7.動乱前夜

 政臣と姫愛奈が動乱の勃発を知る三日前、パレサ王国軍需大臣ピシュカ・ダウムは、二つある対亜人戦争の最前線の一つ、〈マゼノ線〉から二十キロほど後方にある前線司令部にいた。パレサ王国とオセアディア王国が共同で開発した最新鋭戦車Bー12が実戦投入されるということで、その視察に来ていたのだった。


 最高時速六十キロの速度で走る戦車の列を、パレサ・オセアディア両軍の幹部と軍関係の官僚たちと一緒に見届けた後、ピシュカは秘書と共に車に乗って宿泊先のホテルに向かっていた。


 「今日の予定はこれで終わりです。──帰りの列車が来る明日の十時までは特に予定はありません」

 「そうなのか。じゃあ、街に入ったら下ろしてくれるか?しばらくぶらぶらしてからホテルに戻るから」

 「危険です!大臣の命を狙う者がいたら──」

 「大丈夫さ。街の至るところに兵士がいるおかげで治安は維持出来てるし。それに少しは運動しないとね」


 そう言ってピシュカは自分の太鼓腹を叩いた。秘書は大きくため息をついた。気ままな軍需大臣は、こうと決めると譲らない。秘書は諦めることにした。

 

 「何かあっても私の責任じゃありませんからね」


 車を見送ったピシュカは、昼食を求めて歩き始めた。戦争状態という情勢で、仮にも政府高官が警備も付けずに街をふらつくなど正気の沙汰ではないが、ピシュカはあまり気にしていなかった。秘書は政臣と姫愛奈がいなければ絶対に助からなかったであろう列車襲撃の件で懲りたと思っていたが、甘かった。ピシュカは変わらず気まぐれのままだった。突然執務室を後にして街を出歩き、市民と共にクレープを食べたり子供がボール遊びをしているところを眺めたりとやりたい放題で、秘書をはじめとする部下たちはピシュカに振り回されていた。勝手に出歩かないように監視するための兵士が任命されるくらいである。しかし仕事はきっちりとこなすので官僚たちも部下たちもきつく咎められない。ピシュカもそれをいいことにいつも趣味の散歩を楽しんでいた。


 レストランを見つけたピシュカは、そこで分厚いステーキとデザートにアップルパイとチョコレートパフェを平らげ、アイスクリームを買ってまた街に繰り出した。ちょうどいい所にあったベンチに座り、道行く人々を眺める。この街は前線から二十キロの場所にあり、前線に赴く兵士たちや、逆に負傷して帰っていく兵士たちが通過する。前線が膠着状態となって既に二年。限りなく物資と人的資源を消費する泥沼に陥った人間側と亜人側だったが、『やめ時』を見失った両方の首脳部はひたすら敵の粉砕だけを連呼するのみで、和平の機運は全く見えなかった。


 ピシュカは元軍人で、負傷して名誉除隊するまではずっと戦争や叛乱の最前線で戦っていた。その度にピシュカは同僚や部下たちと「戦争なんてろくでもないな」と安酒を呑み交わしながら話していた。パレサ王国の軍需大臣となり、現場ではなく後方に甘んじる立場になった今でもその気持ちは全く変わらない。勇んで志願兵となった若者を見ると心がざわつく。自分が初めて戦場に出たときも同じ気持ちだったが、士官学校で出会った友人とその部隊に高射砲の砲弾が直撃したのを見たとき、ピシュカの中にあった戦場への憧れや高揚感は消え失せた。以来、ピシュカは戦争をろくでもないものだと思いながら戦い続けた。銃創を負い、仲間たちに先んじて一線を退けたことは幸運だった。戦場で出会った仲間たちは皆亜人との戦争が始まる前に死んでしまったり、戦争症候群でおかしくなってしまった。


 アイスを食べ終わったピシュカはホテルへまっすぐ帰った。最前線とたった二十キロしか離れていないこの街は危険極まりないが、住民はそんなことを全く気にする素振りも見せず過ごしているように見える。あるいはそんな風に見えているだけで、本当は恐怖を押し殺して気丈に暮らしているだけかもしれない。この街に住む人々は戦地に向かう若者をどう思っているのか、隅が剥がれている志願兵募集ポスターを見ながらピシュカは思った。



******



 ホテルに戻ったピシュカは、見慣れぬ集団に出くわした。灰色の制服を着た男たちの中心に、同じ服を着た雪のように白い髪をストレートにした女性が立っている。女性はピシュカに気づき、少し驚いたような表情を浮かべた。


 「君は確か、オセアディアの……」

 「王立内務警察長官、ヴィオレッタ・ギスラムです」

 「ああ、そう。そうだった。こんなところで会うとは」

 「同感です」

 「何故こんな場所に?」

 「私の部下である『武官』たちにたまには顔を見せてあげようと思いまして」

 「ああ……」


 この場合の『武官』というのは観戦武官のような戦闘を観戦する方の武官ではなく、前線にいる秘密警察士官の俗称を指している。対亜人戦争の最前線を張っているオセアディア王国の秘密警察組織〈王立内務警察〉は、戦争の進行に伴い権力を拡大させ、準軍事的活動が行える武装組織を有するまでになっていた。『武官』たちは、前線において戦争に非協力的な動きがないかを監視する役割を与えられた警察士官で、このマゼノ線にも数十人が配置されていた。


 「私は新鋭戦車の視察に来ていたんだよ」

 「なるほど。──大臣もこのホテルに?」

 「ああ。ここに部屋を取ってるよ。君もかい?」

 「今晩だけですが。大臣はいつまで?」

 「私も明日には国に帰るよ。パレサ王国の兵士たちが飢えずにすんでいるようで安心したよ」

 「そうですか。それでは私はこれで……」


 ヴィオレッタはピシュカに軽く会釈し、部下と共に二階に続くホールの階段を上っていった。


 「以外と美人だな……」


 ピシュカはそうひとりごちると喫煙室に向かった。



******



 「前線で不穏な動きが見られると『武官』たちからの報告が上がっています」


 ホテルの一角、談話室の一つでヴィオレッタは部下からの報告に耳を傾けていた。


 「具体的には、物資の流れに不審な動きあり、というのが最初の報告でして、その後各『武官』から現場の判断と称した無許可の部隊移動が散見されると次々報告が──」

 「いつから?」

 「二週間ほど前からです」

 「司令部は把握しているの?」

 「はい。ですが、今のところ戦闘に影響が無いのと、フラーデ将軍直下の部隊であるため強く言えないようで……」

 「軟弱な司令部ね。いくら数多の戦争を経験した名将だからって、前線を崩壊させかねない動きは掣肘せいちゅうされるべきです」

 (とはいってもこちらも堂々と物を言える立場ではないのだけど……)

 「──監視は継続。戦闘に悪影響を及ぼすような動きが見られたらただちに報告するように」


 部下を部屋から退出させ、一人になったヴィオレッタは、グラスに注がれた赤ワインを見つめ、ため息をついた。


 「戦争なんて、どうでもいいわ……」


 ヴィオレッタは没落した貴族の出身だったが、祖父と父の人脈を使い名門校で勉学に励み、内務省の下部組織だった頃の王立内務警察に二十歳で入った。元来日和見的な性格だったヴィオレッタは、警察内部での派閥闘争でも当然のように多数派に属し、当時の長官に取り入って幹部職を手に入れた。開戦の兆しが最高潮に達していた頃、組織が肥大化し、内務省から独立する動きが始まったのを早期に察したヴィオレッタは、独立派の旗頭となった。腐るほどあった家の財力を駆使して高官たちを抱き込み、見事内務省からの独立を果たした後は、用済みとなった組織の古株たちを排除し、自らを長官の座に据えた。以来ヴィオレッタは既得権益を守るために王立内務警察長官としての職務を全うしていた。


 しかし自らの保身を何よりも優先するヴィオレッタは、表向き戦争に賛成していたものの本心では反対していた。『武官』を前線に派遣しているのも王立内務警察が戦争に協力的であるというアプローチであって、ヴィオレッタ本人は全く戦争に関心を持っていない。むしろ果てしなく資源と人的資本を浪費するこの戦争にうんざりしていた。一体何年やっているのか。開戦当時の優勢はどこへやら。両者共に一定のパワーバランスを維持したまま戦線に動きは無い。もう一つある戦線〈チャーノ線〉も同様で、向こうは危険な魔物が出現する頻度が多い分、マゼノ線よりも物資と人的資源を消費していた。それでもやめないのはどちらの上層部も意固地になっているからだろうとヴィオレッタは推測していた。ここまで来るともはや論理は無い。単純に「やられっぱなしではいられない」という思考で戦争を指導しているに違いない。王立内務警察の調査では、オセアディア内だけでも戦争賛成度はかつてないほど低くなっているというのに、講話も撤退も認めずダラダラと殺し合っている。ヴィオレッタには狂っているとしか思えなかった。


 (まあ、立場が危うくならない程度にのらにくらりとやりましょう……)


 そう思いながらヴィオレッタはワインを口にする。目と鼻の先で戦争が行われている中で飲むワイン。安全圏にいるのだという優越感がワインの味を引き立たせていた。


 


 

 


 

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