2.華麗な暗殺者

 ホザターファは、オセアディア王国西部に位置する都市である。王国でも保守派が多く、対亜人戦争中は街中に反亜人プロパガンダのポスターが貼られていたとされているが、今では連盟のプロパガンダポスターがその代わりとなっている。蓮香は何のカモフラージュもせずに街を歩いていた。実際のところ、勇者として有名なのは傑や翼くらいで、蓮香が勇者だと気付く者は誰もいない。


 保守派の多かったホザターファは、今や亜人種も大手を振って道を歩けるような街になっていた。手を繋いで仲むつまじく歩いている獣人のカップルを横目に、蓮香は素早く裏路地に入った。


 大通りと比べて暗く、薄汚い裏路地を蓮香は堂々と歩いていく。人相の悪い若者の集団が蓮香をジロジロ眺めている。蓮香は全く気にしない。突き当たりを左に曲がり、更に右、そしてまた左に曲がってしばらく歩いた先にユキロが手配した情報屋がいるはずだった。


 目的地であろう場所に着くと、まばらに積まれた木箱の上でハトにパン屑を振りまいている老人がいた。汚れて擦りきれたコートを着込み、鹿撃ち帽を深く被っている。路面にはハトの糞が撒き散らされていて、絶えず不快な臭いを発していた。


 蓮香は胸ポケットから金貨を一枚取り出し、老人に向かって放り投げた。老人は下を向いてハトを観察しているように見えたが、顔も上げずに金貨をキャッチし、代わりに円筒状の小さな金属製ケースを投げ返す。蓮香はそれをキャッチし、中身を取り出す。


 中身は紙片が入っており、大陸共通語とエルフ語を織り混ぜた文章で「明日深夜一時、アルセインホテル最上階スイート」と書かれていた。蓮香たち勇者が翻訳スキルによってこの世界の言語のほぼ全てを理解出来る事を利用した情報漏れ対策である。エルフ語は難解といわれ、人間種で話せる者と言えば、勇者を除いて言語学者くらいである。


 蓮香はケースをスカートのポケットに入れ、来た道を戻る。振り返ると、そこに老人はもういなかった。


 しばらく歩き、表通りの光が見える道に差し掛かった時、先ほど蓮香を見ていた若者たちが立ち塞がった。


 「よお、姉ちゃん。こんなとこで何してたんだぁ?」


 蓮香は一瞬顔を歪めそうになるが、我慢して足を踏み出す。一番背の高い男がそうはさせないと言わんばかりに蓮香の前に立った。


 「あの変なオッサンと何やってたんだよ?あれ金貨だろ?ひょっとしてヤクか?カワイイのに悪いコだね~」


 取り巻きのせせら笑いに蓮香は無表情のまま鼻で息を吸う。


 「……臭い」

 「なあなあ、俺らにも分けてくんない?そしたらさ~、俺んちで良いことしな──」


 蓮香は回し蹴りを男の顔に食らわせた。骨が折れる音と共に歯と血が飛び出す。


 「はあっ!?」

 「汚い……本当に汚い……男共はこんなのばっか」


 蹴られた男は白目を向いて痙攣している。


 「クソォッ!」


 一人が折り畳みナイフを取り出した。蓮香に向かって思い切り突き出すが、蓮香は腕を掴んで力いっぱいに捻って骨折させる。


 「ギャアアァーー!」

 「次は?」


 若者たちは怖じ気づき、痙攣している仲間を引きずりながら逃げていった。


 「……何やってんだろ」


 我に返った蓮香は、ため息をついて服のシワを伸ばす。


 「こんなことしても平気でいるから、人殺しなんて出来るんだ……」



******



 アルセインホテルはサボターファで最も格式高く、最も部屋の価格が高いホテルで、連盟のクーデター前には政治家や富豪が多く宿泊していた。


 連盟のクーデター後、コーディは資産の八割を没収されたが、それでもアルセインホテルのスイートルームを取れるだけの資金はあった。ホテルの最上階近くはコーディの雇った傭兵によって厳重に警備され、短機関銃を携えスーツの下に引き締まった筋肉を隠した男たちが廊下を巡回していた。


 蓮香はホテルの一番安い――そこらのホテルと比べればかなり高い――部屋を取り、決行の時間まで待機していた。シャワーを浴び、今一度身だしなみを整え、拳銃の機能チェックを行う。マガジンの数を数え、サイレンサーを銃口に取り付け、深呼吸をする。何度もこなした仕事だが、緊張感は拭えない。


 「大丈夫、やればできる子。しっかりしなさい」


 自分にそう言い聞かせると、拳銃を服の下に隠し、部屋を出てエレベーターに向かった。


 エレベーターに乗り、最上階へのボタンを押す。エレベーターが上へ上へと行く間、蓮香は事前に渡された情報を思い出していた。警備の数は十人。全員が対亜人戦争において軍役に就いた経験があるが、その際捕虜となった亜人を処刑するなどの問題行動を起こしたり、亜人に対して差別的な思想を持っているとして連盟のクーデター後軍を追われた者たちである。わざわざそんな経歴を持つ人物をボディーガードに指定する点からもコーディの思想が垣間見えるというものである。


 蓮香は亜人に差別的な思想を持っていなかったが、連盟を支持しているわけではなかった。ただ、連盟側についた方が勝機があると踏んだために参加しただけである。上層部や亜人の被害者はともかく、一般の人々の対亜人戦争に対する印象はすこぶる悪く、実際クーデター部隊を目にした人々の中には彼らに協力して政府機関を襲撃した者がそれなりにいた。街中から火とそれに伴う煙が見えたあの時の光景は蓮香にとって忘れられないものである。しかし、いざクーデターが終わってみると、各所で粗が出て対応に追われるのを見ているうちに蓮香は連盟に対して不信感のようなものを感じるようになった。自分の立場が危うくなる――そんな不安が心の内に湧いて来たのである。蓮香は逃げ出してしまおうかと考えてさえいた。幸い暗殺業での報酬でしばらく最低限人間的な生活は出来る。あとは、自分を売りつける場所を探すのみである……。


 最上階につくと、エレベーターの出入り口に警備の一人が椅子に座って見張っていた。蓮香が出てきたことに気づき声をかける。


 「ん?おい、お嬢ちゃん。最上階の部屋は貸切られてるんだ。迷子か?」


 普通に考えて、こんな少女が暗殺者だとは思わないだろう。そう考えて当然である。だから額にサイレンサー付きの拳銃を突き付けられるまで相手が敵だとは気づかなかった。


 「――!?」

  

 蓮香はためらいなく引き金を引く。男が倒れ、血が廊下に敷かれた絨毯に染み込んでいく。蓮香は足音を消す魔法を自分にかけ、生命探知の魔法を発動する。世界が一瞬にしてモノクロになり、生物であることを示す赤く細長いもやのようなものが唯一の色味である。この場所での生物というのは当然ターゲットとそれ以外の人間たちである。


 蓮香は足早に行動を開始する。会合が始まるのは三十分後、それまでにコーディを殺害し、ついでに会合の参加者を葬る。ユキロは放置していても良いと言っていたが、余裕があるため蓮香は全員殺すつもりである。


 足音を消しているおかげで蓮香は誰にも気づかれることなくターゲットのいる部屋に着いた。部屋の前には警備が一人ついており、周囲を目だけ動かして警戒していた。


 物陰に隠れ、誰も来ないことを確認した蓮香は、一気に男に近づく。腹に一発、首に一発。音を立てて倒れないように蓮香は事切れた男を支え、ゆっくりと廊下に倒れさせる。


 蓮香は残弾を確認した後、ドアをノックする。なるべく自然を装って蓮香は言った。

 

 「ルームサービスです」

 「ルームサービス?」

 「あっ、私白ワインが欲しいわ」


 コーディとおぼしき男の声と、女の声が聞こえた。一人殺す人物が増えたが、蓮香は気にせず待ち構える。


 ドアを開けたのはコーディだった。よく考えればこんな若い声音のルームサービスなどいないということはすぐに分かるが、その警戒心の無さが仇となり、コーディは胸に銃弾を食らって倒れた。愛人だろうか、ランジェリー姿の女も状況を理解する前に頭を撃ち抜かれた。


 「う……」


 蓮香はコーディの背中に三発食らわせる。マガジンにはまだ二発ほど弾が入っていたが、新しいマガジンに換え、残りの参加者を探し始めた。


 部屋番号は頭に叩き込んでいた為、見つけるのは容易かった。警戒すべきは巡回しているボディーガードたちだったが、生命探知の魔法である程度把握出来るので対応は出来た。コーディ以外の参加者は全部で三人。全員クーデター前のオセアディア政府で高官の立場にあったが、公職追放で地位を追われた者たちだ。彼らの力がどの程度のものか蓮香には分からなかったが、自分の立場を少しでも安定させるには不安要素は消しておきたいと考えていた。


 蓮香のその考えはほとんど被害妄想か杞憂に近いものだったが、結局三人とも始末した。ボディーガードがいるおかげですっかり安心していたのか、それとも単に情報が漏れているとは思ってもいなかったのか、場数を踏んで洗練された蓮香も拍子抜けしてしまうくらいに簡単に終わってしまった。


 最後のターゲット、労働省港湾管理局の元局長の死体を見ながら、蓮香は安堵のため息をついた。


 (やっと終わった……)


 そう思い、踵を返そうとしたところで、突如丸太のように太く固い腕が自分の首に回り、絨毯が敷かれた床から足が浮くのを蓮香は感じた。


 「こんのガキが……!やりたい放題してくれたな!」

 「──!」


 ボディーガードの一人が蓮香を絞め殺そうと満身の力で首を掴んでいた。蓮香はなんとか意識を保ちながら、咄嗟にダガーを抜いてボディーガードの肩に突き刺した。


 「うぐぅ!?」


 筋骨隆々でも刃物を突き立てられれば激痛が走る。締め上げる力が緩んだ隙を逃さず、蓮香は拘束下から脱出し、取り落とした拳銃を拾って男めがけて連射した。


 男が部屋を揺らすくらいに音を立てて倒れた為、まだ残っていたボディーガードたちが騒ぎを聞きつけて走ってきていた。


 (ヤバい!)


 蓮香は部屋を飛び出し、非常階段に向かう。非常階段に追ってはまだおらず、蓮香は扉の鍵を破壊し静かに、だが素早く扉をわずかに開けて滑り込んだ。


 数段飛ばしで駆け下り、最上階から三階ほど下の階についた時点で蓮香はこっそりと扉を開け、廊下に出た。既に騒ぎが起こっていて、深夜だというのに宿泊客が何事かと各階に二つある内の一つのエレベーターに集まっていた。蓮香は反対方向に向かい、何事もなかったような顔をしてもう片方のエレベーターに乗った。


 「何の騒ぎ?」

 「さあ……?」


 同乗している二人の男女が話しているのを横目に、蓮香は一階に下りるまで辛抱強く待った。エレベーターの扉が開くと、落ち着いた素振りで降り、ホテルを出た。そのまま早足で離れ、路地に停まっている車に乗り込む。運転手は何も言わずにエンジンをつけ、住宅街に向かって走り出した。



******



 「お疲れ。これでしばらくは人間至上主義の連中も大人しくなる」


 二日後、首都に帰った蓮香はユキロと共に城の食堂で昼食を取っていた。


 「君が仕事に行っている間にこっちでも首都に潜んでいた人間至上主義者の地下組織を一斉摘発した。憲兵隊に少々血は流れたけどまあ許容範囲だろう」

 「そんなこと言っているのがバレたら、憲兵司令官に殺されますよ。確かあの人も『信者』だし」

 「なおのこと、君の近くにいれば安全さ。勇者の『信者』なら、君に近しい私に危害を加えようとは思わないだろう。あいつらは自分で考えるということを知らないからね」

 「酷評ですね」

 「当然。圧倒的な力を持つ勇者に付き従って、勇者の言う通りに動いて、勇者の為に死ぬ。私に言わせれば自分自身を蔑ろにしているよ」


 ユキロは臆することなく連盟への批判ともとれる事を話す。蓮香はユキロの過去を何も知らない。政治的信条も無く、高い俸給に惹かれて連盟に参加したという。身の上話をせがむと、決まって「田舎の村で妹と一緒に暮らしてた」と言い、それ以外の話は何もしてくれない。それに不満がある訳では無いが、常に微笑を絶やさず飄々ひょうひょうとしている態度には若干の不満を持っていた。一度でいいから驚いた顔を見てみたい。この「君の事はよく分かってるよ~ん」と言わんばかりのムカつく顔を崩してみたい。そんな事を考えつつフルーツポンチをつついていると、浅黒い肌の大男がユキロの背後に忍び寄っているのに気がついた。


 「おーい、ユキロー!まーた勇者様と仲良くお食事かー!?」


 朗らかな声でユキロの首を締め落とそうとするその男は、名をセナド・アモといった。ペトゥトピア地方(元の世界でいうところの中東あたり)からやって来た傭兵で、再編されたオセアディア王国軍の新兵たちの教官として〈外国人教導部隊〉に所属している。ユキロのようにはっきりとした政治的信条を持っておらず、またユキロのように高い俸給に惹かれて来たという。ユキロと波長が合うのは必然であり、ユキロもセナドの勢いに辟易する時がままあれど、『同志』の中では比較的良好な関係を築いていたのだった。


 「ぐるじい……セナド……参った……」

 「相変わらず簡単にへし折れそうな細い首だな!もっと食べろ!」

 「ゲホッゲホッ……私は少食なんだよ」


 ユキロの隣に座ったセナドは、その日行った訓練についての話をし始めた。志の大きさに反比例してすぐにへばる、とセナドは不平を漏らした。


 「どいつもこいつも途中で脱落しやがる。まだ半分にも到達してないっていうのに」

 「セナドの訓練が厳しいんじゃないの?」

 「レンガブロックを背負っての山間行軍はどこの国の軍でもやってる!ったく、昔教導してたアマチュアテロリストの方がまだ骨があったぜ」

 「そういうの口に出すと不味いんじゃ?」

 「外国人教導部隊うちの部隊の半分はそんなことやって食い扶持ぶちを稼いだんだぜ?それにこういう問題はいろいろと触れづらい部分が多いからな。連盟も下手に突っ込んでこねえんだ」


 セナドの話を聞きながら、蓮香は思いを巡らせる。考えてみると、こういう時間が一番落ち着いていられる時間かもしれない。殺伐としている世界で、こうやってゆっくり駄弁る事のなんと尊い事か。蓮香は平和の重要性というものを異世界に来てから実感したのであった。


 (このままこんな生活が続いたらな……)


 蓮香はそんな願望めいた事を心の中で呟くが、そんなことにはならないだろうとまた心のどこかでは感じ取っていたのであった。


 


 


 


 


 

 


 


 


 


 

 

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