7話 四〇九号室

 三十分の休憩を挟んだ後、再びロビーに集まって能見正二郎の案内で館内見学に繰り出す事になった。

 梓葉とは一階のエレベータ・ホールで別れた。彼女も〈湯元もちづき〉に宿泊するが、旧館の方に部屋を取っているらしい。

 温泉同好会の三人はエレベータで本館の四階へ移動した。

 てっきり横並びで三部屋が押さえられているものと思っていたが、隣り合っているのは坂城清史と廣岡充の部屋だけで、利玖に割り当てられた四〇九号室はエレベータ・ホールを挟んで反対側だった。その為、四階に着いてからは利玖だけが逆方向に廊下を歩いて部屋に向かった。


 梓葉は家族ぐるみで〈湯元もちづき〉を贔屓ひいきにしているようだが、利玖には家族旅行でこういう温泉宿を利用した記憶が少ない。

 まだ小学校にも上がっていない頃、年の近い子どもがいる叔母一家と一緒に関東近郊の温泉街で冬休みを過ごした事がある。しかし、滅多に顔を合わせない叔母夫婦達を気遣って過ごすのはひどく疲れる事だったし、遊びたい盛りの従兄弟いとこには「本ばかり読んでいてつまらない」と文句を言われる始末で、ともかく肩身が狭かった。

 旅行先にまで来て本を読みたがる自分の方が変わっているのだろう、と幼心に思い詰めて、誰にも言わずに我慢していたのだが、両親にはたやすく心の内が読めたに違いない。それからは旅行といっても日帰りか、家族だけで静かな別荘地で過ごす事が多くなった。

 その習慣も、兄妹が育つにつれて父の仕事が多忙を極め、母を置いて家を空ける日が増えるようになってからは、ほとんど絶えてしまっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る