1.連盟の勇者

 森副蓮香もりぞえれんかは目覚まし時計の音が聞こえないようにベッドの上で枕を被るようにしてうつ伏せになっていた。


 庶民の間にはめったに普及しない目覚まし時計を使うことが許されているのは、蓮香が勇者だからである。しかし自分は普通の女の子、と思い込んでいる蓮香は、転移前の暮らしのようにこそばゆい不愉快な音を耳に入れない努力をしていた。


 結局蓮香はその後一時間もベッドの中にいた。咎める者はいない。時計を見ると長針は七時を少し過ぎた辺りを指していた。蓮香は名残惜しそうにベッドから這い出て、着替えを始めた。


 髪留めを探していると、外からかけ声が聞こえてきた。窓の外からは広い中庭が見える。年齢は様々だが、おおよそ十歳から十代後半辺りの少年たちが若干のズレを生じつつも一定のリズムでかけ声をあげている。少年騎士団が朝の素振り稽古を行っていた。


 少年騎士団。魔法の素養を持つ男児を集め、国家直属の魔導士に育成するための機関とその構成員の総称である。彼らは十歳の時に親元から離れ、十八歳まで共同生活をしながら対魔物、魔法戦闘のイロハを叩き込まれる。基本的に志願制で、初実戦での死亡率を鑑みるとあまり積極的に入団を勧められないのだが、少年たちは大抵国の宣伝や就寝前に親が語ってくれる昔話の影響で魔導士に強い憧れを抱いているため、魔法の素養が認められたことを知る途端に入団を希望する。連盟がクーデターを成功させた後も存続を認められ、変わらず国家魔導士を育てている。


 違いがあるとすると──一生懸命に素振りをしている少年たちを見る教官たちの中に、一際目立っている人物がいることだろうか。正確に言うとその人物が心なしか。そして少年たちはその人物の注目を集めようと必死に木剣を振るっていた。


 その人物の名は門倉翼──傑に代わり勇者パーティーのリーダーになった男である。翼は少年たちを誇らしげに眺め、腕を組んでうんうんと頷いている。蓮香は顔をしかめ、化粧台に戻って髪を結い始める。


 艶やかな長い黒髪をサイドテールに留め、香水を軽く吹く。着ている服は一見白セーラー服のようで、半袖とスカートにフリルが付き、後ろ襟はマントのように広がって、金色で縁取られている。これが蓮香の勇者としての戦闘服であったが、そのファンタジックな意匠を気に入った蓮香は日常的に着用していた。


 着替えを完全に終えた蓮香は、テーブルの上に置いてあるケースに入っているダガーを取り出す。蓮香の能力は基本的に隠密行動や偵察活動に適性があり、魔物退治の際は標的の位置を誰よりも先に見つける斥候の役割を担っていた。そんなわけで蓮香はあまり近接での戦闘が得意でなく、不意討ちで決着出来るように訓練を受けた。しかし魔物の被害が少なくなった今は、全く別の仕事についている。ダガーをベルトに収めると、化粧台の引き出しの中に入っている拳銃を取り出す。最近の主武装はもっぱらこちらである。マガジンに弾を込め、拳銃に収める。安全装置を解除してチャンバーチェックをすると、太もものホルスターに拳銃を収納した。


 「さ、今日も長い一日が始まるわ」



******



 外に出ると、少年騎士団たちの朝稽古が終わっていた。朝食を取るためみな駆け足で食堂の方向に向かっている。


 「蓮香様、おはようございます!」

 「おはようございます!」

 「お、おはよう、ご、ございます!」


 少年たちはすれ違いざまに蓮香へ挨拶する。蓮香もそれに笑顔で応える。すると少年たちは色めき立ち、自分に挨拶を返してくれたとお互いに主張し始めるのだった。


 蓮香は──学校中で噂になっていた姫愛奈には及ばないが──自分の容姿に自信があった。プロポーションも悪くない。何より、今やっている仕事に大いに役立つのだ。


 「おはよう、翼」


 蓮香は自分から翼に声をかけた。


 「ああ、蓮香。おはよう」

 「朝稽古の監督?相変わらず熱心なのね」

 「大切な人を守りたい一心で入団した子たちだ。しっかりと指導してあげなきゃ」


 共感性羞恥とは言わないまでも、背中が一瞬震えるような事を翼は平気で口にする。蓮香は無償奉仕に殉ずる人や篤志家などを偽善者だと軽蔑する考えは持っていない。しかし、翼の場合はアニメやゲームに出てくる正義漢のような言動を躊躇わない。それが周囲の尊敬を勝ち得ている要因なのだが、分裂してしまう前のクラスを知っている蓮香は、時折その発言に苛立ちそうになってしまう事があった。


 「今日はこれからどうするの?」

 「騎士団が訓練場にしてる山に行く。野山に生えてる薬草を活用する講習があるんだ」

 「へえ……」

 「蓮香は?」

 「交流局の人と一緒に街を回るの」

 「そうか。──それじゃあ俺はこれから準備があるから!」


 翼はそう言って駆けていく。勇者の装備である鎧を身に付けているにも関わらず、軽快に走る姿を尻目に、蓮香は中庭を抜け建物の中に入っていった。


 連盟のクーデターが成功したのは、そもそも対亜人戦争がそれほど人々に支持されていなかったことが一つの原因として挙げられる。戦争は人間・亜人国家双方のナショナリズムの高まりと、潜在的な領土問題、宗教による共存観の違いなどがヒートアップし、半ば理性を失った状態で開戦された。しかし年月が進んで被害が増え続けると、人々は次第に冷静さを取り戻し、泥沼に陥った戦争に疲れている状態になった。対して国の上層部は一方への憎悪を変わらず剥き出しにし、戦争を継続した。言ってしまえば「ここまでやって痛み分けに出来るか」という単純なプライドの問題だったのだが、プライドも国単位になるとスケールが巨大であり、本来個々の国の発展に使われるべき資源と労働資本はそのほぼ全てが戦争で消費され、また一部の過激な種族至上主義者と報復を望む戦争被害者による残虐行為が更に憎悪を生む悪循環を作り出し、戦争が終わる気配は無かった。


 そしてそれを「上層部を丸ごとすげ替える」という荒業で戦争を終結させたのが連盟であった。蓮香にとっては信じられないほどに野蛮な方法に思えたが、住んでいる世界が違うと考え方も違うのか、戦争終結を全面的に打ち出す連盟を人々は歓迎した。人間国家と亜人国家の境界線は元の位置に戻り、以前のような文化交流が始まった。


 こうして見ると連盟は真っ当な組織だし、人々が支持するのも分かる。しかし蓮香には連盟が良い組織であるとは思っていない。少なくとも蓮香が連盟においてしている仕事は、とても正義の味方に憧れる子供たちには受け入れられないだろう。


 そんな蓮香の仕事というのは、端的に言えば暗殺者であった。表向きは連盟高官のボディーガードということになっているが、本職は連盟に不利益をもたらす者、連盟に批判的な者、そして連盟が「消すべき」と考えた者をターゲットにした暗殺活動であった。蓮香はこの一年で二十人ものターゲットを暗殺していた。蓮香は人の生き死にに関心が無いわけでは無かったが、この世界に来てから何故だかそういう事に無関心になれるようになっていた。要は心を殺すということだが、転移する前の世界であったならそんなことは出来なかった。この世界に来て、いろいろなものを見て、自分でも知らず知らずのうちに変わったか、それとも元々そんな素質があったのが、この世界に来て発現してしまったのか。最初は悩んで眠れない日があったが、今ではそんなことすら無い。悲しかったが、別の世界に転移するという異常事態に出くわしたら変わりもすると自分で納得した。


 蓮香の上司は〈交流局〉という組織にいる。名前の通り人間種と亜人種の相互理解と共存を促進する重要な組織で、職員は一際連盟に忠誠心が強い者が多い。みな『全種族共存』という共通の目標に向かって邁進しているのだ。


 そして上司とて例外ではない……というわけではなく、蓮香の上司は同僚と比べて仕事に対する熱心さが感じられないのだった。


 交流局本部は亜人国家と国境を接するオセアディア王国首都の官庁街にあるゴシック様式を思わせる四階建ての建物である。職員が忙しそうに廊下を行き交う中、蓮香は『交流二課』と書かれたネームプレートが掲げられている部屋の前に立つ。


 周囲を見回し、誰もいない事を確認してノックをする。返事も待たずにドアを開ける。机が壁際に置かれ、普段は使われていない部屋だと分かる。窓際に、長身痩躯の男が佇んでいた。


 「おはよう」

 「おはようございます」

 「ん?香水?しかもちょっとお高いやつだね」

 「……」


 どうしてコイツはすぐに分かるのだろう。蓮香は表情を動かさずに考える。黒い髪に黒い瞳。まるでアジア人のような彼は、大陸の東側に位置する島国に住む東捷とうしょう人のハレグチ・ユキロという。名前も日本人に似たユキロに、蓮香は最初こそ親しみを持って接したが、今ではどことなく漂う胡散臭さを警戒してある程度の距離を保っていた。


 「おや、遠回しに良い香りだと褒めてあげたんだけど」

 「──っ。気持ち悪いです」

 「そう言うと思った」


 そしてユキロの方も、蓮香が距離を取っている事に気付いているようで、このように蓮香の反応を誘うような事を言う。蓮香は若干の苛立ちを押し殺して仕事の話を切り出す。


 「で、今回は?」


 ユキロは笑顔で二枚の書類を蓮香に手渡す。


 「ターゲットはオセアディア王国旧体制下で亜人排斥を唱えていた政治団体〈清廉鉄血党〉のナンバー2、コーディ・チッティ。ここからおよそ首都から八十キロ南東の街ホザターファで要職を追われた旧体制下の役人たちと会合をする。コーディは同団体でもその思想は最右翼に位置してる。役人たちとの会合も、武装叛乱を企図したものだと思われる」

 「……会合の参加者もターゲットなんですか?」

 「他は小物だ。最悪逃げられても地元の警察に任せれば良い。コーディだけは確実に仕留めてくれ」

 「八十キロ……結構な距離ですね」

 「前は国境を越えて、しかも叛乱勢力の縄張りでの仕事だったろ?余裕でしょ?」

 「そういう問題じゃありません」

 「ふむ……ああ、女の子だからね。いろいろと身だしなみが気になる……ってちょちょちょ、そのダガー仕舞って」


 ユキロは両手を挙げて降参の意を示す。


 「顔は良いと思います。でも、そうやって気持ち悪い言動してるからモテないんだと思うんですけど」

 「別にモテようなんて思ってないさ」

 「……」

 「睨まないで~。私は君よりずっと弱いんだ。勇者の力は凄まじいんだからね?」

 「大丈夫です。しっかりとわきまえてますから。それではこれで」


 蓮香は踵を返して部屋を出る。そう、自分は己の力を制御出来ている。というより、隠密魔法など制御出来ない力などではない。事あるごとに正義だなんだと騒ぐ少年たちの憧れの的とは違う。



******



 帰りついでに日用品を買い、しばらく街を歩き回った後に王城に戻ると、中庭に人だかりが出来ていた。


 (あれは……)

 「うむ。何か面白そうな事が起きてるね」


 いつの間にかユキロが隣にいた。


 「ちょっと!?」

 「別に仕事以外で会いに来ても良いでしょ?……で、あれ何?」


 人だかりの中心には、一人の少女がいた。肩までかかる髪と瞳はオレンジかがった赤色で、一目で魔導士見習いだと分かる。


 「どこの誰?」

 「さあ……」


 少女は刃が琥珀色に輝くナイフを震える手で持ち、双眸そうぼうから涙を流していた。


 「あのナイフ……魔法の武器でしょ?」

 「多分……」

 「もうちょっと反応してくれないかな……」


 ユキロは反応の薄い蓮香を見て片眉を上げた。


 そこに翼がやって来た。泣いている少女を認め、すぐに駆け寄る。


 「アンリエット、どうした!?」

 「あの子、アンリエットって名前なんだ……」

 「君は他人に関心が無さすぎだよ」


 遠巻きに見ている蓮香とユキロをよそに、アンリエットは翼に持っていたナイフを見せる。


 「これ、お兄ちゃんが持ってた……」 

 「……!前に話していた家宝の魔法武器か!」

 「闇市の摘発で見つけて……」

 「そんなところに……」

 「お兄ちゃん……私を迎えに来るって言ってたのに……どうして……?」


 蓮香とユキロは顔を見合わせる。


 「君と違ってあの剣の勇者はずいぶんと社交的なようだ」

 「うるさいですね……。でも、あの武器が闇市にあったっていうのは、お兄ちゃんに見捨てられたってことでしょうか?」

 「うーん……どっちかと言うとお兄ちゃんが誰かに殺られて闇市に流れたと考える方が妥当じゃ……」


 二人が考察を巡らせる中、アンリエットは地面に座り込み、泣き止む様子を見せない。よほどショックだったようである。翼はそれを痛ましそうに見ていたが、ややあって何か決心したような表情になり、アンリエットの肩に手を置いた。アンリエットが気付き、翼を見上げる。


 「なら、お兄さんを探そう!お兄さんはアンリエットを大事に思ってたって言ってたじゃないか!ひょっとすると、この武器は奪われたか盗まれたかして闇市に流れたのかもしれない。お兄さんだって探しているよ!」

 「そう……なのかな……」

 「そうに決まってる!一緒に探そう。なあみんな!」


 翼の呼びかけに周囲の少年少女も沸き立つ。


 「探そう!」

 「俺たちは仲間だからな!」

 「大丈夫、きっと見つかるって!」

 「みんな……!」


 アンリエットは涙を拭いて笑顔を見せる。


 「カリスマだね。一言、二言で立ち直らせるんだから。……あれ、蓮香ちゃん?」

 「部屋に戻ります。明日早いので」


 蓮香は互いに励まし合う集団を一瞥するのみで、あとは振り返ることもなく歩いていく。


 「……巻き込まれないようにしないと」


 そうひとりごちて、蓮香は自分の部屋に戻っていった。


  

 


 

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