第2話【序章】Ⅱ

「親に期待するのは止めておきなさい」


それが記憶にある母親の口癖だった。

昨今のコンプライアンスに当てはめると完全アウトな発言だが、不思議と楠木くすのきはその言葉に怒りや悲しみを覚えた事はなかった。それはそんな事を言いながらも母親が愛情をしっかりと注いでくれたからだと思う。


父親の事は知らない。


物心ついた時から母と祖父の三人で暮らしていたが物静かな母と騒がしい祖父との暮らしは寂しさなんか感じる暇もなく充実していた。しかしそんな生活も唐突に終わりを迎える。

16歳の頃、母が亡くなったのだ。

昔から身体の弱い人だったから長生き出来た方だと医者は言ったがやはり早すぎる死だったと楠木は思う。


「大事にしておけや」


初七日しょなのかが終わり、すべてが一段落した日の事。

そういって祖父が楠木の手に握らせたのは母が大事にしていた銀の指輪だった。父から母に唯一贈られたプレゼント。

さすがに高校生が堂々と指輪をして学校に行くわけにも行かず普段は仏壇にお供えして休みの日だけ鎖に通して首から下げていた。

祖父いわく父は発展途上国の支援をしていた人だったが事故で亡くなったらしい。だからか家の書斎には小難しい政治本から実用的なサバイバル本まで実に様々な本があった。

子供の頃は絵本代わりにそれらを読んで過ごしたせいか実に子供らしくない知識ばかりが増えた。周りの大人からするとさぞかしかわいげのない子供に見えたろう。

しかしそれ以外はとくに変わった事もない平凡な高校生をしていた。

そしてあの日、学校から家に帰った時に事件は起こった。普段なら家に帰れば新聞を広げた祖父が出迎えてくれるのだが、その日は違った。


奇妙に静かな夕時だった。


カラスの鳴き声、人の生活する音、虫のさえずり、どれもこれもぴたりと止んでいた。

妙な胸騒ぎがして自分の家なのに緊張から冷や汗がふき出る。

物音を立てないように慎重に家の中に入る。台所、居間、私室と順に見て回るがとくに変化も無いいつもの我が家だった。

自分の家でなにをビビっているんだとため息をつきながら日課である仏壇へ線香をあげようと仏間を空けた。



そこには外套を着た誰かがいた。



「ーーーは?」


思わずそう声が漏れた。

まずいと思った瞬間誰かはぐりんとこちらを振り返る。フードの中は不自然なまでに真っ黒で顔の輪郭さえ見えない。

ぱりん!と楠木がぼんやりとしている間に外套の人物は頭から窓に突っ込み外へと飛び出した。

楠木は視界の端で仏壇から形見の指輪が消えている事に気づく。考えるより先に足は走り出していた。

身体が傷つくのも構わず割れた窓から追いかける。外に続く石段で追いついた瞬間、体は宙を浮いていた。


(あっ、アホやったな)


外套の人物の背中にタックルをかました瞬間にそう思った。なぜならぶちかました場所がまさに階段の目の前だったから。

空中に身体が投げ出され、全てがスローモーションになる。

きらりと形見の指輪が宙を舞うのがひどくはっきりと見えた。

無我夢中で手を伸ばし指輪を掴んだ瞬間。




視界は闇に包まれた。





「と、まあそういう風なわけで・・・」


気づけばこちらの世界に、と楠木は締めくくった。

草原の真ん中にぽつりとあった林の中で二人はキャンプをしていた。

アルケイデスによるとこれも小規模な境域だという。

岩の隙間からこんこんと湧く水で思う存分のどを潤せたし身体も拭けた。枯れ枝でたき火が出来たおかげで夜の闇に怯える事もない。

昼間は境域でさんざん苦しめられたが、夜はこうして境域に助けられている。なんとも皮肉な話である。


「君は・・・、異世界人?」

「という事になるかと」


少し考えこんだあとアルケイデスは人には絶対に話さない方がいいよ言った。


「・・・大昔の話になるけど」


そう前置きしてたき火に枯れ枝を放り込む。パチリと火花が散り鎧を照らした。



1000年近く前。この大陸を支配した1人の王がいた。

名はソロモン。

知性に優れ、あらゆる魔術・錬金術を習得し、一柱いっちゅうで国を支配出来る程の力を持つ魔神、それを七十二柱従えた魔王。

とにかく荒唐無稽な伝説が多く残る反面、どんな容姿をしていたのかなど彼に関する記録はほとんど残されていないという不思議な人物。


しかし彼の記録が少ないだけが彼を知れない原因ではない。


ソロモンの時代。その全盛期。

唐突に光の柱がソロモンのいた都に降り注いだ。

首都は巨大な縦穴へと変貌し衝撃波は大陸の半分にまで及んだ。

その縦穴から強力な魔獣が大地を覆うように湧き出てソロモンが築いた文明はあっけなく崩壊した。

九十九日もの間、太陽は姿を見せず世界は夜に包まれた。人々はもはや神に祈るしかなくなった。

そして百日目。絶望する人々の前に神託を受けたという導師と四人の使徒が現れた。

彼は神から授かったという指輪を以ていくつも奇跡を起こし、四人の使徒はその強大な力で人々を救済した。秘蹟教会ひせききょうかいを設立した導師は生き残った人類をまとめ上げると長い戦いの末に二つの山脈を二つの長城で繋げる事で大穴を隔離する事に成功した。

そして大陸に平穏をもたらしたのだった。


秘蹟教会は言う。


あの大穴は異世界への干渉という神の領域を汚した人類への罰であると。そしてソロモンに関するあらゆる詮索せんさくを禁じた。

それにはもちろん異世界も含まれる。



話の間に燃え尽き初めたたき火に再び枝を放り込む。


「だから壁内と言うけど厳密には壁に囲まれている訳じゃないんだ」


もともと大穴の上下には三日月型の山脈があり、左右に開いた隙間に長城を築く事で穴を隔離した。

それら全てを壁と見立て内側を壁内と呼称するようになった。


「秘跡教会は大陸中で支持されているし、過激な派閥もあるからね」

「もし異世界人だってばれたら・・・、どうなるんですか?」

「よくて頭のおかしい人間として施設に拘束。最悪・・・斬首かな」


いや、それどっちも最悪やんけ・・・。

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