楽しい手合わせ

「はは、ははは!久しいな、静寂!お前とこうして鍔迫り合いをするだけで、嬉しくて失禁してしまいそうだ!」

「はぁ!?気持ち悪ッ!?」


 静寂は、逆波のそんな変態じみた言葉を聞いて青冷めた。

 即座に自身の握る模擬刀の角度を変え、相手の刃を流し、そのまま距離を取る。

 静寂の履くブーツの踵が砂利を散らし、細かな砂埃が散った。


 鍛錬場……もとい、アパルトメントの中庭で始まった逆波と静寂の手合わせを、反乱軍のメンバーの殆どが野次馬となって見守っていた。

 突然現れた女が自分たちの良く知る上官に絡み始め、打ち合い始めるというだけでも中々に面白い光景だが……まぁ、若い衆が破廉恥な格好をした美女に興味を持つのは仕方のない事なのだろう。

 彼ら自身が近い未来、その女に地獄を見せられるという事はまだ知る由もない。


 ……それとはまた別に、明らかに常人ではないその女と静寂がまともに渡り合っている光景というのも、隊員たちの目を引くものであった。

 時折、静寂と銕が手合わせをする姿は彼らも目にしていたが……自分たちを指導する際と同様に、銕は自ら打ち込むというよりは相手の攻撃を受け留めたのに対し、返す刀で反撃するイメージが強い。

 指導するに当たってはその方が適切だからという理由なのかも知れないが、明らかに逆波のスタイルはそれと異なっていた。


 流石に背負った大太刀を使おうとはしなかったようだが、力強く振り抜かれるその模造刀の一太刀は、身に受ければ骨の一本や二本は持って行かれるのではないかという威力を伴っている。

 そんな猛攻が息をつく間も無く繰り出されるが、静寂は慣れた様子で襲い来る刃を的確に捌いていた。


「訓練刀と言っても備品なんです!傷むような使い方しないでくれませんか!?」

「傷むかどうかは受け手次第だろう。とはいえ最低限、折らない様には気を付けるさ。お前の機嫌を損ねたくはないからな!」

「もうとっくに損ねてますけど!」


 そんな言葉すら刃と共に交える二人を、取り巻きは呆気にとられた様子で見守っている。

 そして紡もその中の一人であった。

 静寂は元軍人といえど女性であるし、迎撃戦に参加するのもシースとしての立場だ。

 故に紡は、彼女に対してこれ程までに戦えるイメージは持っていなかったのだが……その認識は今現在をもって改める事となった。


 しばらく防御を続けていた静寂だが、逆波の打ち込みに僅かな隙を見つけ、頭上から叩き込まれた一撃に、上段に構えた自身の刀の『腹』を滑り込ませる。

 そしてそのまま、片手を軸にして『てこ』のように力を込めると、逆波の両腕ごと刀が彼女の後方へ跳ね返った。

 きょとんとした表情の逆波に、静寂は気を抜く事なく反撃を叩き込む。

 決まった、とその様子を見ていた誰しもが思った時だった。


「……ふっ!」


 くるりと身を翻した逆波が、体を折りたたんだかと思うと……目にも止まらぬ速さの回し蹴りで静寂の刀を弾き飛ばしたのだった。

 刀はくるくると回転しながら、少し離れたところに設置されていた花壇に突き刺さる。

 悔しそうな顔をして刀を拾いに走る静寂の背を見ながら、逆波は激しく動いて乱れた髪を整えた。


「はぁ、あの場面で仕掛けてくるとは。銕の指導の成果というやつか?妬けるな」


 言葉の内容とは裏腹に、どこか嬉しそうな逆波の表情。

 模造刀を鞘に納め、戻ってきた静寂と向かい合って立つ。


「……ありがとうございました。」

「永き時に、感謝を。」


 口々に述べて、頭を下げる。

 顔を上げた逆波は先程とは打って変わり……『悪い意味で』嬉しそうに笑っていた。


「さて静寂。稽古終わりの抱擁だ。懐かしいなぁ!?」

「いや、やりませんよ?汗臭いから絶対嫌です。」

「そう言わず、な?一回だけ、なんならほら、ちょっと身を寄せるだけで良いから」

「寄るな暑苦しい!というか、まさか紡くんにも要求してる訳じゃないでしょうね!?」

「は?何故あんなむさ苦しい輩を抱いてやらねばならんのだ。つまりはお前だけだぞ、静寂♡」

「くそ、政府がまともなら出るところ出てやるのに……!!」


 まとわりつこうとする逆波の顔面を手で押し除けながら、静寂は悪態をついた。

 しばらく団子のようになっていた二人だが、逆波はようやく諦めたのか、静寂から身を離すと何事も無かったかのように澄ました顔で腕を組む。


「さて、お前達も見ているだけではつまらなかったろう。ギャラリー達を退屈させる前に何か始めておけ」


 逆波達が『お前達』と呼び掛けた先は、紡と銕の二人である。

 静寂と逆波の剣戟に見入っていた紡は、ハッとして隣の男の顔を見た。


 銕は、無言のまま前へと歩いていく。

 紡は貸与された模造刀を確かめ、慌ててその後を追った。


「……よろしくお願いします。」


 紡が頭を下げると、銕は何も言わずに礼をして応えた。

 紡よりも随分高い所にあるその顔は、いつも通り無表情である。


 少し待ってみるが、銕は刀を抜こうとしない。

 きっとそれは、先に打ち込んでこいという意味なのだろうと、紡は受け取った。


 戦闘の技術においては、相手が自分より格上なのは疑いようもない。

 銕にはかつて軍人として本物の戦場を駆けた経験があるというだけではなく、紡が迎撃戦で肩を並べた際に感じた、彼の持つ圧倒的な『センス』を覚えていたからだ。


 それならばいっそ、ここは胸を借りるつもりで飛び込んでみよう。

 そう思い、紡は刀を構え直す。

 紡の様子から何かを察したのか、銕は僅かに重心の位置を変えた。


 次の瞬間、力強い踏み込みと共に紡が刀を振るう。

 予想していた事だが、銕は目にも止まらぬ速さで抜刀し、その一撃を受け止めた。

 この距離であれば、有利なのは応じ技に長けている銕の方だ。

 紡はそう判断し、剣先で牽制しながら後ろへと下がった。


「……。」


 銕は何かを思案した様子で、今度は自ら前に出る。


 ……速い!

 瞬時に肉薄する黒い影と刀身。

 今の位置では攻撃を受けきれないと判断した紡は、咄嗟に斜め前方へと受け身を取りながら転がって回避する。

 それから即座に体勢を整えて、銕の方を見た。


 銕はまるで獣のような判断力で身を翻し、姿勢を低くしていた紡へ回し蹴りを喰らわせようとしていた。

 うわっ、と小さく声を漏らしながら、咄嗟にそれを左腕で受け止める。

 腕がじいん、と重く痺れ、紡は判断の誤りを自覚した。


 とにかく今は距離を取らなければ、どうする事もできない。

 そう考えた紡は銕の脚を振り払い、後方へと跳躍する。


 そして息を整えながら刀を握り直そうとするが、思った通り左手に上手く力が入らない。

 利き手でなかっただけまだマシなのかも知れないが……これではやれる事も限られてくるだろう。

 片腕では刀を振り上げて打ち込むのは難しい。威力もスピードも、きっと取るに足らないものになってしまう。


「どうした、降参か?」

「いえ、まだ行けます!」


 状況を理解しているらしい銕がそう問いかけてくるが、紡は迷わず首を横に振った。


 ……片腕が使えないなら、他に『使えるもの』で戦うしかない。

 紡は、不意に刀を下段に構える。

 銕はそれを物珍しげに眺めていた。


 一度大きく深呼吸をした紡は、かつて麟と交わした会話を思い出す。


『側からは腕力を使っているように見えるかも知れないけど……一番大事なのは、体の開きなんだ。』

『多分、紡よりも俺は随分非力だと思うよ。それでも当てる位置と身体の使い方さえ分かっていれば、何倍も大きな相手を吹き飛ばす事も出来る。紡にも、覚えがあるだろ?』

『俺が持つ中で唯一、父上に勝てる技。君に教えてあげる。』


 共に稽古を繰り返した友人との日々の中に、一つだけ今の自分にでも出来ることを見出した。


 狙うのは、胸骨の中心。

 腕の力を抜き、右足を前に出す。

 幸い、兼ねてより剣道においても踏み込みからの打突を得意としていた紡は、脚力にだけは自信がある。

 今は少し銕との間に距離があるが、十分切先が届く範囲だ。


 短く息を吐き、紡は勢い良く前に出た。

 その直後、即座に体を開き、顔の横に刀を構える。

 続いて腰を回転させ、正面に向ける勢いを利用し……刀を目にも止まらぬ速さで突き出した。


 銕は半歩左へと身体をずらし、その攻撃を避ける。

 その際に切先が肩口を掠め、布地に僅かな傷を付けた。

 しかしそれを気に留める事なく、銕は握っていた刀の峰を紡の横腹に叩き込む。


 横殴りにされた紡は、その威力に踏みとどまる事ができずに倒れ、そのまま地面を数度転がる。

 刀は決して手放さずに握ったままだったが、激痛に呻き声を上げるのが精一杯で、立ち上がることは出来ない。


「おい、大丈夫か。」

「は、はい……」


 銕は蹲る紡に歩み寄り、手を差し伸べる。

 彼の行動を紡は少し意外に思ったが、自力で立つのは難しそうだったので、有り難くその手を取った。


「武道に囚われるな。戦いでは、判定等というものはない。腕や脚を取られて動けなくなれば、そのまま死ぬだけだ。」

「……はい。仰る通りです。」


 紡は銕の言葉に耳が痛くなる。

 長年、武道としての剣術に通じてきた経験から、どうしても頭や小手、咽頭への防御に意識が向いてしまうところがある。

 時には間違っていないのかもしれないが……だからといって、それ以外の部分を晒して居れば、実戦では命取りになる事に違いない。


 紡が反省を行っていると、ぽん、と頭に軽い感触がある。

 すぐに離れて行ったそれが銕の掌である事に気付いたのは、数秒経ってからの事だった。


「だが、荒削りの割に悪くはなかった。これからも励め。」

「は、はい!ありがとうございました!」


 紡は、銕の言葉にこそばゆい気持ちを抱えながら勢い良く頭を下げた。

 その時に脇腹の打ち身が痛んだのはご愛嬌である。


「おい、逆波。次はテメェが相手しろ。」

「このせっかちめ、まぁ約束は約束だからな。不本意だが、仕方ないので遊んでやる。」


 外野から歩み寄ってきた逆波が、紡の両肩を掴んでくるりと後ろを向かせ、そのまま腰を足の裏で蹴り飛ばす。


 不服を申し立てようとした紡が肩越しに振り返ると、逆波はニッと笑いかけてきた。

 紡はその意味を計りかねたが、これから始まるであろう大立ち回りに巻き込まれては敵わないので、さっさとその場から退場する事にした。


 ……しかしその直後、大勢の前で鍛錬場にいくつも穴が開くことになるとは、紡を含めた他の誰にも予想出来なかったに違いない。

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