番犬駒彦
柴田駒彦。
齢十八になる青年は、いつものように帝都反乱軍の拠点敷地内で同胞と談笑していた。
昨日の夕飯に出たあれが美味かっただとか、今度街の劇場で演じられる演目がどうのとか、他愛もない話題が続く。
ふと、駒彦が拠点…‥アパルトメントの敷地につながる正門へと目をやると、そこに二つの人影がある事に気づいた。
一人は長身の女性。長い髪を後頭部の高い位置で纏め、前髪で半顔を隠している。
もう一人は駒彦とそう歳の変わらないであろう青年。厳しい目付きをしており、少し近づき難い雰囲気を感じる。
どうやら彼らは門番役の隊員と揉めているらしく、不機嫌そうな女性の声が途切れ途切れに聞こえてきていた。
「なんか、あったみたい?」
「ああ……またクレーマーだろう。国家非公認団体の活動は認められないって奴。こちらに非はないんだから放っておけ」
同僚の青年は、そっけなくそう返す。
しかし駒彦は何となくその様子が気になり、門の方へと駆け出した。
「ちょっと見てくる!」
背後に引き留める言葉が聞こえてくるが、彼が飽きたらすぐに帰ってくると判断したのか、それ以上追ってくることはなかった。
「だから、何故ダメなのか言ってみろ。私は知人に会いに来たんだ。関係者だろう、思いっきり」
「いや、だから中に通せるのは事前に通達されている人物だけでして……」
「なら今伝えろ、すぐ伝えろ。大好きな師がやって来たとな」
門番の胸元に長い人差し指をぐりぐりと突き刺すように押し付けながら、女性はそう言って詰め寄る。
隣の青年が呆れた様子でそれを止めようとするが、彼女はどうもそれに従う気はないようである。
近づいて見て分かったことだが…‥二人は、あの『皇宮警察』の制服を身に纏っていた。
「知っているんだぞ。ここには猪野頭静寂という女が居るはずだ。そいつを大人しく出せば他の奴らは悪いようにはしない」
駒彦は耳を疑う。
確かに聞こえたのは、自分がかつて想いを寄せていた女性、その人の名だった。
彼女はこの反乱軍に身を置きつつも、名目上は帝都軍に所属していると聞いた事がある。
その静寂を目的に皇宮警察がここに来たということは……きっと彼女を連れ戻しに来たのだろう。
少なくとも今、静寂が帝都軍に足を運んでいないということは、それなりの理由があるに違いない。
そう考えた駒彦は、それ以上の思考を行うよりも先に口を開いていた。
「彼女には会わせられません。お引き取りください!」
「柴田……」
門番は女性の前に進み出た駒彦に、驚いて目を丸くする。
女性は突然しゃしゃり出て来た駒彦に、ほう、と小さく呟いた。
「その言い方は、中には居るということか」
「居たとしても、そうでなくても。あなたは猪野頭先輩には会えません。」
駒彦は精一杯に目の前の女性を睨みつけてやる。
女性はそんな彼の様子を見て、にやりと口の端を歪めた。
「お前……美味そうだな?」
その獲物を狙う爬虫類じみた笑みに、駒彦の背にゾゾッと寒気が走る。
しかしこんな事で負けてはいけないと、駒彦は自分の持つ勇気を奮い起こした。
「面白い。あくまで立ちはだかると言うのならば……相手になってやろう」
そう言って腰に下げた刀に手を掛ける女性。
隣の青年が、慌ててその手を掴む。
「何考えているんですか逆波さん、馬鹿なことはやめてください!」
「心配するな、ちょっと遊んでやろうと思っただけだ。」
「遊びで真剣を抜こうとする人が居ますか!」
駒彦はその二人の様子を見て、酷く馬鹿にされたような気になった。
きっと自分のことをただの子供だと思っているのだろう。だからこんな風に脅してやろうとしたのだ。
……自分だって帝都反乱軍の一員だ。
崇高な意志を持って帝都軍を打ち倒そうと入隊した訳ではないが……それでも日々、過酷な訓練を潜り抜けて来た自負はある。
皇宮警察だか何だか知らないが、今目の前で繰り広げられた行為は自分だけでなく、共に苦楽を共にする仲間までも侮辱された気がしてならなかった。
「分かりました。」
そう言って、駒彦は刀を抜く。
しゅらん、と音がして、抜き身の刃を身体の前で構えた。
女性はますます可笑しくて堪らないといった様子で笑い、青年は面食らったように一歩後退する。
「逆波さん、帰りましょう。こんな所で問題を起こしても誰の得にもなりませんから!」
「何だ、腰抜けめ。怖いなら下がってれば良いさ。問題など私が全部片付けてやる」
「許可の無い抜刀は御法度だって知っているでしょう!?」
「なら刀を抜かなければ良いのだな」
女性はそう言うと、鞘に入ったままの刀を腰から外し、構えた。
……その一挙一動からでも分かる。
この女性は、桁違いに戦い慣れしている。
「どうした、掛かってこい。先手はお前にやろう」
挑発するように鞘の先を揺らす女性。
駒彦は、相手のペースに飲まれたら終わりだと思い、深呼吸を繰り返した。
そして、僅かに女性から向けられた剣先が左にずれたのを見て……駒彦は一歩大きく踏み込む。
はずだった。
「何しに来たんすかあんたはーーーッ!?」
背後から素っ頓狂な静寂の叫び声が聞こえ、駒彦は思わずその場に踏みとどまってしまう。
振り返ると、静寂が泡喰った様子で駆け寄ってくるのが見えた。
どうやら駒彦が一悶着起こしている間に、門番が銕と静寂を呼びに行ったらしい。
「静寂ぁあ!!会いたかったぞ!!」
「はぇっ!?」
今度は喜色満面というに相応しい女性の声。
駒彦は驚いて女性の顔を見るが、女性は先ほどの冷たい笑みとは打って変わって、まるで長く離れていた恋人と再会したかのように嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「何を考えてるかは知りませんけど碌でも無いこと決まってる!早く帰ってください!」
「何と熱烈な歓迎なんだ。師に会えたことがよほど嬉しかったと見える。」
「あんた耳が腐ってるんじゃないすか!?」
静寂は女性の肩に掴み掛かると、そのまま回れ右をさせて背中を突き飛ばす。
しかし一体どんな体幹をしているのか、女性の体は揺らぎすらしなかった。
「すみません、本当に……。」
「いや、すみません!オレこそ、早まってしまって……」
ぽかん、と口を開けて突っ立っている駒彦に、申し訳なさそうに青年が頭を下げる。
駒彦は女性と静寂が思っていたような関係でなかったことを理解し、慌てて刀を鞘に収めた。
「……お前、朝夕か」
「えっ!?あ、紡くん!?」
いつの間にか駒彦の背後に立っていた銕が青年の顔を見て言った。
その言葉に、逆波と呼ばれた女性とじゃれ合っていた静寂が振り返る。
「はい。お久しぶりです、お二方とも。お騒がせしてしまい申し訳ありません……」
駒彦は頭を下げる青年と、自分の上司二人の顔を見比べる。
どういう関係かは計り知れないが、彼らは初対面という訳ではなさそうだった。
「ぐっ……と、とりあえず、応接室で話しましょう。ここは目立ち過ぎますから……」
周りに集まった隊員たちが物珍しげに彼らのやり取りを眺め、口々に勝手な噂をし合っているのを見て静寂はそう言った。
どうやら青年が彼らの知り合いである以上、このまま追い返す訳にもいかなくなったらしい。
銕と静寂に連れられて中へと通される客人(?)の二人を周りの野次馬たちはその場で見送った。
明らかに皇宮警察の関係者である人間を拠点に入れるという事態は、通常では考えられないことである。
あの女は静寂がこっぴどく振った帝都軍時代の恋人だとか、あの青年は実は銕の腹違いの弟だとか、根も葉もない噂が流れたのはそれから間も無くのことであった。
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