24話 蛹化

「しかし、わからないね」別海が唸った。「眼すら持たないつごもりさんが本を集めていたのは、ハリルロウの餌にする為。彼らの間には主従のような関係があり、つごもりさんはハリルロウの意思の下、本の回収をさせられていた。──ここまでは筋が通る。

 しかし、ハリルロウが生息する地下水脈の底では、人間の作った本などまず手に入らない。なぜ、そんなものを餌にしている?

 それに、今まではこちらが用意した古本を使っていたのに、どうして今年はそれを無視して、わざわざ御屋敷の中から本を持ち出しているんだろうね」

「一つ目の問いには、おそらく答えられます」匠は別海達から顔をそむけて煙を吐いた。「一度、蛹になってしまうと、羽化して脚や翅を手に入れるまで、自らの意思では場所を移る事が出来ません。その間、風雨や多少の衝撃に耐えうる頑丈な支柱──専門用語では『帯糸たいし』と呼ぶのですが──そういうもので、体を繋ぎ止めておく必要があります。

 終齢幼虫が帯糸を紡ぐ時の必死さといったら、一種、異様とも呼べるほどで、何度も上体を反らせて強度を確かめながら糸を吐き続け、より合わせて、丈夫なワイヤのように仕立てていくんです。莫大なエネルギィを消費する事は想像にかたくない。変換機構についてはわかりかねますが、その時にだけ、本という特殊な栄養源が必要になるのではないでしょうか」

「なるほどね……」別海は頷いたが、表情は険しいままだった。「いわゆる『古本』では変換効率が悪いのか、もっと別の理由があるのか……、いや、それは、ここで議論していても答えの出る事じゃないか」

「しかし、基準がわかりませんね」匠は眉間に皺を寄せ、顎で木立の方を示した。「あの本の山の中には、使いさしのノートも、何年も前のカレンダーもありました。僕達が用意した古本と比べて、著しく傷みが少ないというわけでもない。文字が書いている紙であれば何でもいいのかもしれませんが、それならば、なぜ……」

 言葉を切って考え込んでいる匠の横顔を見ているうちに、史岐は、ふと違和感を覚えた。

 匠も、それに別海医師も、羽化したハリルロウの毒によって土地が汚染される事よりも、屋敷から次々と本が持ち出されている事の方が、より差し迫った危機だと捉えているような気がしたからだ。

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