きたくない……」
******
「勇者軍……冗談じゃないよね?」
『黒い森』の入り口付近に設営された野営地で待機していた政臣たち『森の主』討伐部隊は、諜報員から送られてきたという情報に目を通していた。
「いえ、報告によると確かなようです。あの一個中隊はこの勇者軍のものとカウザー将軍は推測しています」
「みんなが、軍隊を……?」
「指揮って出来るんでござろうか?」
書類を持ってきた兵士の言葉に葉瑠と士門が疑問を口にする。
「じゃあ、公国軍は……」
「公国軍はワイバーンの到着を待っているようです。勇者軍はその間の時間稼ぎを行う腹積もりかもしれないとカウザー将軍が言っておりました」
「そう……。ありがとう」
「失礼いたします!」
兵士が出ていった後、政臣たちは早速会議を開いた。
「どうする?向こうにあいつらがいるってわかっちまったぞ」
口火を切ったのは暁斗である。
「向こうは私たちの存在を察知してるのかしら?」
「してなくとも推測はしてるはず……。多分」
利奈の質問に政臣が答えた。
「えーっと、指揮官は?森副蓮香、太田和義と……?」
報告書を読み始めた姫愛奈の顔が不愉快そうに歪んだのを見た政臣は、姫愛奈の右手を握ってあげながら尋ねた。
「どうしたの?」
「……翼が来てる」
「えっ?」
「あの勘違いクソ野郎よ!やっと仕留める機会がやって来たんだわ!もう待ちくたびれちゃった!」
突然大声を出した姫愛奈に驚いたのか、テントの前で守衛として立っている兵士二人が隙間から中を覗いてきた。
「姫愛奈さん!声が大きい!」
「あっ……ごめんなさい」
政臣にたしなめられた姫愛奈は恥ずかしそうにして座り直す。
「翼がいるのね。結構強かったわよね、あいつ」
葉瑠は隣にいる士門に言い、士門は首肯する。利奈が「うーん」と唸って腕を組む。
「向こうの勇者たちの最高戦力だわ。これは警戒が必要ね……」
「警戒なんて……皆で一斉に掛かって
「姫愛奈!?」
「あんなヤツさっさと殺して後顧の憂いを断たないと、私と政臣くんの生活にどんな悪影響が及ぶか分かったもんじゃないわ!」
「夫への愛が強い奥さんでござるなぁ」
「強いどころじゃないんじゃ……」
士門の呑気な言葉に傑が思わずツッコミを入れる。
「といっても、もう方針は変えられないしな~。森の主とかいうヤツをぶっ倒して森を一掃しないと、軍が進撃出来ない」
「つまり、向こうとの会敵は予想しておけ、ということでござるか?」
「まあね。っていうか絶対遭遇するだろ。兵士を鼓舞する為だけにわざわざ強力な戦力の勇者を連れてくるわけないしな。多分、向こうも同じ事を考えてるんだろ」
「同じ事?」
「攻め込むにはあの街道は狭すぎるって事をだ」
「……向こうも森の主をやろうっての?」
姫愛奈の言葉に政臣は頷く。ややあって別の兵士が伝令を持ってきた。曰く、進軍開始時刻を大幅に前倒しするとのことである。つまりは帝国軍司令部も政臣と同様の推測をしたのだ。対魔物特攻とも言える勇者たちをただ意味も無く連れてくる訳は無い。つまるところ、向こうも森の魔物たちを始末しようとしているのだ。そうすれば木々をなぎ倒して帝国側に入る事が出来る。
「……数だけで見ればこっちが上だな。けど、魔物にも対処しなきゃいけないとなると……」
傑が難しい顔をする。
「いや、難しく考える必要は無い。遭遇したら頃合いを見つつ戦えば良いのさ。まあ、正直言うと門倉には出会いたくないかな」
「ああ、白神どのを寝取ったからでござるね」
「違う!あいつのカルマの煌めきが俺と姫愛奈さんには毒だから近づきたくないって言ってんだ」
この世界において政臣と姫愛奈が最も恐れるもの。それはカルマが限りなく善に寄っている存在である。傑たちのカルマはもともと転移の影響で無理やり善に寄っていたというのもあってか、アマゼレブの影響を受けてからはほとんど気にならない程度のものになっていた。しかし二人の危険を察知する本能は、翼には近づいてはいけないと警告を発していた。
「でも、向こうは姫愛奈を見つけたら絶対に連れていこうとするわよ?あの再会の後、口を開けば姫愛奈姫愛奈ってうるさかったから」
「……守って、政臣くん」
利奈の呟きを聞いて姫愛奈は政臣の腕に抱きついた。
******
「は?森を通って侵攻する?」
翼に呼び出され、勇者軍司令部にやって来た蓮香は、到着早々に対面した翼の言葉に愕然とした。
「あそこは強力な魔物がいるのよ!私たちはともかく他の兵士たちはどうするの!?魔物にただの銃弾は効きにくいって事忘れたの!?」
「その為に俺たちが来たんだろ。まあ聞いてくれ。司令部で考えた作戦はこうだ……」
翼は得意げに司令部が考えたという作戦を蓮香に説明した。現状『黒い森』から帝国側に侵攻するには、唯一安全なルートである街道を通って行かなければならない。しかし肝心の街道は戦車が三台も並べばぎゅうぎゅう詰めになるほどに狭く、もっと広範囲に部隊を広げて侵攻したい。そこで、黒い森の魔物を凶暴化させている原因といわれる『森の主』を倒し、魔物を掃討した後軍を進撃させるというものだ。
(翼みたいな圧倒的火力を持つ勇者がいるからこその作戦……。机上では出来そうだけど……)
まさに完璧と言わんばかりの顔で感想を求めてきた翼に、蓮香は躊躇いがちに質問した。
「火力を出せる勇者が、現状ここにはあなたしかいないけど……」
「そんなことか。安心しろ、ちゃんと人手は確保してる」
そう言うと翼は司令部のテントを出た。蓮香も慌ててついていくと、そこには十代ほどの男女が二十人ほど整列していた。
(いつの間に!?っていうかこいつら、少年騎士団の……)
「勇者軍所属の精鋭魔導士だ!これだけいれば魔物たちなんかあっという間に蹴散らせる!」
「精鋭って……ちょっと前まで少年騎士団の騎士見習いだったわよね?本当に大丈夫なの?」
「当たり前だろ!若い力が集まれば、出来ない事は何も無い!そうだろみんな!」
『精鋭魔導士』たちは一斉に喚声を上げる。蓮香は頭がくらくらする感覚を覚えた。
「どうした?」
「何でもないわ」
(何でもないわけないでしょ!!)
蓮香は内心でそう叫んだ。いくら何でも無理では?と思ったのである。実戦経験が無いのにどうして危険地帯に突っ込もうという気になれるのか。攻撃に転用出来る能力を持っていない蓮香には、背後の黒い森がとてつもなく不気味に見えて仕方がない。
「でも、大丈夫なの?あの森ってかなり深くて、迷ったら二度と出られないって聞いたわよ?」
「そんなことを心配してるのか?大丈夫だって。ここに森の地図があるからな!」
翼はボロボロの紙切れを取り出して掲げた。
「オセアディアの大図書館から見つかった五十年前の概略図だ。これと魔法があれば迷う事は無い!」
自分が言っていることがおかしいとは思わないの?蓮香は口に出してそうツッコミたかった。五十年も経っていれば地形が変化するのは自明だろうに、どうしてそう考えないのか。入るなら地形把握の魔法を使って大まかでも森の今の地形を確認するべきである。しかし地形把握の魔法は技術的に高度な魔法であり、駆け出しの魔導士に使えるようなものではない。ならば他の勇者軍幹部たちは、と一瞬希望を見出だした蓮香だったが、勇者軍の幹部が勇者の『信者』で固められている事を思い出して顔を曇らせた。
(ヤバい。この状況を止められるのが私しかいない!公国軍は手出しするなって言われてるし……)
公国軍は連盟に帝国討伐を命じられてようやく重い腰を上げていたのだが、勇者軍に討伐作戦の指揮権を奪われて自由に動けない状態になっていた。当然ながら公国軍の上層部はこの状況に猛反発しているが、自信過剰な勇者軍の上層部は公国の真っ当な抗議をはねのけ、共同戦線を組めという連盟の指示を無視して単独で帝国に挑もうとしていた。これには翼の働きかけが大きいらしいと蓮香は聞いていた。どうやら翼は良い結果をもたらせば独断専行は許されると思っているようだった。蓮香にとってははた迷惑この上無い。
(どうしよう。このまま行ったらこいつら全員死ぬわ。いや、別にどうでも良いけど、責任を取れって言われた時に私の名前が上がったら……)
そこで蓮香はある事を閃いた。
(そうだわ!こっそり公国軍と連絡を取って無理やり戦線に参加するよう仕向ければ……。経験豊富な公国軍の方が絶対マトモに戦える!)
勇者軍はそのほとんどが勇者に憧れて志願した若者たちで構成されている。みな血気盛んで勇気があるが、悪く言うと思慮が浅く『正義』や『大義』という免罪符を片手に個人プレーを連発するような者たちが集まっており、大規模演習での突っ走りぶりを見た蓮香は頭を抱えた。まるで全員が英雄症候群に罹っているかのような状態に、蓮香は異常さを感じていたものの、自分にはどうする事も出来ないと諦めていた。
(公国軍に頼んでこのバカ共の援護をさせる。そうすれば犠牲は減って私が責任を追及される事も無い……。こんなに早く拠り所は失いたく無いもの。ヒーローになりたいなら勝手にやってれば良いわ。私は私が幸せになれるように立ち回ってやる!)
何としてでも破滅を避けたい蓮香に恥や外聞は二の次である。「勇気軍の名誉ガー」と文句を言われそうな可能性を頭の中に入れつつ、蓮香は何やら円陣を組んで雄叫びをあげている翼と新米魔導士たちを横目に司令部のテントに入る。テーブルの上に置いてあった電話機を手に取った。
「本当にバカなやつら……死んでも知らないから」
受話口を耳に当て、向こうに繋がるのを待ちながら蓮香は毒づいた。
「はい。こちら討伐部隊司令部です。ご用件は何でしょうか?」
「勇者の一人、森副蓮香よ。帝国討伐部隊の司令官に取り次いでくれないかしら。援軍が欲しいの」
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