第7話

 足音はだんだんと近づいてくる。夜だから、音が妙に響いて、余計に怖い。


「モミジ! 誰か来ちゃうから一旦戻ろう!」


「いいからいいから」


「よくないわよ! あなたと違って私は誰にでも姿が見えてしまうんだから」


「いいから、私を信じてよ」


 問答をするうちに、もう足音はすぐそこにまで来てしまった。誰だろう、源家の家の人間には違いないが、もしも冷夏姫やさっきの老婆以外の人間が来たら厄介なことになってしまう。


 心配はものの見事に的中した。やって来たのは使用人の男だった。背筋が凍るというのはこのことを言うんだな。もう体が動かない。


 使用人は私たちの方を見ている。いや、多分私だけだ。モミジは普通の人間には見えていないはずだから。


「あれ?」


 使用人は見るからに訝しんで、こちらに近づいてくる。ああ、もう目も合ってるんだ。隠し立てはできない。正直に言おうか? いや、それはまずい。きっと大事になってしまう。たとえ冷夏姫が庇いだてをしてくれたとしても、夜に出歩いたことそのものが、父に知れるのはとんでもなくまずい。


 じゃあ何かいい言い訳を考えようか? いいや、それも無理があるな。そんなことを今考える余裕がない。もう頭が真っ白になる直前だよ。


 使用人は私の目の前! まっすぐこちらを見ている。ああ! 終わった……。


「どうしてこのろうそく、火が消えそうなんだ? まだ寿命じゃないはずなんだけどな」


「へ?」


 使用人は私のほうに手を伸ばした。怖がる私をまるで馬鹿にするように、彼の手は私を無視してその奥のろうそくを手にした。


「あれ? 私のことは? もしかして、見えてない?」


「だから最初から大丈夫だと言ってるじゃないか」


 そう言いながら、横でモミジはフーフーとろうそくの火に息を吹きかけていた。


「あれれ、やっぱりこのろうそくおかしいな」


「……あなたのせいじゃない!」


「アハハ、ごめんごめん」


 まったく、こんないたずら笑えない。心臓が止まるかと思ったわ。


「まあ仕方がない、取り換えなくちゃな」


 使用人はそのろうそくを持ってどこかへと消えていってしまった。


 私はモミジの隣に立ち尽くしていた。どうして私の姿はあの男の人には見えなかったのかしら? 私は人間だというのに……。


「不思議そうな顔をしてるね」


「ああじれったい! 早く種明かししてよ!」


「んもう、仕方ないな……」


 うすら笑いが腹立つけれど、モミジは自分がしたことを明かした。


「君に霊力の膜を被せたのさ。それで君は、私と同じように周りの人間からは見えなくなるってわけ」


「ちょっと飲み込めないけれど……それ私の身は大丈夫なのよね?」


「もちろんさ。君が危なくなることをするわけがないだろう?」


「分かったわよ。でも驚かせるのはやめてちょうだいね」


「それは約束できないな」


「ふん、腹立つわね」


 モミジに反省の色が全く見えないから、さすがにちょっと怒ってしまった。私だけで先へと向かう。冷夏姫の部屋がどこにあるのかはおおよそ覚えてるから、問題ない。それに人からは見つからないときたから、もう怖いものなんてない。


 それに、急がなくちゃならない。もうハヌイはとっくに先へと行ってしまっている。早くしないと、着いたころには後の祭りだ。


 何となく音を立てないようにしながら、されども早足で廊下を進んでいく。幸い迷うこともなく、冷夏の部屋にはすぐ着いた。


 ゆらめく明かりが強くなり弱くなり、寄せて返す波のように部屋の中の影を写し出すのが外から見えた。


「もう、中にいるみたいだね」


「うわっモミジ!」


 置いてきたはずの彼女が隣にいたから、私は古い戸を乱暴に開けたような声を出してしまい、咄嗟に開いた口を手で塞いだ。


「大丈夫だよ、声も聞こえてないから」


「あ……ああ! そうなのね!」


 一人だけ気が動転してしまって、馬鹿みたいだ。




 中の影は三つ、ハヌイもいるらしい。三つの影は、女と……もう一人も女……姫と先ほどの老婆だろう。そして最後の一つ、小さい影がハヌイかしら。


「おいおい、中にあの婆さんもいるじゃないか。こりゃ想いを伝えるどころじゃないぜ」


「おばあさんに聞かれながら色々話すのはしんどいものね」


「ここは私が一肌脱いでやろう」


 モミジはそろっと部屋の幕に近づいていく。


「なにをするつもりなの?」


「まあ見てなって」


 するとモミジは幕の隙間から部屋の中を覗き込み、人差し指で円を描いた。何をしたのか、よくわからないけど、驚くことに部屋のろうそくがふわっと消えてしまった。


 部屋は真っ暗になってしまい、中からは三人の「あっ」と驚く声が漏れてきた。


「ええ! どうして消しちゃったのよ!」


 理由は答えを聞かずとも、すぐに分かった。


 部屋からすぐに老婆が出てきて、すたすたと私たちの前を通り過ぎていった。替えのろうそくを取りに行ってしまったのだ。


「ああ、そういうことね」


「これで、部屋の中はハヌイと冷夏姫の二人きりだ」


「へぇ、機転が利くのね」


「そりゃあ君の何倍も生きてるからね」


 これで、いよいよ舞台は整った!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る