8.動乱勃発

 「列車が来ない?」


 いつもより遅めに起きたピシュカは、秘書から列車にトラブルが発生したことを伝えられた。


 「深夜、脱線事故があったようで……その復旧に丸一日かかるとのことです」

 「ふーん」

 (ここら辺の鉄道って深夜に列車が走ってたか?)

 「つまり、もう一日はここにいるはめになるのかい?」

 「いえ、一番近くの街まで車を出してくれるとのことで」

 「なんだ。仕事をサボれると思ったのに」

 

 同じ頃、ヴィオレッタも同様の報告を部下から受けていた。


 「何をやってるのよ。で、車はいつ来るの?」

 「もうじき来るとのことです」

 「あっそ。全く、仕事じゃなかったらこんな場所には来たくないわね」


 そう言ってヴィオレッタは部屋を出た。タバコを吸うためである。喫煙室に入ると、太っちょの男が高級銘柄のタバコを吸いながらベンチにソファーに腰かけていた。


 「ダウム大臣」

 「おや、君も喫煙者かい?」


 ヴィオレッタはタバコを一息吸い、煙を吐き出した後、ピシュカに尋ねた。


 「前線はどうでした?」

 「兵士たちが飢えずに済んでいるのは良いことかな。後は物資も充実していることも。私が軍人をやっていた時とは違うな。前線だというのに余裕すら感じさせる」

 「大臣は軍人だったんでしたね。大臣の時はどんな様子だったので?」

 「食糧も銃弾もカツカツなんてことはよくあった。部隊の指揮官をしていた時は何よりも物資の配分に一番困ったね。潤沢な物といったら酒くらいしかなかったな」

 「お酒?」

 「正確には酒なんて言えない代物だがね。どっかの素人があり合わせの道具と不確かな知識で作った密造酒だよ。戦争によって材料は違ったけど、どれもこれも人間が飲む物じゃなかったね。いや、生き物が飲むような物ではないと言うのが正しいか」

 「なのに、飲んでたんですか?」

 「まあね。今にして思うと皆どうかしてた。でも、あれを飲むと世界が陽気に見えてくるんだ。銃声も爆発音も誰かの叫び声も気にならなくなる。何より軍用麻薬に比べて危険は無い。不幸な奴が肝臓に重篤な障害を負うくらいだしね」

 「……」

 「それに比べて今は良い。突然死ぬのは昔と変わらないけど、治療魔法の恩恵で生存率は上がってる。まあ、正直誤差でしかないけど」

 「……大臣は、今の戦争をどう思っているのですか?」

 「それは秘密警察の長としての質問かい?」


 ピシュカは何も知らない人が見たら、裕福で幸せな生活をしているどこかの金持ちに見えるだろう。重い腹を抱え、高級料理に舌鼓を打っている姿が目に浮かぶ。しかしヴィオレッタは、今のピシュカがそんな人物には見えなかった。何気ない口振りから発せられたその言葉は、端的に戦争の混沌カオスを表現していた。初めてあの会議で言葉を交わした時は、正直思考停止しているのではと思わなくもなかったが、テロリストに襲われ、『勇者』のクラスメイトを名乗る二人に出会っても平気でいるのは耄碌もうろくしていたからではない。戦争の狂気を身体中に浸らせてもなお自己を保てたその強靭な心を持っているからなのだとヴィオレッタは悟った。ヴィオレッタが戦争についての話題を振ったのも、表向き戦争指示の秘密警察のトップにこんな話題を振られた太っちょの大臣はどんな反応をするの見ものだと内心嗤わらっていたからだが、自分を見る横目には、確固たる自我と警戒心が込められていた。


 「あっ、えと……あくまで雑談としてです」

 「そうかい、雑談かい。……うーむ、正直この状態が長く続くと、本当に戦争終結の糸口が無くなるだろうね。二年前にやったあの戦闘でどっちも馬鹿にならない死傷者が出たせいで、このマゼノ線の両軍は大規模な攻勢をずっと渋ってる。まあこっちはその大規模攻勢を準備している素振りは見えるけど……」

 「大臣が視察した新式の戦車ですか?」

 「ああ、明らかに攻勢の時に使う戦車だろうね。ひょっとすると二年ぶりに大規模な戦闘が起こるかも──」

 「大臣!こちらに!」

 「長官!大変です!」


 ピシュカの秘書とヴィオレッタの部下たちが揃って喫煙室の中に入ってきた。みな息を切らせて緊迫した様子が伝わっている。


 「な、何だね?」

 「前線司令部として接収されていたこことは別のホテルで爆発が起こったそうです」

 「テロ?」

 「いえ、まだ判断しかねているようで……」

 「それで、我々を乗せる予定だった車が使えなくなってしまったと……」

 「なんですって!?」


 爆発は前線司令部の倉庫で起こった。武器弾薬を保管する作業の途中、作業を担当していた兵士たちが休憩に入ったタイミングで爆発が起こったという。火薬に引火した銃弾が周囲一帯に飛んだことで、近くにあった建物やピシュカとヴィオレッタがそれぞれ乗るはずだった乗用車までもが被害を食らったという。幸いにも死者は出なかったが、重傷者が複数人発生し現場は一時騒然とした。結局一名がそのおよそ一時間後に死亡し、すぐに現場の調査が始まったが、倉庫は完全に崩壊し、副次的な被害が甚だしい為に充分な調査は行えなかったのだった。


 「またここに足止めか。トラックの荷台でいいからら載せてくれればいいのに」

 「それは……」

 「分かっているよ。そんなこと出来ない立場だってのは」


 ピシュカは軽くため息をついてウィスキーを一口飲む。


 (列車事故に謎の爆発……。まるで私やギスラム君を帰したくないかのような……いや、被害妄想かこれは)


 一方のヴィオレッタも不穏な空気を感じとり、自衛の為の準備をしていた。普段は持ち歩かない拳銃のマガジンに弾を込めていた。マガジンを装填し、チャンバーチェックをした後、姿見に拳銃を向け、鏡の向こうにいる自分と相対する。


 「……って、何やってんだろ私。心配し過ぎでしょ」


 拳銃を机の上に置き、じっと見つめる。人を撃った経験があるので、いざというときは大丈夫だろう、と頭の中で考えている自分に気付き、苦笑してしまう。悪い事が重なっただけだ。まさかこの場所に集まっている軍関係の高官や、ダウム軍需大臣や私に危害が加わることはないだろう。


 「さあ、明日も早いし寝ますか!」


 空元気に声を出してヴィオレッタは寝室へ向かう。夜、何も起こらないことを祈りながらヴィオレッタは眠りについた。



******



 翌朝、前線のとある場所で二人の兵士が巡回しながら駄弁っていた。


 「でさ、次の日行ったらさ、ちゃんと約束した通りの席にその子が座ってたの。いやもうテンション上がっちゃってさ~」

 「……なんかその話前も聞いた気がするぞ。その女の子が約束してた席に座ってたってくだりのとこ」

 「え?何だよモテる俺が羨ましいのか?」

 「そうじゃねえよ。今までお前が話した恋愛遍歴にはいつも同じようなくだりがあるって言って──おい、どうした」

 「……いや」


 そう言って相棒が指差したのは亜人側が陣取っている方向だった。霧が立ち込める中、複数の戦車が向かってきているのが分かった。


 「っ!?まさか連中、攻勢に出たのか!?おい、早く知らせないと──」


 と慌てていると、どこからともなく仲間の兵士たちがぞろぞろと現れ、二人を取り囲んだ。


 「あっ、おい!今、連中が戦車でこっちに向かって──」

 「動くな」


 兵士たちは、一斉に二人に銃を向けた。


 「え?」

 「出来ることなら撃ちたくないんだ。武器を捨てて動かないでくれるなら、こちらも何もしない」


 同じ頃、前線司令部では高級将校たちが叛乱部隊によって拘束されていた。


 「くそっ!こんなことしてタダで済まされると思ってるのか!?」

 「気が狂ったか、フラーデ将軍!一体何を考えている?連中が攻めてきたら──」

 「……既に向こうとは話をつけてある」


 その中で、一人だけ拘束されていない人物がいた。オセアディア王国だけでなく他の国々にも名将と謳われ、兵士たちの信頼も厚いアルシデス・イドラル・フラーデ将軍である。


 「それに目を覚ますべきは貴公らの方だな。亜人殲滅などという狂った題目に憑かれた上層部の手駒になっているとなぜ気づかん!そんなものは実現しない夢物語だ!この世界を平和にする唯一の道は人間種と亜人種が相互理解の下共存していく道だ!」

 「……仮にそうだとしてもこんなところで叛乱を起こしても意味は無い!中央からすぐに鎮圧部隊が──」

 「中央には、いや、オセアディアだけでなく人間国家全てに我々の同志たちはいる。亜人との共存を望む崇高な理念を持った同志たちが!」


 フラーデ将軍の言葉は真実であった。大陸西部に密集する人間国家の各首都では、叛乱部隊が一斉に蜂起し政府機関を次々と襲撃していた。それに呼応するように戦争の前線であるマゼノ線とチャーノ線では亜人連合軍が人間側の叛乱部隊の了解の下軍勢を進行させていた。政臣と姫愛奈がこのことを知るのは、およそ四時間後のことだったが、その時既に人間国家の大半の首都は叛乱部隊によって制圧されていたのだった。

 



 


 


 


 


 

 


 

 

 


 

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