悪役令嬢の友人に転生したからには、ヒロインに一矢報いたい!

守田優季

第1話

 お呼ばれしたお友達の12歳の誕生日パーティー。主役は大手食品メーカー、神楽坂グループのご令嬢、神楽坂茉莉花かぐらざかまりかさん。


 盛大なパーティーはどこもかしこもキラキラと輝いて見え、私はうきうきしながら、主役の登場を今か今かと待っていた。


 盛大な拍手が聞こえ、とうとう茉莉花さんのお出ましだ。


 茉莉花さんは華やかで上品な赤色のドレスを身にまとい、黒髪のウェーブがかかったロングヘアをツーサイドアップ にしてドレスとお揃いの赤色のレースのリボンをつけていた。


 茉莉花さんはいつも長く艶やかな黒髪をおろしていたので、髪をアレンジしている姿を見るのは初めてだった。


 それなのに。


 あれ? なんだろう、茉莉花さんの髪型を前にもどこかで見たような気がする。でもどこで?


 何故既視感を覚えたのだろう、と疑問に思ったのも束の間、頭に強い衝撃を受け、どっと何者かの記憶が堰を切ったように流れ込んできて、私は大声を上げた。


「ええっ!?」


 茉莉花さんって、あの茉莉花お嬢様!?


 突然叫んだ私を周りの人達は不審そうに一瞥したが、またすぐ茉莉花さんの方へと向き直った。


「どうしたの紗英さえ。具合でも悪いの?」


 隣に立っていたお母さんに心配され、大丈夫と答えたが、内心は全く大丈夫ではなかった。


 みんなは各々に乾杯をしたり、食事をとり始めたりしているが、私はそれどころではなかった。頭の中に、一気に前世の記憶が流れ込んできたのだ。


 私の名前は、由比ヶ崎紗英ゆいがさきさえ。小学六年生の12歳。神楽坂クループには到底及ばないけれど、そこそこ名の知れた家具メーカーの社長令嬢、お嬢様だ。


 そして由比ヶ崎紗英としてこの世界に生を受ける前、たしかに私は別の人間として別の世界で生きていた。


 名前は思い出せないけれど、性別は女で、たぶんごくごく平凡な家庭に生まれた。


 成績も運動神経もそこそこ。他の子と違うところといったら、母親が大の少女漫画好きで、その影響を受けて小さい頃から数え切れないほどの少女漫画を読んできた無類の少女漫画好き、ってことくらい。


 名作から最新のヒット作まで、なんでも読んだ。泣ける純愛も笑えるラブコメもなんでもござれ。


 そう、それが過去の私だった。成人してからも少女漫画愛は変わらず、結婚して生まれた娘にも英才教育(?)と称して沢山読ませていたはずだ。


 それが今、どうしたことかお気に入りだった漫画の一つ『恋して・ストロベリィ』の登場人物、神楽坂茉莉花(過去の回想シーンでみた幼少期の茉莉花)の友人になっているなんて。


 一体全体どういうこと!?


 頭が追いつかず、私は少し外の風にあたってくるとお母さんに告げて、華やかな会場をあとにした。



 ★



 流石は超大企業神楽坂グループのご令嬢の誕生日パーティー。休憩室として用意されたホテルの一室もすごく豪華だった。


 誰もいないことをいいことにふかふかのソファーに横たわり、頭を整理する。


 自分が『恋して・ストロベリィ』の世界にいるなんて、ひっくりかえってしまうほどの驚きだった。どうして今まで気づかなかったんだろう。


 この展開、いわゆる異世界転生ってやつだ。剣と魔法の世界とか、RPGとか乙女ゲームの世界の登場人物に生まれ変わっちゃった! ってやつ。


 まじかー。いや、たしかに憧れてはいたんだけど、でも実際本当に転生しちゃうなんて普通思わないじゃんね。あー、また心臓がバクバクしてきた。


 私は大きく深呼吸をしてから、もう一度前世の記憶を思い出そうとした。しかし、全然思い出すことができない。


 両親の顔も、旦那と娘の顔も、どんな暮らしをしてきたかも、何ひとつ。それどころか前世の自分の顔と名前ですら思い出そうとすればするほどどんどん薄れていく。それと比例して、頭に浮かぶのは『恋して・ストロベリィ』のストーリーだった。



『恋して・ストロベリィ』


 主人公の斎藤苺さいとういちごはちょっとドジだけど明るくて前向きな性格の高校生一年生!


 小さい頃一度だけ出会った憧れの男の子、通称王子様と再会すべく、有名なお金持ちが通う四条院学園高等部に入学する。


 幸運なことに入学早々、王子様と再会を果たすが、優しかった彼は他人を寄せ付けない孤高の一匹狼になっていた!


 過去のトラウマ(同級生の嫉妬による嫌がらせ、親族からの過大な期待、信頼していた家庭教師の裏切りなどなど)で他人を信じられなくなった元王子様の氷の心を苺ちゃんがゆっくりとかしていく、ザ・王道少女漫画。


 それが『恋して・ストロベリィ』なのだ。


 元王子様こと、一ノ瀬昴いちのせすばるは学年随一の秀才かつイケメンで、一ノ瀬財閥の御曹司。


 そしてその昴くんに長年片思いをしている、神楽坂グループの社長令嬢が茉莉花だ。黒髪のウェーブがかかったロングヘアをツーサイドアップ にして赤いレースのリボンをつけていて、肌は透き通るように白く、すらっとした体つきでモデルにも引けを取らない。美人だけれどすこし目尻が釣り上がってて、ちょっときつい印象をあたえる顔立ち。


 典型的なライバルキャラだよね。


 苺ちゃんは平均的な身長に、まっすぐストレートヘア、健康的な肌にタレ目がちな大きな目と、茉莉花と対照的な見た目だし。


 茉莉花が作中いつもつけてたリボンは今日付けていたリボンだったんだ。物持ちいいなぁ。物を大事にする子って好感度高いよね……ていうか、親に連れられて行った食事会やパーティーで何度か見かけた昴くんが、あの一ノ瀬昴くんだったとは。


 ああ、本当にここは漫画の中なんだと改めて実感してしまった。今までの出来事が『恋して・ストロベリィ』通称『恋スト』の世界での出来事だなんて、まだ信じられないけど、でも現実なんだ。


 前世を思い出してしまったからには、とりあえず『恋スト』の物語を思い出して、それから今後の身の振り方を考えよう。


 まず、私こと由比ヶ崎紗英って漫画に登場したっけ?


  正直、全然記憶にない。茉莉花さんや昴くんみたいにとびぬけた美貌があるわけでもないし、目立った特徴もない。名前だって作中に出てこなかったはず。


 モブってやつだ。そもそも作中にちらっとでも登場したかどうかすら怪しい。


 えーい。つぎつぎ!


 茉莉花について思いだそう。えーっと、そうだそうだ。茉莉花は最初、ヒーローとヒロインの中を邪魔する嫌なやつって印象で、嫌われキャラかと思ったんだけど、実は漫画を読み進めていくと、その第一印象は覆される。


 苺ちゃんの邪魔しようにも失敗つづき、しかも根はいい子でとても一途。そのポンコツ具合はむかつくどころか、可哀想と同情してしまう。ハイスペックでモテモテなのに一番好きな人には振り向いてもらえない、ちょっと残念なキャラクターだった。


 一見、美人でお金持ちでとっつきにくい印象のご令嬢だけれど、その実とってもナイーブかつおっちょこちょいで、いつの間にかヒロインそっちのけで頑張れ! と応援してしまうほどの愛らしさ、そして不憫さを兼ね備えていて、かなりキャラが濃いというか魅力的だった。キャラ人気投票でも3位だったし、私も『恋スト』のなかで一番茉莉花が好きだった。


 作中で茉莉花は何回か苺ちゃんにちょっとした嫌がらせをするんだけど、どがつくほどの天然かつ強運のヒロイン苺ちゃんには全くのノーダメージ。むしろプラスに働いてしまって、昴くんとの距離を近づけてしまうなんてことに。


 何をしてもヒロインに敵わない、一途な初恋は報われない。ああ、おいたわしや茉莉花お嬢様……ってなっちゃうくらいに、私は茉莉花に感情移入してたし、応援していた。


 勿論、嫌がらせはいけない事だ。でも、親が決めたとはいえ婚約者であり、長年の片想いの相手が、突然現れた女の子とくっついてしまうのは正直同情するし、少しくらい嫌がらせしても罰は当たらないよなぁ……と思ってしまう。


 長く片想いしている方が結ばれなきゃ駄目ってわけではないけれど、それでも、一途な女の子は可愛いし幸せになって欲しい。


 ほら、少女漫画でよくある、主人公のことがずっと昔から好きで、いつも見守ってくれていた優しい幼馴染くんが失恋して、高校で突然現れた俺様系男子とくっつくパターン。王道だし面白いんだけど、幼馴染くん推しだった私は涙なしでは読めなかったし、幼馴染くんを幸せにしたかった。


 たしかそういう立ち位置のキャラを当て馬っていうんだよね。報われてほしかった、切実に。茉莉花も確実に当て馬キャラだよね。


 ……そうだ!


 折角そんなポンコツ当て馬である茉莉花の友人ポジションに転生したなら、私が茉莉花のかわりに、苺ちゃんに一矢報いればいいんじゃないか!


 『恋スト』最終巻で苺ちゃんと昴くんの結婚式に涙を堪えて参加して、式が終わった後に誰もいないところで号泣してた茉莉花を思い出す。


 人知れず涙を流しながら、「わかっていたの。苺さんには敵わないって。でも、それでも、私だって昴さんが好きだった。どうしようもなく、好きだったの……」って呟くシーン。あれはすごく胸を締め付けられたっけ。


「よーし! 私が茉莉花の代わりに、苺ちゃんに一矢報いてやる!」


 私はそう高らかに宣言した。


 漫画で一度も成功しなかった、苺ちゃんへの嫌がらせを一回でいい、成功させる。


 といっても小心者の私に、大それたことはできそうにない。精々少しだけ、苺ちゃんについてないなぁと思わせられればいい。ちょっと憂さ晴らしするだけだもん。許されるよね?


 どうせ、昴くんと苺ちゃんはラストにはめでたくくっつくのだ。だったら心から祝福してあげられるように、茉莉花のわだかまりを払拭したい。ほんのちょっとの嫌がらせくらい、甘くみてもらえるよね?



 ★



 さてさて、苺ちゃんに一泡吹かせると決めて三年半の月日が過ぎ、私は四条院学園高等部一年生になりました。たった今、新入生の群れの中に苺ちゃんと昴くんを発見したよ。


 その間、茉莉花さんとの関係は初等部からの友人で取り巻きの一人って感じ。


 一緒に過ごしてみてわかったことだけど、茉莉花さんは漫画通りの人で、気高くて一見とっつきにくい印象をあたえるけど、根は優しくて、昴くんを一途に思い続けている可愛い女の子だった。


 もともと漫画のファンだったこともあり、茉莉花さんには紗英としての憧れと、前世の記憶からくる幸せになってほしいという親目線の感情といった、いろんな感情があって、全部含めて私は茉莉花さんのことがすごくすごーく好きだった。


 そして当然っちゃ当然だけど、苺ちゃんが本当に漫画のままの苺ちゃんでなんか感動してしまった。ここは漫画の世界なんだなあって改めて思う。三年半の歳月が、私をこの世界にすっかり順応させてしまったみたい。


 そして昴くんは流石ヒーロー。みんなの視線を独り占めしている。


 昴くんアイドル並みの集客力だなーとか、苺ちゃんはこれから前途多難な恋の道を進んでいくんだなとか思いつつ、私は気合いを入れる。


 さーて、私は私で頑張りますか!


 この高校生活において、嫌がらせが成功しそうなイベントはいくつかある。その中でもクラス合同調理実習と体育祭、創立記念パーティーの三つが茉莉花の登場するメインイベントだ。


 苺ちゃんと茉莉花はクラスが違うんだけど、クラス合同の調理実習でカップケーキを焼くことになって、茉莉花は苺ちゃんの使う塩と砂糖の容器を入れ替えておくという嫌がらせをする。


 苺ちゃんは昴くんにカップケーキを渡すと宣言してたのを茉莉花は聞いてたんだよね。だからしょっぱいケーキを渡させて、昴くんに幻滅されればいいって考えるんだ。


 けれど苺ちゃんがうっかり塩と砂糖を間違えていれたおかげで、結果的にちゃんと砂糖を入れることに成功して、茉莉花の嫌がらせは失敗に終わる。それが漫画での結末。


 失敗させようとしたのに成功へと導いてしまうなんて、なんてついてないの!


 まぁ、要するに何もしなければ苺ちゃんは勝手に砂糖と塩を間違えて入れるので、茉莉花が入れ替えたのをそっと直して元通りにしたらいい。楽チンだ。


 さてさて、調理実習は滞りなく進んでいき、私は茉莉花さんが入れ替えた砂糖と塩をそっと元に戻しておくことに難なく成功。ミッションコンプリート。調理実習は終了した。



 そして放課後。苺ちゃんはおそらく塩入りカップケーキを作りあげ、いままさに昴くんに渡すところ。私は木の影でこっそりその様子を伺っている。


 昴くんはもう大分苺ちゃんに気を許しているらしく、カップケーキを受け取ると、三つ入っているうちの一つを苺ちゃんに渡して一緒にベンチに座って食べ始めた。


「えっ! しょっぱいっ」


 苺ちゃんが叫んだ。その声に、よし! と私は小さくガッツポーズをする。


「砂糖と塩間違えたんだ! ごめんなさい!」


 謝る苺ちゃんをよそに、昴くんはもぐもぐと食べ続けている。あれー?


「意外といける」


「本当? 無理しなくていいんだよ?」


「無理なんかしてない。これはこれで、うん、うまいよ」


「えへへ、ありがとう」


 あー……。


 なるほどねぇ。なんか元の設定より糖度が二倍くらいになっちゃった感が否めない。まだ序盤のはずなのにラブラブですね……。


 苺ちゃんと昴くんは完全に二人の世界。えーっこんなんじゃ茉莉花さんがうかばれないよ! って、茉莉花さんは生きてるけど! うーん、一人ツッコミ虚しい。


 次よ、次!


 体育祭ではこうはいかないんだからね。



 ★



 体育祭は昴くんが無双しまくる。騎馬戦では誰よりもハチマキを集まるし、徒競走はぶっちぎりで一位だひ、リレーもアンカーで優勝だし。本当に、ザ・王道少女漫画のヒーローのお手本みたいな完璧超人だ。


 それに苺ちゃんと昴くんはこの体育祭でぐっと距離が縮まる。元々いい感じの雰囲気だった二人だけど、二人三脚でペアになり、一緒に練習するようになって、苺ちゃんの裏表のない真っ直ぐな性格にどんどん惹かれていく。


 大会当日に足を捻ってしまった苺ちゃんを支えて、「あんなに練習したんだから、棄権したくない。最後まで走りたい」という意思を尊重して、見事ゴールする姿はかっこよかった。


 そして体育祭の締め、男女混合フォークダンスで、曲の最後は好きな人とペアになって踊る伝統があるんだけど、そのペアを決めるときに茉莉花が苺ちゃんに、昴くんが中庭の方で待っていると嘘をつく。


 ラブラブな二人三脚をする二人を見て、悔しくて、悲しくて、ダンスだけは昴くんと踊りたいと思った茉莉花。


 この時もう既に諦めモードの茉莉花。最後に思い出が欲しかったんだけど、昴くんは茉莉花の誘いをバッサリ断る。茉莉花は俯いて、そういえば斎藤さんが中庭にいるのを見かけましたわと呟く。それを聞いて、一目散に走っていく昴くんを見て、唇を噛む。「どうして、私では駄目なの……」


 ……さて、どうしたものか。昴くんと茉莉花さんを踊らせてあげられたら、それが一番なんだけど、昴くんの性格を考えると苺ちゃんがフリーな状態で茉莉花さんがいくら誘っても断ると思うんだよね。


 となると、苺ちゃんが誘いを断ってくれたら良いんだけどそれもあり得ないだろうし。


「紗英。どうしたの? 考え込んでいるみたいだけど」


「茉莉花さん!」


 茉莉花さんに話しかけられて、びっくりしつつも顔がにやける。話しかけてもらえてうれしい。


 ああ体操服でも茉莉花さんは絵になる。すらっとした手足は日差しの中でより一層白く見えて綺麗。


 私が男だったら、茉莉花さんに誘われたら絶対に断ったりしないんだけどな。ガッツポーズ決めちゃうよ。


「大丈夫です。ちょっと暑くてぼーっとしてしまいました」


「そうなの? 水分補給はしてる? 喉が渇いていなくても、こまめにとらなきゃ駄目なのよ」


「はい!」


 私の元気の良い返事に、茉莉花さんはにっこり微笑んだ。


 茉莉花さんは本当に優しくて、私はそんな彼女を友人としてすごく好きで、だから協力したい。


 だけど、茉莉花さんの笑顔を見て、私がやろうとしていることは茉莉花さんのためとかじゃなくて、自己満足でしかないんじゃないかなって思えてきた。


 勝手に茉莉花さんを応援して、苺ちゃんに一矢報いたいのは、私の勝手なんじゃないかって。


 ちゃんと思い返してみると、漫画のカップケーキの回で、ちゃんと砂糖のはいったケーキを渡せたことを知って、茉莉花は安堵していたじゃないか。嫌がらせが失敗して悔しいのと同時に、ホッと安堵した表情を浮かべていた。


 それはこの世界でも同じで、昴くんが塩入りカップケーキを食べ切ったこと、苺ちゃんが嬉しそうだったことを知って、やはり同じように胸をなでおろしていたじゃないか。


 茉莉花は悪役をするにはあまりに優しすぎる。だからこそ、私はこんなにも彼女の肩を持ってしまっているんじゃないか。


 茉莉花に、茉莉花さんに報われて欲しい。


 でも人の心はそう簡単に変えられない。私の本音は、茉莉花さんが悲しむのが嫌で、ずっと笑顔でいて欲しい、なんだ。


 茉莉花はずっと苺ちゃんに真っ向から立ち向かわなかった。彼女のプライドがそれを拒んだのかもしれない。


 だったら、私にできることなんて一つしかない。


 ★



 体育祭もとうとう終盤。フォークダンスが始まる。


 苺ちゃんと昴くんの二人組がまわりの視線を独占しながら、運動場の中央へと歩き出した。


 そう、漫画通りのシナリオ。でも、これで終わりじゃない。私は目的の場所を目指して、走る。


 私には、私にだけは、茉莉花さんが今どこにいるかわかる。


 漫画では昴くんに断られた茉莉花は一人屋上で、運動場のフォークダンスを眺めるのだ。


 そして「私なんかより、ずっとお似合い。わかっていても、どうしようもないの……」とつぶやく。


 目指す先は屋上。


 行って、私に何ができるかはわからない。


 だけど、だけどね。私は茉莉花さんのほうが苺ちゃんよりずっと、ずーっと昴くんにお似合いだって思うの。


 どうしようもないこと、たくさんあるけど、一人で抱え込まなくてもいいんだよって、私は茉莉花さんのことが好きだよって、なんの慰めにもならないかもしれないけど、ずっと応援してきたんだよって。


 伝えたい。


 これも自己満足かもしれない。迷惑かもしれない。


 でもね。


 せっかく友達になれたんだから。前は見ていることしかできなかった。紙面の中、泣いているのを見ているだけで声をかけることも、触れることもできなかった。


 それが今、言葉を交わし、その手に触れることが叶う。それなのに、どうして手を伸ばさずにいられるというの。


 私は屋上の扉を開けた。


 澄み切った空の中、一人の女子生徒の後ろ姿が目に入った。黒い長い髪が風にそよいでいる。フェンスの間からは、きっと運動場が見渡せるんだろう。


 私は、驚かせないように慎重に、それでいてしっかりと一歩一歩茉莉花さんに近づいていく。


「……よくここがわかったわね。紗英」


 振り向くことなく言い当てられ、動きが止まる。バクバクと心臓の音がうるさい。


「紗英って、本当に……」


 そう呟くと、茉莉花さんは押し黙った。


「茉莉花さん、あの……私」


 走ってきたから息が荒い。緊張で口が乾いてうまく言葉が紡げない。首筋に汗が伝う。だんだんと頭が真っ白になり、私は俯いた。


「もう、水分補給しなさいって言ったでしょう」


 顔をあげるとスポーツドリンクが差し出されている。柔らかく微笑む茉莉花さんと目が合った。


「あ……ありがとう、ございます」


 受け取ると、目頭がじわっと熱くなるのを感じた。


「私、振られてしまったの」


 さらりと、まるでなんでもないことのように発せられたその一言に、私の心臓が止まりそうになった。ペットボトルを強く握りしめ、次の言葉を待つ。


「言わなくても、一目瞭然よね。あそこ、昴さんと斎藤さんが躍っているの。本当によくお似合いだもの。そう、わたしなんかより、ずっとお似合い」


「わっ私は、ぜっ絶対、茉莉花さんのほうが! ずっとずっとお似合いだと思います!」


 ほとんど反射的に、叫ぶように、本音を告げた。


 私の言葉に、目の前の彼女の大きな目がさらに大きく開かれる。わずかな沈黙の後、


「ふっ、ふふっ」


 口元に手を当てて、無邪気に彼女は笑った。普段の上品な微笑みとは違い、まるで幼い子供のような笑い方だった。


 茉莉花さんの笑い声に、私は困惑してしまう。


「本当に、紗英は私のこと好きよね」


「えっ」


 頬が一瞬で熱を持つのを感じる。恥ずかしい。ばればれだった?


「紗英って不思議。私のこと、慕っていますって羨望の眼差しで見ている時もあれば、親みたいな慈愛の眼差しで見つめてくることもあるし、私が失敗するとほら見たことかってまるでわかっていたみたいな反応をすることもあるわよね。本当、面白い」


「そ、それは……」


「ありがとう、紗英。心配してきてくれたんでしょう? ここにいるってよくわかったわね。本当に、紗英は私のこと何でもお見通しみたい」


 お礼を言われ、胸がぎゅっと締め付けられる。失恋して、自分が一番つらいはずなのに気丈に振る舞う。そういうところが、私は……。


「私はただ、茉莉花さんが、とっても大切なお友達だから、つらいとき悲しいとき寄り添えたらって思って……。おこがましいってわかってるんです! でも、もし必要としてもらえるんだったら、私駆けつけるので!」


 言えた。後悔はない。私はきっとこの言葉を伝えるためにこの世界に生まれてきたんじゃないかなって、思うから。


「……うれしい」


 ぽつりと零れ落ちたような茉莉花さんの言葉に、私は泣きそうになる。


「私、面と向かってお友達って言われたの初めてよ。皆さん親切にしてくれるけれど、どこか遠巻きにされて、気を使われて……。私、自分でも気が付かなかったけれど、寂しかったのかしら。だから、すごくうれしい」


「茉莉花さん……」


「お友達なのに、さん付けは他人行儀ではないかしら。茉莉花って呼んで」


「ま、茉莉花」


「家族以外に呼ばれるのも初めてよ。ふふっ、なんだかこそばゆいわ」


 そう言って照れ臭そうに笑う茉莉花さんは、漫画で見たことのない表情で、それを私の言葉によって引き出されたものだと思うとすごくうれしかった。


「ねぇ、もうすぐフォークダンスが終わるけど、一曲踊ってくださらない?」


「えっ! わ、私でいいんですか?」


「ええ。私、昴さんと最後に思い出が欲しかったの。そうしたら、すっぱり諦められると思って。でも、はっきりと断られて今はそれで良かったと思っているの。だって、昴さんは私の気持ちに誠実に答えてくれたってことだもの。それにね、私」


 ぎゅっと手を握られて、


「お友達とこうやってはしゃぐの、一度やってみたかったの!」


 ぐいっと引っ張られ、くるりと回転した。茉莉花の屈託のない笑顔に、つられて私も笑顔になる。


 そのまま私たちは、くるくるくるくる回り続けた。



 ★



 茉莉花の登場するメインイベントのラスト、創立記念パーティーでは漫画では茉莉花は苺ちゃんのドレスに水をかけてしまうが、やり過ぎてしまったと反省し、替わりのドレスを用意してあげる。とても素敵な苺ちゃんが最初に着てたのとは正直比べ物にならないくらいのドレスを。


 でもこのイベントはこの世界では起きなかった。


 茉莉花がドレスを苺ちゃんに貸すのは一緒だけど、その経緯が違う。


 今現在、茉莉花と苺ちゃんは、正直私が焼きもちを焼いてしまうくらい仲良くなった。


 もともと苺ちゃんは茉莉花に憧れていて、ずっとお近づきになりたかったらしい。


 確かに漫画でも、素敵な人、綺麗な人、あんな風になりたいってモノローグがたくさんあったけど、最後まで二人が友人になる展開はなかった。


 でもこの世界では、昴くんへの思いを吹っ切り、和解。茉莉花が昴くんと一緒に婚約解消したい旨を両親に伝え、大変だったみたいだけど無事両親の理解を得ることができ、苺ちゃんと結ばれる後押しをしたのだった。


 身分差に悩む苺ちゃんを励ましたり、昴くんの相談にのったり、二人はすっかり茉莉花と仲良しだ。要するに、苺ちゃんも昴くんも茉莉花の魅力に気づいたってこと。それがうれしい反面、さみしかったりして……。


 物語が漫画のシナリオからはずれて、これからどうなっていくのかはわからない。


 結局、当初の目的だった「ヒロインに一矢報いる」ことはできなかったけど。


「紗英ちゃん、どうして紗英ちゃんだけが茉莉花さんと名前で呼び合ってるの?」


「え?」


 苺ちゃんに突然そう聞かれて、少し考えこむ。


「紗英ちゃんだけだよね。いいな~」


「秘密」


「え~なにそれ!」


「ふふっ」


 頬を膨らます苺ちゃんに、心の中でつぶやく。


 ごめんね。でも、これくらいの意地悪ならいいよね?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪役令嬢の友人に転生したからには、ヒロインに一矢報いたい! 守田優季 @goda0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ