3.対公国戦
神聖バラメキア帝国帝都エル・ビ・カタリアの郊外にある森には、帝国魔法技術研究省の庁舎である城が建っている。蔓に包まれたその様相はさながら古城だが、それは外側だけであり、内部は政府機関と研究施設を兼ね備えた設備でいっぱいになっており、職員や白衣を着た研究員がせわしなく行き交っていた。
城の地下は巨大な実験施設となっており、研究省長官のヨーゼフ・ヘンゲは普段ここで様々な実験を行っていた。
ヨーゼフと数人の研究員の前には、円柱形のガラスケースがあり、その中には黄緑色の液体と共に手足を拘束されたゴブリンがいた。ゴブリンはあらかじめ睡眠薬を投与され、目を閉じてぐっすりと眠っている。
「……第六十七次『人為的変異実験』、準備完了です」
研究員の言葉にヨーゼフは笑顔を崩さず頷く。研究員の一人がガラスケースの近くにあるコンソールの赤いボタンを押すと、黄緑色の液体がみるみるうちに赤くなり、異変に気づいたか別の要因かゴブリンが目を開け騒ぎ始めた。
「ギギャッ!?」
「……いっつもこのタイミングで起きるな。理論上は起きないハズなのに……」
ヨーゼフの笑顔に若干の陰りが差す。しかしすぐに元に戻り、経過を観察する顔になる。
ゴブリンの体に変化が生じ始めた。細い腕と脚に比して異様に太った腹が
「ギギギ……」
腕と脚が丸太のように太くなり、拘束具がはち切れる。ゴブリンは数分前の姿からは想像出来ないほどの怪物に変貌していた。液体の色が再び黄緑色に変わる頃には、外に出ようと必死にガラスケースを叩いていた。
「今までの実験体に比べて身体が崩れていません」
「『液』にエルフの血を混ぜたのは正解か。シモン博士の論文はオカルトじゃあなかったんだね。でもエルフ限定で血を集めるのはコストの面であんまり現実的じゃないな~。
研究員の一人がクリップボードに走り書きする。
「でもまあ、これだけ上手くいった実験体を処分するのは勿体ないね。よし、コイツも対公国戦の『兵器』として納入しよう!」
「了解しました」
「博士!」
また別の研究員がやって来た。
「どうしたの~?そんな慌てて~」
「へ、陛下が、こ、こちらに……!」
「ん~?」
ヨーゼフが入り口の方を見ると、ヴィオレッタと武装した親衛隊員を率いたシャルロットがやって来た。
「あっ、陛下~。こんにちは~」
「こんにちは。相変わらず呑気ね」
「グギャァァァァッ!」
ガラスケースの中に入っているゴブリンがシャルロットを見てますます暴れだす。親衛隊員たちが一斉に小銃を構えるのをヨーゼフは止める。
「待って待って~。陛下の大量の魔力に反応してるだけだから~」
「それは問題でしょう!ガラスケースが割れでもしたらどうするんです!?」
「魔導士を重視する公国軍に合わせて摂食対象を調整したからこうなってるだけですよ~。それにこのガラスは防御魔法の衝撃吸収術式とほぼ同じ効果を発揮する素材を使っているから、たとえ重迫撃砲の直撃を食らっても割れませんよ~」
ヴィオレッタの指摘を何とも思っていないかのようにヨーゼフは饒舌に喋る。
「まあ、戦場では多くの魔導士を動員してくるだろうから、それに対応するようにしろって命令したのは私だし、それに私にかかればこんな奴どうってことないわ」
「陛下!博士を甘やかさないで下さい!」
(甘やかす……?)
(甘やかしてる……?)
研究員と親衛隊員たちはヴィオレッタの言葉に若干の疑問を感じたが、口には出さない。
「まあまあギスラムくん。陛下もこう言ってるし、ボクだって安全策はしっかりと取っているのだよ」
「それでもあなたは何をしでかすか分かりません!全く、
「まーたそんな事言って~。人の文句しか言わない女の人は婚期を逃すんだぞ~」
「なっ、バッ、テメエェェェェェ!!」
「長官!」
「長官落ち着いて!あなただとは言ってません!」
「このマッドサイエンティスト、私がお見合い上手く行ってない事知ってやがんだ気に入らねぇぇぇぇ!!」
突然地雷を踏まれ瞬間沸騰したヴィオレッタはヨーゼフに飛び掛かろうとし、それを親衛隊員たちが必死に抑える。ヴィオレッタは泣く子も黙る秘密警察を擁する武装組織〈保安親衛隊〉の長ではあったが、結婚願望が無いわけではなかった。男性社会であるこの世界において、気が強く猛々しくなければ女性は上流階級で生き残れないという母の教えに従い、女であることを馬鹿にする男たちを叩き潰しながら人生を歩んで十数年、二十代後半に差し掛かったヴィオレッタは確かに母の言う『強い女性』にはなったが、その影響でお見合い相手の男が見つからないという事態が発生していた。
「うわあああん!!誰も私に振り向いてくれないんだぁぁ」
「それで、今日はどうしてこちらに?」
ヴィオレッタを完全に無視してヨーゼフはシャルロットに尋ねる。
「そうそう。──公国の進攻が早まったわ。何故かは分からないけど、首都を進発した部隊が境界線に向かってる。大部隊だから時間は掛かるけど、早くて明後日には……」
「わあい!遂に実戦運用の機会がやって来た!」
「喜んでないで早く準備して。ヘルムートはもう準備万端よ」
「はーい!」
******
「大臣、ヘンゲ長官からの書類です」
エル・ビ・カタリアの官庁街の一角にある帝国軍備生産省の本部にある大臣室。そこではピシュカと秘書のエメリネ・リマンスカヤと共に書類の決裁に勤しんでいた。エメリネは政臣と姫愛奈が初めてピシュカに会った時も秘書を務めていた女性である。連盟によるクーデター勃発の際、ピシュカとヴィオレッタは部下たちに散り散りになって逃げるように命令した。エメリネもそれに従い逃げたが、途中で賊に捕まってしまった。『商品』としての価値を見出だされたエメリネは、無法地帯と化したイリオス地方に連れていかれ、エル・レ・バラメキアの拷問室で長い間監禁されていたのだった。
そして帝国によって解放され、ピシュカとの再会を果たした彼女は家族との連絡が取れない事を口実に帝国に留まり、秘書として改めて働きたいと申し出た。ピシュカは彼女の為を思い、家族と連絡を取ろうとしたが、本人の要望を聞き入れて秘書として働かせている。
「博士の?……ああ、ゴブリンのやつか」
ピシュカは確認済みの判子を押し書類を横にどけた。
「全く、こんな化物を戦場に投入しようとは。これでは帝国が大陸中から恐れられてしまうではないか」
書類に付載されている写真を見てピシュカは顔をしかめる。
「ですが、陛下のご意向ですし……」
「ま、今回は向こう側からやって来てくれるらしいし、混乱の最中に重砲を撃ち込むという手はあながち間違いではないのか……」
「徹底した情報封鎖で、こちらの軍事力はひた隠しにされているのでしょう?」
「まあね。威力偵察の為に一個中隊程度の部隊がやって来るらしいが、多分全滅するだろうなぁ……」
******
「──この一個中隊は、目下威力偵察の目的で派遣されるものと推測されます」
エル・レ・バラメキアの一室、〈白薔薇の間〉。部屋の中心に白薔薇がタイルであしらわれている円形の会議室で、帝国軍の諸将が集まり軍議を開いていた。
「公国軍通常兵装の歩兵中隊と、戦車小隊が合わさった部隊です。部隊は既に、境界線近くの町に駐屯し、軍司令部からの命令を待っている状態です」
アストラインが書類の文字を目で追いつつ説明する。
「歩兵部隊が?」
「小隊規模ですが、戦車も」
「あの道は存外に狭い。まさか、森を切り開いて来るつもりか?」
「この十年間、『森の主』の活動報告は無いからな……。連中もちょっと強気になってるんだろう」
イリオス地方は、魔物が多数出現するといわれる『黒い森』と称される鬱蒼とした森林によって他の地域と半ば隔絶された状態にある。『黒い森』が境界線のようになり、そのお陰でヘルムート率いる帝政貴族軍は他と比べるとかなり長くの間勢力を保つことが出来た。その要因に、黒い森に住むといわれる『森の主』の存在があった。目撃者が現れたのは半世紀ほど前、その頃の森は公国が擁する魔導士を育成する為の訓練場として使われていた。魔物がおり、薬効を持つ植物が多く自生するこの森は、実戦経験を積ませる場として最適だったのである。
最初に森の主を見たと報告したのは訓練の為森に入った見習い魔導士であった。記憶が混濁していたその魔導士は、森の主の姿を詳しく説明することは出来なかったが、彼と共に森へ入った魔導士たちは、その全員が激しく欠損した死体で発見された。
それを皮切りに、森に入った者たちのほぼ全員が殺され、すぐに森は封鎖された。唯一安全に通れる道は、帝国時代に整備された古い街道のみとなり、その他の細い道は時間をおかず森に飲み込まれていった。
「もう十年か。いなくなってしまったのか?」
「魔物にも寿命はある。死んだのかもな」
「それは困るな。何せ奴らが攻めこんできたときに迎撃してもらわねばならないからな」
低い笑い声が響く。アストラインは笑い声を無視して話を続ける。
「こちらは、敵部隊を殲滅後、一晩おいて公国側に攻めこみます」
「一晩?」
「なぜ一晩おく?すぐに攻めこめばよかろう」
「一晩おくのは森の主を排除する為です」
アストラインの言葉に諸将は片眉を上げた。
「何?」
「何だ、まだいたのか」
「見つけたのなら報告の一つでもすれば良いのものを」
ざわめく諸将を無視してアストラインはなお話し続ける。
「唯一のルートであるあの街道は部隊を通らせるには明らかに狭すぎます。なので、森を切り開いて一気に大部隊を進攻させるために、発見された件の『主』を倒します」
「で、主は森のどこにいるのかね?」
「はい。綿密な調査の結果、森の西側に位置する洞穴を住処にしている事が分かりました。そこに彼ら──勇者を投入します」
******
『まあ、綿密な調査というのは嘘だ。本当はこの私が見つけてやったのだよ』
あおくんの体内に浮かぶ木像からアマゼレブは得意げに言った。空中要塞フィロンの会議室には政臣と姫愛奈、そして傑たち勇者が集まり、黒い森での魔物掃討作戦について会議を開いていた。
『一個体として強い魔物は魔力を通して見るとよく目立つ。定命の者には出来ない芸当だが、魔物の持つ魔力を視覚化して探せばすぐに見つかるものだ』
「で、どんな魔物なの?」
『異常に成長した
アマゼレブの嫌みたっぷりな皮肉に政臣は眉をひそめる。
「性悪暇神が。あの時は分が悪かったんだ。今回はこんなに戦力があるんだから大丈夫だって」
「戦力って拙者たちのことでござるか~?」
「当たり前だろ。俺は不死身なだけで最強ではないからな」
「……自分一人で大丈夫って言わない所がね」
己の力量不足を堂々と言い放つ政臣を見て利奈は思わず隣に座っている傑に耳打ちする。傑は苦笑するような顔をして肩をすくめた。
『とにかく、私の暇潰しの為にお前たちには働いて貰うぞ。何の為に不老不死にしてやったと思ってる』
「いや望んでないし。まあ不老には若干の興味があったから良いけど、死んでも生き返るって割と辛いんだが?」
『はあ?お前がもっと慎重に戦えば良いのだ。姫愛奈は一度も死んでないぞ』
「んなっ!?」
「ハイハイそこまで!作戦会議なんだから作戦について話しましょ」
利奈が手を叩いて政臣とアマゼレブの口喧嘩をやめさせた。思わず立ち上がっていた政臣は大人しく座り直した。
「で、問題はその森の主だけど、貰った情報を見るとかなり巨大ね。全員でかからないと駄目かも」
「今の俺たちなら大丈夫だろ?」
「そうやって油断して死んでも、政臣くんみたいに生き返らないわよ」
余裕を見せる暁斗を利奈はジト目で見つめる。
「推定十メートル……巨体の上に、確かオーガは再生能力があるって言ってなかった?」
「その通りでござる。そのせいでかなりしぶとい相手になっているでござるよ」
政臣の問いに士門が答える。みな一様に不安な面持ちであった。件の森の主が純粋な脅威であるということもあるが、森にいる魔物はこのオーガだけではない。数十年に渡る調査で、森の魔物は森の主が現れてから明確に狂暴化し、手がつけられない状態だという。
「……これはあれだな。ニーラヘルも連れていくか」
政臣がポツリと呟いた。
「ニーラヘルって、あのゴーレム?」
「そう。傑たちにとってはトラウマだろうが」
「いや、まあ……かなり苦戦したけど」
「ニーラヘルで露払いをしつつ、俺たちはオーガに集中攻撃を仕掛けるという作戦でどうだ。どの道一晩しか時間は無いんだ。短期決戦で行こう。──というわけで、何体か借りるぞ」
『構わん』
政臣は森の概略図の上に無造作に置いてあった駒を一つつまみ、洞穴のマークの上に置く。
「アイツが──推定だが、住処にしている所がここ。森の中でも特に深い所だ。普通に入ったら迷って出られなくなる。そこで、ニーラヘルを投下して周囲を焼き払ってもらう。そこに俺たちが降下して一気に森の主を叩くという計画だ。移動にはあのVTOLもどきを使う。そして森を焼けば魔物が逃げ出してくるだろう。帝国側に魔物が飛び出してきた時に備え、それを迎撃する班も作る」
「公国側には?」
「あんたバカ?公国は敵でしょ、助ける義理は無いわよ」
抜けた質問をした暁斗を姫愛奈が睨み付ける。
「一晩のうちに魔物を片付ければ、後は元帥さんたち軍の仕事だ。前線司令部で見学しようかな」
政臣は余裕綽々といった表情で言った。他のクラスメイトたちも同様である。しかし、そんな表情が一気に崩れてしまうような想定外の事態が起きることを、政臣たちは知るよしもないのだった……。
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