2話 南講義棟の噴水
史岐は、南講義棟の中庭にある噴水の前に利玖を連れて来た。一応、噴水と呼ばれてはいるが、観客を楽しませる意図は
小魚がひらひらと泳いでいるが、藻がはびこっているせいで昼間でも何となく暗い雰囲気があり、学生達からは敬遠されている場所だった。
「これを着けて話してみてくれる?」
噴水前のベンチに座ると、史岐は、黒い革製のストラップのような物を利玖に渡した。
使い方が分からずに利玖が持て余していると、史岐は指で自分の喉を示して「チョーカーだよ」と教えた。
「……あー、あ」
声が出た。
それだけ確認すると、利玖は立ち上がって一礼した。
「どうもありがとうございました、通りすがりの人。それでは」
「いやいや、待って。本当に」
史岐は、脱兎のごとく来た道を戻りかけた利玖の腕を掴んで、自分の方に引き戻した。
「変わってるね、君。根本的には、まだ何も解決していないよ」
「あなたの言葉を信じるかどうかはわたしが決めますが、今は
「ふうん……。でも、病院じゃ治せないと思うよ」
史岐は噴水に近づき、水面を指さした。
「知らずに騒ぎでも起こされたら
意味が分からない、という顔をしていると、史岐は含みのある笑みを浮かべた。
「普通に呼び集めるだけでいいよ。その声、人間には聞こえないだけだから」
利玖はすぐには動かなかった。史岐の言う通りにしてみるか、もう一度逃走を試みるか、しばらく悩んでいたが、結局、自分の体に起きている異変を
もともと少ない光を泥と藻がすっかり吸収しているせいで、まるで底無し沼のように見える。魚よりもっと怖い何かが上がってくるんじゃなかろうか、と横目で史岐を見たが、彼は黙って微笑んでいた。
利玖は覚悟を決めて、うなじに手を伸ばし、チョーカーの留め具を外した。
『おいで』
呼びかけて、少し待つと、あちこちの水面が突き上げられるように揺れ始めた。その動きはやがて一つの大きな波となって、利玖めがけて押し寄せてきた。
コンクリートにぶつかって、はね返った波の中から、絡まり合った藻とともにおびただしい数の魚の
「おっ、一度目で成功か。すごいね。君、素質あるんじゃない?」
利玖は必死に息を整えながら、もう一度チョーカーを着けた。
「人間と見れば餌を撒いてくれると思って
「魚はそうかもしれないね。だけど、あれは?」
「…………」
噴水の向かい側、ちょうど利玖の頭ぐらいの高さに茶色い
目を凝らして、何が靄を成しているのかわかった瞬間、利玖はとっさに口に手を押し当てて声が漏れるのを抑えていた。
それは、無数の羽虫の群れだった。
大部分を占めているのは
幾百もの虫の羽音が共鳴し合い、耳鳴りのように鼓膜に触れた途端、利玖は考えるより先に身を
「あ、逃げ──」
慌てた史岐の声が、一瞬で風音の後ろに遠ざかる。
「いや……、ていうか、
見かけで自分の身体能力を判断した者を
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます