交渉

 二人並んだ銕と静寂、机を挟んで向いのソファに座る紡と逆波。

 紡にとって、その場はこの上なく居心地の悪い環境であった。

 以前から何度か迎撃戦で共に戦った銕は、毎度のことだが何を考えているのか全く読めない鉄仮面である。

 静寂は明らかに気が立っているようで、やたらと上機嫌な逆波の行動を一つたりとも見逃すまいと睨みを効かせ続けている。


「……ええと、頂きます。」


 紡は遠慮がちに、目の前に出された湯呑みを手に取った。

 色や香りから上等な茶葉を使っていることが分かるのに、状況のせいか味がしない。


「で?一体何をしに来たんですか。というか、どうしてここが?もしかして上からの指示です?」

「静寂の居場所を突き止めたのは私の執念だ。上の輩などに伝える筈ないだろう、なぜ可愛い弟子の身柄をゴロツキどもに売らねばならんのだ」

「可愛がられた記憶なんてないですけど」

「下手な照れ隠しも愛いな」

「私と会話する気あります?」


 刺々しい静寂の声を全く意に介さず、逆波は寛いだ様子で脚を組み直した。


「何を警戒しているのか知らんが、私の目的はお前と『遊ぶ』ことだけだ。シンプルだろう?」

「嫌です。」

「なんと、即答するとは。」


 食い気味に答えた静寂を見て、逆波はにやにやと笑っている。

 紡はそれを見て本当に面倒な人だな、と思うと同時に、自分に対する彼女の興味はほんの薄いものであったという事を実感した。


「いのが断るなら俺の相手をしろ。」

「嫌だ。」

「即答するな。」

「お前は常に毅然とした態度を取るからつまらん」


 隣に座っていた銕がいつになく意欲的な態度で名乗り出るが、逆波は床に溢した牛乳を見るような顔で首を横に振った。

 ……何とも需要と供給の一致しない人たちである。


「こんなところまで来た位だ、どうせ暇なんだろ。」

「貴重な時間を割いて愛弟子に会いに来たとは考えられないのか?」

「お前が教職への熱意を抱くとは思えんからな。」

「よく分かっているじゃないか」


 わはは、と呑気な笑い声を上げる逆波。

 完全に馬鹿にされている筈なのだが、どうやら彼女の気にかかる程の事でも無いらしい。

 というか、図星なのだろう。紡は心の中で頭を抱える。


「ようし、分かった。今日の日暮まで、お前たちのところの若い奴ら全員の面倒を見てやる。その代わり朝夕をしごいてやってくれ」

「はっ!?」


 突然名前を出された紡は、手にしていた湯呑みを落としそうになった。

 銕は顎に手を当てて答える。


「逆波が俺の相手をするなら許可してやる。」

「なら静寂も貸せ、交換条件と行こうじゃないか。」

「それはいの次第だな。」

「引き合いに出さないでください!嫌だって言ってるでしょ!」


 がるる、と唸り声が聞こえてきそうな静寂の表情に、紡は当惑する。

 紡の中での静寂は、どちらかというと落ち着きがあって面倒見が良い大人、というイメージであった。

 それはかつて歳下の少年だった紡に対してだからこそ見せるものだったのかもしれないが、その彼女が子犬のように吠えている姿を見るのは何とも複雑な心境である。


「ともかく、この話はお断りしますので!」

「そうか、それは残念だ。朝夕にも、お前たちのところの若造共にもいい経験になると思ったが。なぁ?」

「い、いや……俺は、構いません。」


 これまで迎撃戦で味方として戦ってきた銕や静寂との手合わせに興味がなかったわけではない。

 ただそれを、厄介な教官に取引材料として使われるのは不本意である。

 紡はちらりと正面の二人を見た。


 銕は腕を組んで涼しい顔をしている。

 隣の静寂は、『反乱軍の若いメンバーにとって良い経験になる』という殺し文句に苦しんでいるのだろう。まるで親の仇を見るような目で逆波のことを睨みつけていた。


「さて、人間には無限に時間があるわけじゃあない。私はここで茶をしばいて無為な一日を過ごすのも悪くはないが……静寂や可愛い後輩共は違うだろう?」


 まるで小悪党のようなにやにやとした笑みを浮かべ、静寂にそう問いかける。

 外道め、という罵り文句が紡の口を突いて出そうになったが、危うい所で飲み込んだ。


 そして『話し合い』の結果は……上機嫌な逆波がスキップ混じりに廊下を抜けて行ったのを見れば明らかだろう。


「最悪だ……。」


 頭を抱えて唸り声を上げる静寂に、紡はなんと声を掛ければ良いか分からず……机の端に茶器をまとめて置くことしかできなかった。

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