03 - 一日目・朝

 そこで、目が覚めた。

 目に映るのは灰色の天井。それから背中に感じる柔らかい反発と、体の上を覆う圧力。僕の部屋。僕のベッド。その上で僕は今、横たわっていた。

「………………………………」

 しばし天井を見つめる。

 頭は冴えていた。にも関わらず横になったままなのは、体が温まるのを待っているわけではなく……その逆、熱すぎる血流を冷ますため。

 心臓がひどい勢いで鳴っている。寝巻きの下では、汗を吸った肌着がべったりと張りついていて気持ちが悪い。原因は、別にタイマーセットしたヒーターの設定温度が高すぎたわけではなくて………

「―――――ふぅ」

 息をついて、気持ちを落ち着かせる。鼓動は徐々に治まっていき、やがて正常な流れへと落ち着いていく。

 余裕ができたので、少しだけ夢の内容を考えてみる。

 5年前の事故。あれ以前の記憶が、僕にはない。しかし事故のあと記憶喪失で困ったという覚えはないから、昔は覚えていたのだろう。今、思い出せないだけで。

 事故から5年経った今でも、ほぼ月に一度、定期的に同じ夢を見続けている。今ではもう慣れたもので、目覚めてからショックを受けることもなくなった。もっとも、時が経つにつれて、記憶と同時に夢の中身もだんだんと色褪せてきたというのもあるのだろうが。とはいえ昔はもっと鮮明だった気がする。そう、あの黒い影の姿も見え―――――――

 落ち着いた。

 落ち着いたのなら、もう起きなくては。時計を見ると7時23分。余裕はあるが、二度寝できる時間でもない。

 布団を引き上げて体を起こす。……と、

「っ……」

 ぎしり、と。まるで噛み合わない歯車のように、全身の骨格が軋みをあげる。異常は一瞬、すぐに体は正常に動くようになる。だが痛みだけはすぐには引かず、不正の証拠を訴え続けている。

 昨夜の〈ラーンスロット〉連続降魔は、さすがに堪えたらしい。もっとスマートに戦えないかといつも思っているが、他に取り得のない僕では、なかなかそうはいかない。

 降ろした後の苦痛はいつものこと。痛みを無視してベッドから下りて、閉めきった雨戸を開けた。窓からは冬の冷気と、朝の日差しが差し込んでくる。目を、肌を、突き刺すような刺激が心地良い。

「………さて、と」

 お世辞にも快調とは言えないが、朝早くから怠けてもいられない。

 じきに吉ねえがやって来る。それまでに、朝の仕度を終わらせておこう。



 天音吉枝は、私立三輪浜大学に通う女子大生である。

 礼儀正しくて人当たりが良く、朗らかな顔つきをした美人だ。その穏和な人柄は老若男女を問わず慕われ、高校時代は生徒会長、今はゼミ長という責任ある仕事を任されている。地元で評判の美人小町。それが表向き、天音吉枝の人物評である。

「おーなーかーすーいーた~。秋人、朝ごはんまだ~?」

 そして表があれば、裏もある。

 裏といっても、べつだん隠しだてしているようなことでもなく、少しでも彼女と付き合いがあれば誰でも知っていることだ。

「あーきーひーと~。おなかすいたよーぅ。おなかとせなかがくっついちゃうよーぅ」

 チャンチャカチャンチャカ、食器とフォークとスプーンの奏でるハーモニーが、朝の食卓に鳴り渡る。

 ……そう、どこの誰とも知られているが、誰もがみんな知っている。

 彼女が理想的な女性像を持つ反面、その実とんでもなく怠惰で、能天気で、お気楽で、とてつもなく要領の悪い粗忽者で、わがまま盛りの子供のような一面を持っていることを……!

「あきちゃーん、あきひとー。見てほら、醤油塩ドレッシングマヨネーズタワー! こ、これは写真を撮ればギネスにうわわっわ! わずか2秒弱で瓦解! 大いなる栄華とは、かくも儚いものなのかー!?」

 ……ええい、何をしているか。目の前で人が働いているというのに。

 堪えきれずに、僕は後ろに向かって声をかける。

「吉ねえ、少しは大人しく待てないのか。早く食べたいなら手伝うとか」

「ええ~? だって、ご飯の用意は秋人の仕事じゃない。お皿だって用意してあるし。……それとも今日はキッチンに立たせてくれるの?」

「む……」

 それだけはできない。吉ねえに料理をさせることは、赤子を戦場に放り出すに等しい。いや、たとえどんな赤ん坊だろうと、秘密の自爆スイッチを探し当てて秒間十六連打してしまうような真似はしない。厨房は戦場とは言うが、実際にガスコンロの火を前にして逃げ帰るような人を矢面に立たせるわけにはいかない。

「すまなかった。今後とも今まで通りに僕が戦場を担当するから、吉ねえはそこで僕の帰りを待っていて欲しい」

「……なんだか腑に落ちないけど……まあいいわ。コンゴトモヨロシク」

 双方の理解が得られたところで、丁度いい具合に朝食が完成する。といっても、単に野菜を切って卵とベーコンを焼いただけなのだが。

 目玉焼きの乗った皿をよこすと、吉ねえは不満そうに唸る。

「う~、なんか代わり映えしないわねえ……たまにはもっとこう、内角高めから打者に向かって急激に曲がるスライダーみたいな変化球に挑戦してみない?」

「そんなデッドボール気味な挑戦はいらない。ほら、トーストも焼けたから。早く取って」

 吉ねえも言ってみただけなのだろう。はーい、と応えてトースターから焼き目のついた食パンを抜き取り、苺のジャムをべたべたと塗りたくる。僕は切ったバターを少しだけ。

 いただきます、と声を揃えて食事を始める。こうして2人で食事を摂るのが、5年前から続いている習慣だ。

 この家には、僕の他に人は住んでいない。吉ねえは実の姉ではなく、お隣りさんの幼馴染だ。物心つく前からの付き合いのはずだが、5年より前のことはよく分からない。ただ、件の事故で両親をなくした僕を、姉代わりとなって色々と世話を焼いてくれたのが吉ねえだった。

 世話というか、結局はどちらが世話を焼いたのか。どんくさくて失敗ばかりしている彼女を、僕がいつもフォローしていたような気がするが。

 それでも吉ねえには言葉で言い表せないほど感謝している。一人で住むには広すぎるこの家で、孤独を感じなくて済んだのは、ひとえに彼女のおかげなのだから。吉ねえがいなければ今でも僕は、この家で一人、薄暗い部屋に閉じこもっていたかもしれない。

 ……僕は5年前、肉親をなくした。だが同時にきっと、おそらくは血の繋がりよりも深い絆で結ばれた家族を、この家に迎え入れたのだと思う。

「―――秋人?」

 そんなことを考えていると、当の本人が怪訝な顔でこちらを見ていた。

「なんでもない。少し疲れてるみたいだ」

「あ、昨日だっけ? 頑張るのもいいけど、あまり無理しちゃだめよ? 体壊しちゃ元も子もないんだから」

「わかってる。心配かけてすまない」

「わかってればいいの。若いんだから、好きなことやるのが一番。無理しない範囲で、色々やってみるといいわよ」

 ………少し感動。けど、同時に苦笑してしまう。これが21の女子大学生の台詞だろうか?

 こんな会話をしているが、吉ねえは知らない。昨夜、僕が何をしていたのか。

「――ん、ごちそうさま。さて、それじゃちょっと着替えてくるから、先に外で待っててねー」

 あまり人様に言えるものじゃないし、そもそもこれは、家族だろうと恋人だろうと、一般人に教えてはならないものだ。現代社会とは相容れぬものであり、その存在を隠すことが暗黙の了解にして鉄の掟。もし破られれば即座に、同朋の手により、関係するあらゆるものをこの地上から抹消させられるだろう。

「――ああ。片付けしたら、すぐ行く」

 故にこの5年間、ずっと隠し続けてきたし、これからも教えることはないだろう。

 僕が、魔術師であることを。



 朝の日差しは眩しいほどに晴れやかで、寒気を運ぶ風も穏やか。それでもやはり吐く息は白く、未だ冬のただ中にあることを思い知らせてくれる。

 とうに葉の抜け落ちた街路樹と、ガードレールに守られている遊歩道を二人で歩く。僕の数歩先を行く吉ねえは時おりこちらを振り返り、そのたびに背に垂れかかった線の細い髪が、朝の光を透いて黄土色に輝き、乾いた街路に淡いきらめきを残していく。

 女性にしては若干背の高い彼女は、こうして長い髪を揺らしていると、とても絵になる。

「――でね、やっぱり料理人が必要だと思うのよ」

 と、その本人により語られる話題は、そんな僕の感慨をいともたやすく壊してくれるわけで。

 というかまだ続いていたのか、その話題は。

「料理人って……そんなの雇うお金はないぞ」

 僕の学費は奨学金により賄われているし、家の維持費・生活費は、あの事故の後、僕の保護者をかってくれた師父――この人が僕の魔術の師匠であるのだが――が出してくれているので、実のところ生活資金には困っていない。だが出してくれたお金はいずれ返すつもりであるし、そう無駄使いもしていられない。

 そんな僕の答えが不満だったのか、吉ねえはむーっと頬を膨らませてこちらを睨んでくる。

「だって……部屋の掃除とかもう、あんまり行き届かないじゃない。使ってない部屋だって、ほっとくとアレだし。わたしも秋人も忙しくなってきたし、家の管理ができる家政婦さんが必要じゃない?」

「む……」

 それは、確かに。

 僕も4月からは……進学するのであれば……受験生であるし、同時に吉ねえも就職活動が始まるはずだ。休日は家事に忙殺されるような今の生活では、これから先は少し難しくなる。となると必然、僕の魔術の鍛錬にも影を落としてくるわけで、師父に言えばそのくらいのお金は余裕でポーンと出してくれるだろう。

 だが、しかし…………それには少し抵抗がある。

 これ以上師父に借りを作ることへの後ろめたさもあるし、もうひとつ理由もある。

 それは僕の中での“家庭”に対する執着であり、あの家に見ず知らずの他人を引き入れることへの抵抗感だ。雇われの人が出入りするくらいでそう思い悩むこともないのだろうが、どうしても、そう簡単に割り切れないものがあるのだ。

 吉ねえは僕がそう感じたのも見越していたようで、続けて言ってくる。

「うちの手伝いならさ、うってつけのコがいるじゃない。ねえ、弓衣ちゃんなんてどう?」

「待った吉ねえ。どうしてそこで弓衣の名前が出てくる?」

 葛木弓衣………僕の一年下の後輩で、以前に商店街で他校の不良生徒にからまれているのを助けて以来、なにかと僕の世話を焼いてくれる女の子だ。いつの間にか吉ねえとも親しくなっていて、吉ねえなんかは「妹ができたみたい」なんて言って可愛がっている。

 かくいう僕も、弓衣のことは家族同様に思っている。彼女であれば家に招き入れることに何の躊躇いもないが―――

「いや、弓衣も学生なんだ。そんな暇はないだろう」

「そう? バイトだと思えば、今どき普通なんじゃないかなあ。それにほら、あの子なら秋人が『俺の家に来い』って言えば、二つ返事でOKすると思うけど」

 そのプロポーズにしか聞こえない文句はどうか。

 あと勝手に人の性格と一人称を変えないでもらいたい。

「まあ、休みの日に手伝いに来てもらうくらいなら、頼んでみてもいいんじゃない? 仕事としてとか、それはまた別にして。……て言っても、結局は秋人がどう思うかだからね。うん、その辺は任せるよ」

「……………考えておく」

 ん、と微笑で返す吉ねえ。そして気付けばもう、校門が目と鼻の先だ。そのまま二人で学校の敷地に足を踏み入れる。

 僕の通う建丘高等学校は三輪浜大学の付属校であり、同じ敷地内に建てられているため、こうして同じ場所に、二人並んで登校できる。2月も半ばの今日、本来なら大学生の吉ねえは講義も試験も終えて足を運ぶこともないのだが……

「はあ。学部長のゼミになんて入るんじゃなかったわ。まさか春休みに入ってまで試験の準備に狩り出されるなんて」

「…………まあ、頑張れ」

「そうねー、未来の後輩たちのために。あ、そうだ秋人」

 吉ねえはふと、思い出したように聞いてくる。

「紙袋か何か、持った?」

「紙袋……?」

「もう、やっぱり忘れてる。さて問題です、今日は何の日でしょう?」

 今日は何の日? 今日の日付けは二月十四日…………あ。

「思い出したみたいね。じゃあはい、これ。ちっちゃいけど、鞄もあるから大丈夫でしょう」

 そう言って折りたたんだ紙袋を渡してくれる。

「有難う」

 多少複雑な気分だが、ここは素直に受け取る。確かに過去の経験からすると、何か容れ物がないと帰りに苦労する。

「じゃあ、また家でね。頑張ってね~」

「ああ、吉ねえも」

 元気に手を振って駆ける吉ねえに、片手を挙げて応える。

 その背が見えなくなったところで、僕は学生鞄と紙袋を抱えて昇降口へと向かった。



 下駄箱には案の定、四角い小箱が敷き詰められていた。

 開閉式なのはこの場合良いことなのかどうなのか。これらが上履きと同じ空間に密閉させられていたことを考えると、かすかな哀愁を禁じえない。……いや、ちゃんと上履きは定期的に洗ってはいるが。

 ともあれ先ほど受け取った紙袋に小箱を放りつつ、後から来た級友に朝の挨拶をする。すると……

「…………おう」

 ドスの利いた声で返答されてしまった。いつもはフレンドリーな級友が、この日ばかりは極道もかくやという睨みをきかせてくれる。

 その後も周囲の敵意の視線を受け続け、いたたまれない気分で教室に入る。自分の席まで行って椅子を引くと、やはり机の中も小箱でいっぱいになっていた。下駄箱といいこれといい、この学校では古来より伝わる慣習が今においても脈々と息づいているといえよう。

 それらも袋に詰め終えてから、ようやく椅子に腰かけ、ふうと息を吐く。いや、決してこれらが迷惑というわけではない……むしろ人に好意を持ってもらえるのは有り難いことだ……が、それでも多少の気疲れを感じてしまうのは、致し方ないことだと思う。

 と、その時。

「おぁ~、だっりぃぃぃ~~~。おぉ秋人……って何だオイ、この紙袋は」

 だるさ全開、という掛け声で教室に入ってきたのは、朝間誠一郎。僕にとって数少ない気の置けない友人であり、同時に同じ秘密を共有する間柄……つまり、彼も魔術師だということだ。厳密に言えば錬金術師である彼は色々な面で魔術師とは異なるのだが……まあ、それはいい。彼は片手をポケットに突っ込み、もう片方の手で寝癖のついた頭を掻き回しながら、僕の机の横にかかった紙袋に目を落としている。その目は羨ましがるというよりは、冷やかすネタを見つけたという視線だ。

「かァ~、長夜クンはいいねえ、そんなに貰えて。半分よこせ」

「馬鹿を言うな。人に譲れるものじゃないだろう」

 こういったものの殆どは遊び感覚であろうが、それでも好意の証には違いない。ならば責任を持って自分で頂くのが、相応の誠意というものだろう。

 ……せめて賞味期限が短い生チョコが少ないことを祈る。

「相変わらずマジメな奴め。鼻血を噴いて倒れてしまえ。……しかし、なんだ……やっぱり世の中は顔かね。それともなにか、そのメガネがいいのか? この学校の腐女子どもは揃いも揃ってメガネ萌えなのか? ふざけるな! 男の価値はメガネじゃないぞ!」

 この男は時おり訳の分からないことを言う。確かに男の価値は眼鏡ではなかろうが。

 そんな僕ら二人のところへ、突如割り入ってくる声が。

「ハイハーイ! そんなモテないアナタに愛の手を! とゆーわけで食べて食べて~!」

 やたらに高いテンションのもと現れた一人の女生徒が、ずいっと目の前に封の開いた箱を差し出してきた。僕はそれに先ず挨拶を返す。

「おはよう、沢田さん」

「やっほー、長夜くん! ささ、長夜くんも一個、いや特別に二個どーぞ! きゃはー!」

 何がそんなに人生楽しいのか、一度詳しくご教授願いたいものである。

 このテンションには、さすがに誠一郎も呆れ顔だ。

「どーぞってお前、それ……」

「モテない朝間くんもどーぞ! モテないからって遠慮しなくていいから!」

「やかましいわアホたれ! 連呼すな!」

「だってモテないのは事実だし。わたし以外一個でもチョコもらった? それに長夜くんが女の子に人気があるのは、顔もあるけど性格の問題だと思うな~。なんていうか朝間くんには、誠実さが足りない?」

「馬鹿野郎、偏見だ。こんな誠実さ溢れる男に」

 その点については友人として同意したい。のだが……

「それに一個も貰ってないなんてことはないぞ」

「へ? そうなの? へ~、意外~。ねえねえ、いったい誰?」

「…………………過去の自分」

「うわっ、寂しいーーーーッ!」

 ………………身内の恥を晒しているようで、実に恥ずかしい。それは誠一郎本人も自覚しているのか、チッと舌打ちして、話題をそらすように沢田さんの手にある箱を指差す。

「つーか、そんなもん一個だけ貰ってどうすんだ。だいたいお前それ、そのまま食うもんじゃねーだろ」

 誠一郎の言う通り、枯れ葉のような外見をしたそれは、本来ならば牛乳をかけて食べる、有名な某シリアルだ。ちなみに忙しい朝の定番として、我が家でも親しまれている。

「それこそ偏見だよ。そのまま食べてもおいしいよ? ほら、試しに食べてみて」

 さあさあと促されるに従い、僕ら二人は手を伸ばす。口に入れるとそのまま食べるには少し固すぎる気もしたが、パリパリと噛んでみるとそれほどでもなく、他の似たような菓子と何ら変わるところはなかった。

 そうして一枚ずつ平らげた僕達を見て沢田さんは、鬼の首を取ったように喜声をあげる。

「いっえ~い! ホワイトデーのお返し二個ゲッツ! 豪華なお返しを待ってるからね~♪」

「なんだと? は、謀ったな……沢田!」

「あはははは、坊やだからだよ~♪」

 たたたーっと教室の外へ駆けていく女子一名。なんというか、元気すぎる。さらに教室の外からは、目標四百人ー! なんて台詞まで聞こえてくる。……恐ろしい……この学校の男子生徒全員を標的にするつもりか。

 そしてまた誠一郎は誠一郎で、

「うるさい奴を黙らせる薬ってのは、どこかにあったか……」

 なんてことを呟いている錬金術師。せめて鎮静剤くらいに留めておいてもらいたい。

 やがて彼は大げさに息をつき、

「……はあ。ったく、朝っぱらから大声出させやがって……ってて……」

 と、不意に顔をしかめて腹部に手をあてた。

「どうした?」

 尋ねると、彼はこちらを半眼でじろりと睨む。

「昨日、お前にやられたトコだよ。この野郎、思いっきりやりやがって」

「―――あぁ」

 あの、掌底を叩き込んだところか。あれは今思い出しても面白いぐらいに見事に決まった。なにしろ魔術付与のないただの打撃であれだけ人が飛ぶのは、そう見られるものじゃない。

 よほど痛むのか、誠一郎は苦虫を噛み潰したように言う。

「昨日から何も食ってねーよ、もう。まぁ破裂したわけでもねーし、明日にゃだいたい治ってるだろうが」

「――む、それはすまない。……大丈夫なのか?」

 心配して言うと、誠一郎はハ、と皮肉げに笑う。

「俺の修行不足だろ。気にすんな」

 同時に鳴り出した予鈴を背に、ふらふらとおぼつかない足取りで自分の机に向かう。

 ……まあ、医者の息子が自分でそう言うのなら、ここは信用しておこう………。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る