立つ鳥跡を濁さず

「ね、君!朝夕君、だったよね?」


 隊員全員を含めた合同の鍛錬を終えた後に、紡が己の教官が穿った穴ボコをシャベルで埋めていると、不意に後ろから声をかけられた。


「はい。ええと、朝に門でお会いした……」

「柴田駒彦。好きに呼んでくれていいよ」


 にこにこと人懐こそうな笑顔を浮かべた彼は、紡の作業を手伝ってくれるつもりのようで、自らもバケツとシャベルを抱えていた。


「さっき、凄かったね!オレ、もう何年かここに居るんだけど……あんまり戦闘実技で強くなれなくてさ。」

「いえ。手酷く負けてしまって、少し恥ずかしいです。」

「そんな事ないよ、オレは隊長相手にあんなに長く保たないもん。」


 駒彦は見るからに穏やかそうな人物で、紡には、彼が『反乱軍』という名の団体に所属したがる人間には思えなかった。

 それでも何年も活動していると言うのだから、きっと彼なりの理由があるのだろう。


「あのさ、朝夕君は皇宮警察学校に通ってるんだよね?」

「はい。今年入学しました。」

「なら、もしかして柴田瓢介っていう生徒を知ってる?」


 紡は突然駒彦が口にした、聞きなれたその名前にきょとんとする。

 その反応から、きっと知った名前だったのだろうと判断した駒彦は言葉を続けた。


「オレの弟なんだ。ちょっと事情があって警察学校に入る事になったみたいだけど……元気、だった?」


 少し言葉を濁しながらそう尋ねる駒彦。

 確かに言われてみれば、顔立ちや外見が少し似ているような気もした。

 紡は訳ありげな彼の様子に少し戸惑うが、素直に頷く。


「はい。……勉学に対しては少し不真面目ですが、何事にも物怖じせず通学していますよ。」

「そっか、あいつらしいや。」


 駒彦は、紡の言葉に小さく笑い声を上げた。


「厚かましいお願いで申し訳ないんだけど、出来ればこれからも瓢介と仲良くしてやってほしいんだ。……お礼は、いつか絶対にするから。」

「お気になさらないでください。その、友人として彼には感謝していますから。」


 確かに、紡は不真面目な瓢介の言動にげんなりとさせられる事は多々ある。

 それでも、自らの目標に遅々として辿り着けない苛立ちを抱える紡に、ある種の気の緩みを与えてくれているのも事実である。


「朝夕君は良い子だね。」


 微笑む駒彦に紡は何だか面映い心地になりながら、有難うございます、と返す。


「ね。迷惑じゃなければ作業続けながら、話し相手になってもいい?」

「はい、俺は構いませんよ。」


 無邪気な駒彦の言動に悪い気はしなかったので、紡は特に迷う事もなく頷く。

 それから暫く、二人で他愛のない話をしていると、遠くから逆波のけたたましい笑い声と静寂の怒鳴り声が聞こえてくる。

 また何をしているのやら、と紡が頭を痛めていると、その隣で駒彦がぽつりと呟いた。


「オレも朝夕君くらい強くなれていたら、もう少し先輩の近くに居られたのかなぁ……。」

「え?」

「ううん、何でもない。」


 首を傾げていた紡だったが、ふと門の前でのやりとりを思い出し……彼の言う『先輩』が静寂の事を指している事に気がつく。

 ただ、何と言ってやって良いものか分からず、紡はただ真意が理解出来なかった振りをしていた。


「朝夕君はさ、何かで一番になりたいって思った事ある?」

「はい、俺は剣術をやっていましたので……大会に出る時は、やはり勝ちたいと思いました。」

「そっか。じゃあ、それの諦め方って知ってる?」

「諦め方……ですか。」


 妙な事を訊く駒彦に、紡は怪訝な顔をする。

 望みの諦め方。望みを諦めなければならない状況って、何だろうと紡は考えた。


 例えば、どうしようもなく強大な相手が居て、一縷の勝機すら存在しない状況だったり。

 自分がその望みを諦めた方が、万事が上手くいく状況だったり、そういう物に直面した時だろうか。


 絃の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 一年前に彼女の存在が、超自然的なものである事を知り……その命がいつ尽きてしまうか分からない状況だということも口伝された。

 明らかに紡の手には余る事態である。

 それでも紡は絃と繋いだ手を、はいそうですか、と言って放す事はできない。


「……俺は利口じゃありませんから、そんな方法は知らないです。」

「そっか。落ち着いた人に見えたから、ちょっと意外だな。」


 そう言って、駒彦が少し寂しそうに笑ったのが印象的だった。


「オレもなんだ。良い後輩に戻るって、自分から約束したのにな……。」


 紡は、運命共同体として二人で共に戦う銕と静寂の姿を思い出す。

 自分と絃の様に、彼らはきっと、他の人間とは異なる強い絆で結ばれているのだろう。

 紡から見ても、二人の間に目の前の青年が入る余地など、どこにもないように思えてならなかった。


 それからは会話もなく、二人で鍛錬場の土を片付けて、紡は帰り支度をする。

 どこを暴れ回っていたのか、身体中泥だらけにして頭に木の葉をつけた逆波と合流し、門へと向かった。


 見送りに来てくれたのか、それとも逆波が余計な事をしない様に出ていくまで監視しているのか、銕と静寂が門の前まで付いてくる。

 銕はデスクワークをしているところを静寂に連れてこられたのか、手には書類と万年筆を持ったままであった。


「本日は突然申し訳ありませんでした。……ですが皆さんとご一緒できて、とても良い経験になりました。ありがとうございました。」


 逆波が何も言わずにぼうっと突っ立っているので、紡が代わりにそう述べ、頭を下げる。

 しかし、代表者であるはずの銕も黙ったままじっと紡たちの方を見ているだけだった。


「……先輩。」

「何だ。」

「何だ、じゃありませんって!何か一つくらい言う事があるでしょ!?」

「おつかれ。じゃあ、俺は仕事に戻るから、後はよろしくな。」

「ちょっとーー!?」

「ひとこと言っただろ。」


 掴みかかる静寂をひょいと避けて、銕はそのまま執務室の方へと帰って行った。

 その様子を見て、逆波はゲラゲラと笑い声を上げている。


「流石にあれはないだろ!なぁ朝夕!?」

「貴女はそのひとことすら無かったじゃないですか。」


 バッサリと切り捨てる紡。

 そんな二人の元に、トボトボと静寂が帰ってくる。


「はぁ……。先輩がごめんなさい。」

「あいつはそういう男だ。気にしておらんよ。」

「いや、あんたには全く申し訳なく思ってないです。」


 態度をころりと変えて、逆波を睨みつける静寂。

 結局この二人もどういう関係なのか、最後まで良く分からなかったが……それなりに仲は良いのだろう。多分。紡はそう思おうとする。


「紡くん、もしもこの変態に嫌な事をされたら、我慢せずに直ぐに周りの大人に言うんだよ。」

「は、はい……ありがとうございます。」

「失敬な、あれ程お前だけだと言ったのに。」


 二年前のイメージを引きずられているのか、静寂に幼子を見る様な目を向けられた紡は、なんとも言えない心地になった。

 逆波は静寂との別れが不服そうであったが、日が傾いて帰路が赤く染まるのを見ると、提出した外出申請の期限が迫っているのは明白だった。


 静寂は半ば強引に門を閉めて施錠をし、紡に向けて手を振る。

 紡は頭を下げ、逆波は元気よく手を大きく振りながら、その場を後にするのであった。

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