必ず取りに行く。
増田朋美
必ず取りに行く。
3月も中旬を過ぎ、いよいよ卒業式とか、入学式が近づいてきた。とても楽しみな季節だけど、それが極端な負担になってしまう人も居ることも忘れては行けない。つまり全部の人が、卒業とか入学を楽しみにしているというわけではない。学校の先生ばかりが、嬉しいとかそういうことを感じているわけでは無いのである。中には複雑な感情を持っている人も、居るのかもしれないということである。
「こんにちは。水穂さんも皆も元気かい?だいぶ暖かくなって来たからさ。冷たい蕎麦でも食べようと思ってさ、蕎麦を買ってきたよ。ほら、みんなで食べよう。」
杉ちゃんがそういいながら、製鉄所の建物内にはいってきた。製鉄所と言っても、特に鉄を作るわけではない。居場所がない人達が、勉強や仕事をしている部屋を貸している福祉施設である。製鉄所という名前は、鉄のように強い心を持って生きるという事を象徴して、つけられたという。製鉄所の建物の特徴は、玄関に段差が設けられていないことだ。それのおかげで車椅子の杉ちゃんであっても、簡単に出入りできるようになっている。杉ちゃんは、簡単に建物に入り、食堂に行って、蕎麦を、テーブルの上においた。それを見た若い女性の利用者が、
「わあ、美味しそう。」
と、杉ちゃんに行った。
「おう、二八そばなんだけどね。ちょっと硬い蕎麦だけど、茹でれば美味しいはずだから、みんなで食べようぜ。」
杉ちゃんがそう言うと、
「ほんと、お昼になるのが楽しみだわ。」
別の利用者が言った。ところが、少し離れたテーブルに、中年の女性が一人座っていた。なんだか、安っぽいジャージに身を包み、とても辛そうな顔をしている。
「あいつは?」
杉ちゃんがその女性を顎で示した。
「ああ、昨日から、ここに通っている女性で、朝倉真由子さんというそうよ。」
と、初めの利用者がそういった。
「そうか。その新人会員にしては、なんだか年齢がありすぎるように見えるけど、、、。まあ、50過ぎたって女か。」
杉ちゃんがそう言うと、
「ええ、昨日ジョチさんと話していたのを聞いていたんですけどね。なんでも、息子さんと二人で来ていました。息子さんの話によれば、息子さんが中学校三年生のときに、ご主人が自殺してしまったそうで、そのショックが大きすぎたのでしょうか、ずっと足の痛みを訴えて、働きに行くこともできないそうなんです。」
と、二番目の利用者が言った。
「はあ、で、息子さんはどうしたの?」
と、杉ちゃんが聞くと、
「はい。結局高校に進学はできなかったそうで、今、宮大工をやっているとか。真由子さんは、息子さんに食べさせてもらっていて、恥ずかしいと泣いていました。」
と、最初の利用者が言った。
「はあ、宮大工ねえ。なりても少ないし、中卒でもできる仕事ですな。そういうことなら、息子さんは、ヤングケアラーということになるな。」
「そういうことになりますね。親御さんが知的障害があるとか、そういうケースと同じなんでしょうね。息子さんは、お母さんが少しでも体の痛みを取ってほしいと言っていたそうですが、痛み止めの薬をいくら飲んでもダメだし、足をいくら検査しても異常が見つからないそうなんです。かえって、異常があったほうが幸せだって、息子さんは言っていました。最近はもう死にたいと口にするようになったそうで、それで家に一人でおいておくわけにいかないので、こちらにこさせてくれとのことです。」
と、二番目の利用者が言った。
「そうか。もしかしたら、それは、線維なんとか症というものじゃないかな。僕も詳しく知らないけどさ。全身に激しい痛みが出る、精神疾患のことだよ。なんか、人から聞いた話では、末期がんと同じくらいの疼痛が出るらしいぜ。」
杉ちゃんは言った。
「そうなのねえ。つまり、心が痛いということになるのかな。あたしも、彼女のそばにいてあげたいと思うんだけどね。とにかく私達とは、一言も口を聞こうとしてくれないのよ。まあきっと足が痛いということもあるんでしょうけど、あたしたちのことを、嫌っているのかな。」
二番目の利用者が言った。
「まあ確かに、末期がんと同じくらいの痛みが出るんだったら、他人と喋る余裕もないかもしれない。」
と、杉ちゃんは、その女性をそっと見た。彼女は、下を向いたまま、黙っているだけであった。でも、杉ちゃんが、蕎麦を茹で始めて、蕎麦湯を取り、茹で上がった蕎麦を、ザルの上に乗せて、テーブルの上に置くと、真由子さんは蕎麦の方を向いてくれた。
「お、お前さんも、食べたいか?大丈夫だよ、お前さんのぶんもちゃんとあるからな。食べ物は食べないと生きていかれないからな。どんなに体が痛くても、食べるということはちゃんとしなくちゃだめだぜ。」
と、杉ちゃんが言うと、
「ああ、ありがとうございます。美味しそうな、蕎麦ですね。なんか、高級そうな蕎麦で。」
と、真由子さんは言った。
「何だ、全く口が聞けないわけじゃないじゃないか。それなら、ちゃんと喋ってくれよ。痛くても、頑張って意思を伝えることも大事だぜ。」
杉ちゃんがそう言うと、
「いえ、すみませんでした。あなたが、私の事を線維筋痛症とわかってくださったのが、嬉しかったんです。」
真由子さんは答えた。
「そうじゃなかったら何なんだよ。」
杉ちゃんが言うと、
「でも、多くの人は、私のことを、ただ助けが欲しくて足が痛いと嘘を言っていると言って、誰も信じてくれなかったんです。医者とか、看護師さんもそういうことを言うし。もう、踏んだり蹴ったりで。医療関係者の人になるほど、なんかそういう事を言うようになるんです。カウンセリングなどを受けたらどうかと息子にも言われましたけど、良くならなくて。痛みの原因も見つけられないし。どうしたらいいのかなと思って。息子にはずっと世話になりっぱなし。もう情けないですよね。」
と、真由子さんは答えた。
「うーんそうだねえ。でも、外国では、車椅子の親御さんと、健康な子供が一緒に散歩している例は、よくあることだぜ。」
杉ちゃんはそう言って片付けてしまったが、それは日本社会が、外国と比べて劣っていることでもある。
「でも、情けないですよ。息子に、食べさせてもらって、息子を学校に送ることだってできなかったんですもの。こんな病気になってしまって、私は何もできないですもの。」
真由子さんは、申し訳無さそうに言った。
「で、息子さんは、宮大工をやっているそうだけど、仕事はうまく行ってるの?」
杉ちゃんが聞くと、
「ええ、最近、もう一度高校へ行き直したいとかいい出しまして、私はなんにもお金も出せないけど、自分でなんとかするからいいって言い張って。私は、完全に晒し者です。勉強は決してできないわけじゃなかったから、中学校の先生には、奨学金貰えば高校に行けるって言われたこともあったんですけど。俺は、お母さんにこれ以上辛いおもいをさせるのであれば、働いたほうが良いって、そればっかり言ってました。本当に、親として何もできず、働くこともできず、恥ずかしい限りです。」
真由子さんは、小さな声で言った。
「恥ずかしいかあ。だけど、親が障害を持っているからって、恥ずかしがるような国家ばかりじゃないけどね。だって、誰だって一生健康なままでいられるとは限らないからね。それを恥ずかしいと思っていたら、僕らは破滅だぜ。」
杉ちゃんがそう言うと、
「でも、今も昔も変わらないですよね。親が無職だと、何も優しくしてはしてくれません。子供が居るのに、親として必要なことを何もしていないって、学校の先生からも随分叱られました。授業参観とかも行ったけど、他の同級生のお母さんは、きれいな格好をしているのに、私だけジャージ姿。とても恥ずかしいです。息子にはもう来ないでって、言われちゃうし。もう、生きているようで死ぬような存在です。」
と、真由子さんはそういった。
「まあ、そうだけど、お前さんは悪いやつじゃないよ。そうやって、息子さんのことを思ってあげてるんだから。僕だって、足が悪いし、いろんな人に世話になりっぱなしだけど、なりっぱなしだからこそ、生きなくちゃと思うんだよね。どうせ、僕にできることなんて、着物を縫うことだけしかできないけどね。」
杉ちゃんがそう言うと、真由子さんは表情を変えて、
「あの、お裁縫をやっていらっしゃる方ですか?」
と聞いた。
「ああ、そうだけど。でも洋裁屋では無いからね。僕は和裁屋で、着物を縫ったり、帯を縫ったりするだけのことだから。それ以外になんにもできないよ。」
杉ちゃんがそう言うと、
「そうですか。じゃあ、仕事仲間の方に、学ランに似たスーツを縫える方はいますか?」
真由子さんはそう聞いてくるのだった。
「学ランに似たスーツ。ああ、マオカラーのことね。そうだねえ、僕は知らないけどさ。ネットで調べてもらおうか。ただねえ、マオカラーというとね、暴力団の関係者とか、有名な俳優さんとかが着ているだけで、他の人にはほとんど知られていない衣服だからね。多分、学ランに似ているから作ってあげたいんだと思うけど、でも、そういうおっかない人と、勘違いされる可能性もあるよ。」
杉ちゃんがそう言うと、
「そうかも知れませんが、学ランを着たいのに、あのときできなかった息子です。今、通信制の高校に入学し直して、やっとやれなかったことを取り戻せると言って喜んでおります。ですが、その学校には、制服が全くないそうで。流石に、学ランを買うわけにはいかないでしょうから、似たものをプレゼントしてやりたいと思いまして。」
と、真由子さんは答えた。
「その気持もわからないわけでは無いけど、でも、余計なおせっかいはするなとか、言われてしまうのでは無いかな?そうするんだったら、マオカラーではなくて、普通のブレザーをプレゼントしたらどう?」
「いいじゃないの杉ちゃん。お母さんはきっと、自分のせいで学校に行けなかったと思っていると思うわよ。それをまたやり直そうとしているんだったら、ぜひ、親としては応援してやりたいって思うと思うわ。私だったら、遠慮しないで、息子さんにマオカラーをあげると思うけどな。そういうことなら、杉ちゃんのお知り合いの洋裁屋さんでも紹介して上げてよ。」
と、先程の最初の利用者がそういった。二番目の利用者も、
「そうよ。それに、着るもので意識が変わることは、杉ちゃんが一番よく知っているじゃないの。制服はそのためにあるんでしょ。だったら、それを作ってあげたいって言う気持ちは、叶えてあげたいわよ。」
という。杉ちゃんは、大変困ってしまった顔をして、
「そうだねえ。女心ってのは、よくわからないな。まあ、そういうことなら、ちょっと午後から、僕の知り合いの洋裁屋さんに行ってみる?あ、でも、お前さん、歩ける?」
と、真由子さんに聞いた。
「ええ、そんなに長距離は歩けないけど、、、。」
真由子さんが言うと、
「杉ちゃんがいつも使っている介護タクシー使えばそれでいいのでは?」
二番目の利用者がすぐいった。
「でもまだ難病として受容されている病気ではないし、障害者手帳の交付を受けることもできないわ。」
と、初めの利用者がスマートフォンでしらべながら言った。確かに線維筋痛症は、福祉制度から除外されてしまうことが多い。その理由はよくわからないけど、そうなってしまうようである。
「わかったよ。とりあえず僕の付添人ということにして、タクシーに乗ってもらおう。それでいいことにしよう。」
杉ちゃんはでかい声で言った。そして、利用者に、タクシー会社に電話してもらって、ワゴンタイプのタクシーを呼び出しそれに乗って、吉原本町通りにある、洋裁屋、伊藤洋裁店に連れて行ってもらった。洋裁店は、たしかに洋裁店と書いてあるけれど、普通の家のようで、一般の人が入るには問題ないのかもしれないが、杉ちゃんのような人には、入る余裕が無いようなところがある。二人は、その建物の玄関前でおろしてもらった。杉ちゃんは、でかい声で、
「こんにちはあ!誰かいませんか!」
と言った。すると、中年のおばさんが出てきて、
「なんですか。人の家の玄関先で大きな声を出して。」
と、近くの窓が開いて、中年の女性が顔を出した。
「あのすみませんがね。僕達、足が悪くて中に入れないんだけど、お前さんは、確か洋裁師の菊原益代さんだったよな。」
と、杉ちゃんが言った。
「そうですが、私の名前をなんで知っているのかしら?」
「だって、お前さんのことは、本やビデオでよく知ってるよ。それだけお前さんは名前が知られているじゃないかよ。だったらさ、お前さんに頼みがあるんだ。こいつの息子さんのために、マオカラーを一式作ってやってくれよ。どうせ、僕は歩けないし、こいつも足が悪くて階段を登れそうに無いんだ。だから、ここで申し訳ないけどさ。よろしく頼むよ。」
菊原さんがそう言うと、杉ちゃんは即答した。
「車椅子の方は、こちらには入れないことになっております。それに、私に頼むんだったら、ちゃんとお代を払ってくれますよね。」
と、菊原さんが言うと、
「いやあ、そこをなんとか、無料奉仕という形でやってくれないかな。ここにいる、朝倉真由子さんは、ちょっと事情があって、働けそうに無いんだ。なんでも、心が病気でね。足がずっと痛いんだって。なんでも、息子さんを高校にやれなかったそうだけど、今、宮大工をさせて、生活が楽になったところで、また行き直すんだって。それを祝いたいということだって。だから、作ってやってよ。よろしくおねがいします。」
と、杉ちゃんがそう返した。彼女は、障害者が堂々と依頼に来るなんてとてもありえないような感じの顔をしているが、
「お前さんだって、最愛の息子さんである人が、高校に入学し直すって言ったら、ちゃんと学ランでも作ってやりたいと思うだろう。だから頼むよ。」
「そうねえ。でも、代金が支払えない人に、頼まれても困るわ。」
菊原さんはそういうのであるが、
「そういう事言わないでさあ、このお母さんのためにやってもらえないだろうかな。ずっと無職で、生活保護を受けていたのかもしれないけどさ。それでも、彼女は、息子さんのことは一生懸命やっていたと思うんだけどなあ。それは、お前さんだって、女性であれば知っていると思うけど、、、。あ、それとも、お前さんは、そういう経験がなかったの?」
杉ちゃんはでかい声で言った。そういう経験がなかったということを言われてしまうと、菊原さんは更に嫌そうな顔をするのであるが、杉ちゃんはなおもしつこく、ここでお願いしたいと言うのだった。
「なあ頼むよ。どうせさ、マオカラーは何処にも売ってないよ。それに、学ランは現役年齢じゃないとできないだろ。それなら、似たようなものを作ってもらうしか無いんだ。僕は諦めないぜ。お前さんがちゃんと首を縦に振ってくれるまでな。」
と、杉ちゃんは話を続けるが、菊原さんは、窓を閉めようとした。すると、
「ちょっと待って下さい!」
と、真由子さんが声をあげた。
「確かに、私は、親らしいことを何もしていません。それに、ずっと無職ですし、働いた経験もありません。福祉制度に頼りながら生活していたのもまた事実です。ですが、私は、息子にできることはしてあげようと思ってきました。この足さえなかったら、きっと一生懸命働いていたと思います。ですが、その願いは叶いませんでした。息子には、本当は部活に打ち込んで、頑張ってもらいたかったけど、それを全部私のせいで、没収されてしまいました。本当に私は、申し訳ないことをしたと思っています。みんな私のせいで、普通の人生を歩くことをできなくさせられてしまったんです。ですが、今、息子は、再び学校に行こうとしてくれています。それを、親としては、できることをして、応援してあげたい。それは、いけないことでしょうか。できることをしてあげたいとおもっているだけです。」
しばらく、しいんとした長い時間がたった。真由子さんは、やっぱり無職の私には無理ですかねと杉ちゃんにいいかけると、玄関のドアががちゃんと開いた。
「いいわ、無料奉仕するわ。それで、何を作ればいいの?上がって話を聞かせて貰えない?」
菊原さんがそう言うが、
「いや、階段はふたりとも登れないのでねえ。」
杉ちゃんはカラカラと笑った。
「じゃあ、息子さんの既製服のサイズは?」
菊原さんは、ちょっと閉口したような感じで言った。
「はい。確か、Mサイズだったと思います。息子の洗濯物を干していたとき、表記がMと書いてありました。」
真由子さんは答える。
「まあ、洋服のサイズのことも知らなかったの?」
確かにこれは驚きであるが、真由子さんは小さく頷いた。
「足が痛いので、家事は、息子に任せっきりだったんです。」
「そうなのね。わかりました。じゃあ、色はどうしますか?」
真由子さんは、学ランと同様に黒にしたいといった。
「わかりました。じゃあ、とりあえず一着縫ってみますから、連絡先を教えていただきますか?」
「はい。私は、スマートフォンを持っていません。息子は持っていますけど。なにか連絡をするときは、息子のスマートフォンで連絡させてもらっていました。」
真由子さんは、正直に答えた。
「そういうことなら、僕に連絡してくれ。僕の番号は090、、、。」
杉ちゃんに言われて、菊原さんは一応、それをメモに取った。
「それで納期はどうします?」
菊原さんに言われて、真由子さんは、
「4月8日に入学式です。だからそれに間に合うように。」
と答えた。そうなると二週間程度しか無いのであるが、菊原さんは、
「わかりました。お急ぎのようですが、それでもやらせてもらいます。その日には間に合うようにするから、しばらくお待ち下さい。」
と、高慢な気持ちを砕かれたように言った。
「きっとだぜ!きっとだよ!」
と、杉ちゃんがでかい声で言った。真由子さんは、まだ彼女が期日を守ってくれるかどうか不安な様子であったが、
「きっと大丈夫だよ。」
と、杉ちゃんはにこやかに言った。
必ず取りに行く。 増田朋美 @masubuchi4996
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