第3話

 こんなに歩くのは久しぶりだから、かなりしんどくなってきちゃったけども随分と気分がいい。出る前は乗り気になれなかったけれど、これは意外といいかもしれない。


「聡子、だんだんと乗り気になってきたじゃないかい」


「あなたの方こそ、興奮してるのが隠しきれてないわよ」


「そりゃあそうさ。なんせ君が生まれたぶりに外に出ることができたのだから」


「本当に外に出てなかったのね」


 このモミジは私の守り神かなにかなのかしら? 






 青い夜をもう少しゆったりと満喫したいところだけど、手紙の件がある。月明りを頼りに、約束の住所へと向かった。


「……ここだよ」


 予想通りというか当然なのだけど、かなり巨大な屋敷だ。私の家よりもさらに一回り大きい。この中に私に手紙を寄こした女の人がいて、私たちを待っている。


「聡子、こっちが開いてるよ」


 戸が一つ、開け放たれていた。私たちを迎えるためのものなのかは定かではないけれど、そこを使って屋敷の中に入った。


「誰も起きていないように見えるけれど……」


「静かね」


 そりゃあそう。もうみんな寝静まっている時間になっている。普通は一家全員が寝ている。そんな家に入っている私たちは不審者だろうな。いや、はたから見れば単独犯かしらね。


 縁側に上がって廊下をそろりと進んでいくと、一つだけ灯りがついている部屋があった。光が廊下まで漏れていたから、分かりやすい。


「聡子」


「うん、あれだね」


 中にいるだろう人からも私しか見えないはずだから、私が部屋の前まで行き、すだれのまえに膝をついた。


「もし……」


「……」


「もし……手紙を頂いた橘の者ですけれど」


「……!」


 すだれが突然上がって、さらに光がこぼれてきた。そして、すだれをあげたのは老婆だった。


 老婆に迎えられて、私は部屋の中に入ったのだけど、モミジもそれに合わせて部屋の中に潜り込んだ。


「冷夏さま、こちらお客人で間違いないですか?」


 老婆が奥に座っている姫君に聞いた。冷夏と呼ばれた姫はおもむろに私たちの方を向いた。


「それは話してみないと分からないわ。会ったことがないんだもの」


 あの姫が私に手紙を書いた人か。


「美人だな、聡子ほどじゃないが」


「うるさいわ」


「……?」


 しまった、この人たちにはモミジの声さえも聞こえていないんだ。


「ああ、いえ。なんでもないです。あなたが私に手紙を送った方ででしょうか?」


「左様です、葉桜の君。まずは手紙で名乗らなかった非礼をお詫びしなければなりませんね。申し訳ありませんでした、申し遅れましたが私は源冷夏。三位中将の娘でございます」


 なるほど……これは大物が来たわね。まさかそこまで高貴な方があの手紙を寄越したとは思わなかったわ。するとここは正三位の源中将の屋敷だったのか。道理で大きいわけだ。


 お父さまが知ったら喜ぶかもしれないな。三位中将なんてのは父よりもよほど上の官位だもの。


「随分と音沙汰がなかったですから、もう来ないものと思っておりました。この夜更かしだっていつまで続けていたことやら」


「あ……それは申し訳ないです」


「いえいえ! 責めたつもりはないのですよ。そもそも本来ならば私の方から出向くべきだったのですから」


「来られない理由があったのですか?」


「ああ、それは……」


 冷夏は困った顔をして老婆を見た。老婆もまた、呆れた顔にため息を添えて、答えた。


「実は……困ったことなのでございますがね。今姫は求婚されているのでございます」


「へえ求婚、だったらいいじゃありませんか」


 と、無責任に言ってはみるけど、全部断っている私が言えたことではないのは気づいている。


「いいえ、お断りさせていただいているのです」


「あら、相手方に何か問題が?」


「ああいえ、そういうわけでもないのですけどね。ただ身分が釣り合わないと言いますか、到底父がお許しになるはずもなく、私自身も気乗りいたしませんの」


 冷夏は困った表情もろうそくの影に映えて綺麗だ。


「一体、どこの輩がそのような身分違いの恋をしてしまったのかな? 聡子のところに来たのは全部聡子よりも高位の貴族ばかりだったのにね」


 モミジは聞こえていないのをいいことに好き放題言っている。


 でも、断るつもりならば断わってしまえばいいのに。もっと詳細を聞いてみないと分からないけど。一体何がそんなに困っているのかしら?


「返事はしたのですか?」


「まだなのです。そのことを相談したくてあなたをお呼びしたのですよ」


「なぜです? 断るつもりならばはっきりそう返事してしまえばよろしい」


「できないのです。彼のひたむきさを見ていると、どうも切って捨ててしまうことをためらってしまうのですよ」


「でも、それはそれで相手が可哀想じゃありません? きっぱりと断って差し上げるのが相手のためというものでしょう?」


「だったら、一回あなたが彼に会ってみてくださいよ、葉桜の君」


「ええ!? 私が?」


「そうです。そうしたら、あなたもきっと同じことが言えなくなってしまうでしょうから」


 冷夏は少し恨めしそうに言った。


 私がどうして他の女の人に求婚している男の人に会わなければならないというのだろうか?


「おいおい聡子、これは思いのほか面倒なことになってやしないか?」


 とか言いつつモミジは面白がっている。


 面倒なことになりそうだけどな……しかしまぁ、求婚されて困る姫の身になってみれば、私と似た境遇なだけに放ってもおけないか……


「会うだけですよ?」

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