深夜の散歩で起こった出来事 完結編

麻倉 じゅんか

最終話

 ……翌日、俺は教室の片隅で悩んでいた。


 遠くから、BGMとしてブラバン部の演奏が、MEとして体育部系の連中の声が聞こえてきた。


 さっきから俺の手は動いてない。ただ枠線の中に文字を入れるだけだってのに。



「おい、風良。今日提出の進路希望調査票、書けたか〜」


 そこに有子アンコ姉……もとい、滝先生が入ってきた。

 ……教室にも周辺にも生徒がいないからか、普段のアンコ姉の怠惰な態度を見せている。


 そして滝先生は書きかけの紙を手に取って、俺の回答を見た。


「……『ネオニー』……ト? 何考えてんだ、お前!」


 パスっ!

 今日はあらかじめ持ってきていた紙筒で叩かれた。


「まだ『ネオニー』までしか書いてないだろ」


 ちょっと不貞腐れた様に片肘を着いて反論する。


「じゃあ、この先は何て書くつもりだったんだ?」

「…………。

 すみませんごめんなさいひ弱で貧弱な俺の脳みそじゃあ他の言葉を全く思いつきませんでした」

「素直でよろしい、とは言えんぞ、高校では。

 嘘でもいいから『〇〇大学志望』とか書いとけ」

「……それ、担任である滝先生のお説教が増える理由を作るだけなんじゃ?」

「問題ない。やれば出来る子なんだ、お前は。私が保証してやる」

「やれば出来る子は、やる気にならないと出来ないんですよ、先生」


 昔から変わらない年齢違いの従姉弟いとこ同士の掛け合いだったが、何故か今日は虚しい。


「……明日、お前風邪引け」

「は!? 何言ってんの?」

「本当に引く必要はない。そういう設定・・にするんだ」

「つまりズル休みしろ、と。教師の言う事か?」

「安心しろ。保護者・・・の私が裏付けしてやる。

 ……ついでに私も休む」

「いや、それ教師が言っていいことじゃないだろ」


 姉貴は普段から、口調はアレでも、行動そのものは真面目だった。それが……。

 何をしたいのか分からない。


「ドライブ行こーぜ」

「は?」

「端的に言えばデートだ、デート」

「デートって……教師が学校ズル休みしてまで、本当に何考えてんの?」


 普段から何考えてるのか分からない人だけど、今回は本当に分からなかった。


「ま、気分転換だ。たまには外に出ないとな」

「そんなの、いいわけないだろ」

「いいんだよ。私にとっては、これは『教室では出来ない生徒個人に合わせた生徒指導』だからな」

「俺にとっては?」

「残念、出席日数を失いました」

「納得いかねえ……!」




 ――というわけで翌日は休校した。

 よくよく考えてみるとズル休みどころか休校なんて言うものは小・中・高を通して初めてだ。

 そんな体だけは丈夫な俺が、きっと姉貴には辛そうに見えての『気分転換』だ。

 多分俺は、他人から見ると相当滅入ってるように見えるんだと思う。


「そうだ、海へ行こう」


 車を運転しながらアンコ姉が言った。


「海が見たかったのか?」

「いや、たまーに海の家で売ってる焼きそば喰いたくならないか? あの安っぽいヤツ」

「海の家はまだないだろ。あの辺の浜、海開きしてまだ数日だぞ」

「行ってみなきゃわからんだろ」


 そういうわけで海へ行くことになった。……デートの話はどこへやら。全く色気もなんにもなかった。俺のドキドキを返してほしい。


 ふと、いやシュッ、と何かが通った気がした。ぼんやりしていたから気のせいだったのかもしれない。アンコ姉も気づいてないようだし。




 もう少し進んだ所で、通行止めがあった。


「おや、何だ?」


 理由はすぐに分かった。先の方で土砂崩れがあった。車に近寄ってきた作業員の人もそう言ってる。


「しょうがねえなあ」


 アンコ姉は愚痴をこぼしながら、進路を変えた。




 ところが、その先でも通行止めだった。理由も同じ。


「何だい、こりゃあ?」


 愚痴ってるアンコ姉の横で落石現場を見ていた俺に、声が聞こえた。


『今日はもう、お帰り下さい』


 聞いた事のある声だった。


「まったく。こういう日に限って、ツイてないねえ」

「アンコ姉。今日はもう帰ろう」

「ん?」

「聞こえなかったのか、声?」

「声? ……いや」


 アンコ姉には聞こえてなかったようだ。彼女の、あの声が。


 ……もう一度落石が起きた場所を見た。そこに一瞬だけ、黒い人のような姿が見えた。


 ガラでもなく、涙がこぼれそうになった。


「……そうだねえ、帰るか。今日はどうやらお日柄も悪いようだし」




「あ~あ。海の家の焼きそばに かき氷。喰いたかったんだけどねえ……」


 本気で食べたかったらしく、アンコ姉は車内でまだ言っていた。

 俺は、その話に答えなかった。


「アンコ姉」

「ん、何?」

「動物医って、相当頭良くないとなれないよなあ」

「『獣医師』な。超難関だぞ」


 がっかりしてれた態度は変わらないが、アンコ姉は俺の突然の話にしっかり乗ってくれた。


「俺になれると思うか?」

「う〜ん、そうねえ」


 何気なしに街を見た。

 いつも通りの街だった。それだけだ。


「言ったろ。『お前はその気になれば何でも出来る』って。

 今年は、はっきり言って無理だ。けど2年3年、それ以上、やる気を保ち続けられるんなら、超難関でもどうにかなる、かもしれないな」

「今年は無理かも、っていうのは同意。けど、何年もダラダラとかけない」

「おっ。大きく出たな」


 その時。車窓の近くを黒猫が横切っていった。

 ちょっとだけこちらを向いて、すぐに向こうへ走っていった。


「知ってるか、アンコ姉。西洋では昔、黒猫は魔女の使いとして不吉なもの扱いされてた。

 けれど日本では昔っから、黒猫は幸運をもたらすもの、なんだと」

「ああ、夏目漱石か」

「え?」


 アンコ姉の言ってることは分からなかったが、去っていったあいつが、今も見守っているのを感じる。


 そして、いつかあいつが、また帰ってきた時には受け入れてやれるような、支えてやれるような、そんな人間になっていたい、そう思った。

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深夜の散歩で起こった出来事 完結編 麻倉 じゅんか @JunkaAsakura

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