7.鳥籠の中

 シャルロット・カレナス・ペトレルナ・オセアディアは、カーテンの隙間から差し込む陽光で目を覚ました。時刻は七時。陽はすっかり昇り、外からは剣を振るう音が聞こえた。カーテンをほんの少しだけ開けると、銅色の剣を一心不乱に振るっている人物がいた。東捷とうしょう人のように黒い髪をしているそれは、自分の警護を命じられて全種族共存連盟から派遣されたという勇者だった。数年前から人間国家の領域内で発生していた魔物の大量発生に対応するためオセアディア王国が異世界から召喚した少年少女。オセアディア上層部がほぼ独断で喚び出したものだったが、魔力のこもった攻撃しかほとんど通用しない魔物に対し、常人を越えた魔法能力を持つ彼らは災害級の魔物をもことごとく打ち倒し、人間国家は彼らを英雄として崇めた。そして連盟が前代未聞のクーデターを起こして以来、勇者たちは連盟ヘの理解と協力を人々に求めるいわば広告塔としての役割を遂行していた。……一部の反対派を除いて。


 ドアの開く音が聞こえると、メイドがお辞儀をしていた。


 「おはようございます」

 「……」


 着替えを済ませ、食堂へ向かう。城の中ならばどこへ行っても良いが、常に人の目があった。唯一プライベートな空間と言える私室に居るときも、本当にそこに居ると分かるよう常に位置情報を発信するペンダントを付けることが義務づけられている。シャルロットの魔法の才能であればペンダントの魔法的構造を解析し、位置情報を改編したりペンダント自体を破壊するのは造作も無い事だったが、そうした所で自分は外の世界で上手くやっていけるのかと考えると絶対に無理なので、鳥籠の中での生活を大人しく享受しているのだった。


 朝食を食べ、身だしなみを整えると、専属の教師たちによる授業が始まる。一般的な社会知識や、テーブルマナーなどの作法全般、後は数学や外国語などの一般人が学校で習うような教科だったが、シャルロットにとっては退屈で仕方がなかった。自前の術式でこしらえた擬似記憶領域によって記憶力を底上げしているため、何もかも一、二回の反復で覚えてしまう。歴史の授業も受けたかったが、大人たちが許さなかった。出自に興味を持たないようにするためなのは明白だったが、城内の図書館には普通に歴史書が置いてあるのでシャルロットはこっそりと持ち出しては夜私室で読みふけっていた。


 午前中は授業に費やし、午後からは自由時間なのだが、図書館に置いてある本を片っ端から読むくらいしかやることがない。幸いにも本は大量にあるので、全て読みきるということは無いが、それでも全く娯楽の無い環境には苦痛を感じていた。前の城にいた頃は、定期的に呪体が送られてきたためにそれなりに遊ぶ余地があったのだが、今はそれが無いのでほとんどの時間をベッドの上で寝転んでいる。それでもいてもたってもいられない時は、化粧台の椅子に座って自分の姿を眺める。紫色の長い髪にライトイエローの瞳。魔法の素養がある者は、個人差があれど髪や瞳の色に特徴を持って生まれてくる。シャルロットも同様で、両親の金髪碧眼を全く受け継いでいない。両親。シャルロットはその言葉を頭に思い浮かべる度、どうして自分が産まれたのだろうと考えてしまう。両親は血の繋がった兄妹で、禁断の恋の末に自分を産んだ。濃い血統を残すという意味では王家にとって有益だったはずが、ペトレルナはシャルロットに流れるバラメキアの血を忌避していた。それなのにシャルロットの父の代で終わるはずだったバラメキアの血統が続いてしまったのである。どうしてペトレルナがそれほどまでにバラメキアを嫌う理由は分からないが、周囲はシャルロットに冷たかった。利発なシャルロットは物心がついた頃には自分の立場を理解し、軟禁状態にも目に見える抵抗を示さなかった。


 だが、決して恨み辛みといった感情が無かった訳では無い。妊娠が発覚した直後、父は謎の事故死を遂げ、母は出産に耐えきれず死亡し、生まれながらに敵しかいない環境に置かれたシャルロットは、小さい体の内にふつふつと暗い情念をたぎらせながら暮らしていた。魔法の才能を自覚してからは、野良の犬や猫を実験の材料にしたりして情念を発散させていた。才能はめきめきと伸びていき、十一歳の頃には鏡に外の世界を映して観察出来るようになっていた。そんな時に見つけたのがヴィオレッタである。男だらけの閣僚たちの中でも全く臆せず凛々しくいるヴィオレッタは、シャルロットには興味深く見えた。そこで直に顔を見てみたいと思い、いたずら紛いの方法で呼び出した。無視されるかと思ったが、なんとヴィオレッタはやって来た。魔法で自分の部屋に連れていき、『友達』になった。ヴィオレッタがどう思ってもシャルロットにとっては友達である。そうでなければ手紙のやり取りをしたり呪体を送って来てくれたりするはずがない。しかしそれも今となっては出来ない。連盟によるクーデターと、その後の混乱でヴィオレッタとは完全に連絡がつかなくなってしまった。かくいうシャルロットも、反対派からの避難を名目にオセアディアからすら追い出され、外に出ることすら許されない。シャルロットは半ば絶望に似た感情を感じていた。


 「私、このまま一人ぼっちなのかな……」



******



 そんな気持ちを抱えつつ、いつものようにベッドの中で歴史書を読んでいる夜、窓をコツコツと軽く叩くような音が聞こえた。見ると、白色の大ぶりな鳥が窓のレールに足を乗せてそのくちばしでガラスをつついていた。ヴィオレッタと手紙のやり取りをする為にシャルロットが作り出したメッセージバードだった。シャルロットは信じられないという思いと共に窓を開ける。鳥が部屋に入っていき、机の上に降り立つ。鳥の体にヒビが入り、パリパリという音を立てながら崩れていく。最後には、手紙の入った封筒だけが残った。封蝋ふうろうの印は、ヴィオレッタの家であるギスラム家のものだった。


シャルロット様へ

 のっぴきならない事情故、今の今まで連絡を取らずにいた無礼をお許しください。ようやく身の安全が確保されたので、こうして手紙を書いております。

 近日、私を保護してくれた方々と共にシャルロット様をお迎えに上がります。近辺が騒がしくなり、シャルロット様をまた何処かへと移送する動きがあるやもしれません。それを避ける為、今大急ぎで向かっておりますので、どうかもう少しお待ちを。


 間違いなくヴィオレッタからの手紙だった。筆跡も全く同じ。偽造でもない。シャルロットは飛び上がりそうになった。どうやら神はまだ自分を見放さなかったようだ。生まれてから味わい続けた艱難辛苦かんなんしんくの中で、野良の犬猫を生け贄にした魔法実験以外で唯一心踊ったのはヴィオレッタとの交流だけである。今まで我慢した甲斐があった。これからはきっと楽しい愉しい生活が待っているのだ。なぜかは分からないが、ヴィオレッタとその仲間たちが愉快な事を始めようとしている気がしてならなかった。


 それからシャルロットの周囲が慌ただしくなった。漏れ聞いた話を統合し推測すると、最近現れた『空中の城』なるものがこの地方に近づいているという。城には兵士たちがやって来て、対空砲を設置し始めていた。その様子を私室から見ながらシャルロットは笑顔を隠せずにいた。私には分かる。きっとヴィオレッタとその仲間たちが来ているんだわ!後ろでは、勇者がどうか不安にならないように、自分が守りますとかなんとやら言っているのがなんとなく聞こえていたが、シャルロットは全く関心が無かった。早く来ないのか。それだけが関心事だった。


 更に二日、連絡が自分をまた何処かへ移送しようとしている。という情報を兵士たちからこっそり聞いた日の昼食中、突然外が騒がしくなった。城内にいた警備の兵士たちが慌てて走り去っていくのを食堂から見たシャルロットは、制止を無視してそれについていった。


 バルコニーに出ると、不思議な雷雲が遠くからこちらに向かっていた。周囲が口々に動揺や疑問の言葉を漏らす中、雷雲の中にあるものをはっきりと見たシャルロットは、今まで誰にも見せた事の無い満面の笑みを浮かべた。


 「迎えに来てくれた」


 

               


 

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