第二十六話

 「握手、ですかぁ……。あの、無関係である私と貴方が握手を交わす理由は、一体何でしょうかぁ……。理解出来かねますぅ、はいぃ……」

アニメオタク、あるいは鉄道オタクを絵に描いた様な男は、地面を見下したまま、ぼそぼそとした口調で云った。


 「事情は話せないけど、とにかく握手してくれよ。時間がないんだよ」

「いやぁ、しかしぃ……、事情が話せないとなると……」

「頼む、握手してくれよっ!」

「いやぁ、しかしぃ……、無関係である私と握手を交わしたいのであればその理由を私に対して明確に伝える必要が不可欠なわけでそれが不可能なのであれば私との握手は出来かねますぅ、はいぃ……」

男はまくし立てる。

合意の上で握手しなくてはならない。この男は諦めて立ち去る事にした。


 「握手ぅ? 何で?」

太った男は顔をしかめる。

「いや、何となく……」

「いや、『何となく』って……」

男は顔を引き攣らせながら、「キモッ」と呟いた。

そうなるよな……。

「頼む。ちょっと、事情があって」

「事情って何」

 突然、見ず知らずの人物と握手を交わす正当な理由が見付からない。

「それはちょっと、云えないけど……」

「はっ? いや、ちょっと無理だわ」

男は逃げた。

何かいい策はないだろうか。


 「自慢になる事……、ですか……」

男はおどおどしながら目を丸くした。

「何でもいい。何か、すごい経験した事ない?」

「いえ……」

「何か、特技とかない?」

「別に……」

「何かの大会で優勝した事とか、ない?」

「ないです……」

「身内が有名人だったり、しない?」

「あの……、すいません、失礼します……」

また、逃げられた。

何かを自慢してくれれば、握手を要求しても不自然ではなくなるかと思ったが、そもそも見ず知らずの人間にそれをさせるのが不自然だと、我に返る。


 「手? いいよ。手なんかいくらでも握ったるわ」

俺は老婆が差し出した手を握った。

見ず知らずの男でも握手してくれそうな雰囲気が的中した。


 ルーレットが【1】で停まった。

 

 【1マス戻る】という指令に因って再び11マス目の公園に着いた。

【15分休み】の文字。

【15:00】

【14:59】

【14:58】

制限時間の下に現れた別のデジタル表記が、動き出した。

ただひたすらにこの時間が終わるのを待つしかないのか。

 

 苛立ちを覚えながら、デジタル表記を睨む。

【00:03】

【00:02】

【00:01】

漸く、十五分が終わった。

〝ピューン〟という音と〝CLEAR〟という文字の後に始まったルーレットは【1】で停まった。


 12マス目の公園に着くと、機械は〝ピーッ〟と鳴った。

【手助けをする】の文字。

マジかよ、おい……。

 

 「ないよ、困ってる事なんてぇ」

「何でもいいから手伝わせてくれよ、婆さん」

「そんなに金が欲しいのかい。悪いけどねぇ、あたしゃ、無一文なんだよ」

「いや、金はいらない」

「じゃあ、何が目的なんだい」

「いや、目的って云うか……、手助けがしたいんだよ」

「何で」

「いや、何となく……」

「何となくって、あぁた」

「とにかく、何か手伝わせてくれよ。頼むから」

「ないって云ってるじゃないかい」

「何でもいいからっ! ホントに頼むよ」

「しつこい子だねぇ」

「ホントにちょっとした事でもいいからっ!」

「だから、ないったらないのっ! もう、どっか行っておくれよ」

また駄目か……。

 

 角を曲がった時、数メートル先でサッカーボールが車道に転がった。

それを追い掛ける少年は、走行中の車に吸い込まれていく。

クラクションが鳴る。

少年はその場に尻餅を着いた。

俺は咄嗟に走る。

だが、その場にいたジャージ姿の男が少年の躰を持ち上げた。

「このクソガキッ!」

運転席の窓から顔を出した男が、車を走らせながら怒鳴った。

「大丈夫かぁ? 車には気を付けないと」

腰を抜かしたままの少年は、「はい……」と、か細い返事をした。

畜生……。

せっかくのチャンスが……。

 

 老婆が手押し車を押して歩いている。

「婆さん、ちょっといいかな」

「何」と、老婆は足を止めた。

「何か、俺にしてほしい事ない? 手伝ってほしい事とか」

「ない」と吐き捨てながら再び手押し車を押す老婆の腕を掴んだ。

「何か、ちょっとした事でもいいから、手伝わせてくれよ」

「あんたには無理」

「いや、云ってみてくれよ」

「無理だよ」

「云ってみてくれよ。もしかしたら俺に出来る事かもしれないから」

「無理無理。絶対無理」

「俺が婆さんの為に何でもやってやるから、教えてくれよ、婆さんのしてほしい事」

「じゃあ……」と、老婆が口を開いたと同時に、少し嫌な予感がした。

「爺さんと子供と孫に逢わせておくれよ」

やはり、本当に無理難題だったか。

「他に何かない?」

「だから云っただろ」とでも云いそうな表情の老婆は、「ない」と返した。

もう、他を当たろう。


 「してほしい事?」

中年の男は腕を組む。

「何か、手伝ってほしい事とかない?」

「手伝ってほしい事?」

「何でもいいからさ」

「んー……、ないかな」

「ホント、何でもいいからっ!」

「いやぁ、ないねぇ」

「何か、買ってほしいものとか、ない?」

「いやぁ……」

「何か、直してほしいものとか、ない?」

「いやぁ……」

「ホント、何でもするからっ!」

「いやぁ……、あっ」

「何っ⁉」

「女紹介してよ」

またナンパしては相当な時間を費やしてしまう。

他を当たろう。


 「だから、ねぇって云ってんだろ、しつけぇなぁ、ボウズ」

「頼むよ、オッサン。何でもいいから」

「だから、ねぇって何にもっ!」

「頼むっ! 金はいらないし、ホントに何でもいいから、何か手伝わせてくれよっ!」

「じゃあ、金くれ、金」

俺はポケットから取り出した二十万円カードを男に渡した。

「おっ! マジ?」

機械は〝ピューン〟と鳴り、画面上には【CLEAR】と大きく表示された。

それから始まったルーレットは【1】で停まった。


 13マス目の公園に着くと、【2マス戻る】と表示された。

残り時間は五時間を切ったらしい。もう半分か。

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