10-4 深淵をのぞく時

 とある学舎の屋上。


「……で、どうだった? 既成事実の1つや2つ、作ったのか? アイツ、あんまし酒強くねぇだろ」

もみじ水上むながいと飲んだことあるのか」

「いや? でも、人体の生体電流を読み解けば、そういうのも分かったりするんさ。アンタだって出来るんじゃないか?」


 言いながら結良ゆうらに歩み寄り、缶コーヒーを1つ差し出す。


 腰ぐらいの高さしかない柵に寄りかかってそれを受け取る結良ゆうら

 ちょっと上体を反らせば、その重みで柵の向こうへ落ちて行ってしまいそうな格好だ。


「俺は。プライバシーに関わる領域には、極力触れないようにしてる」


 片手でプルタブを器用に開ける。


「あははははは! ほんと面白いな、結良ゆうらは。飛び抜けて人外に近いのに、人の道を踏み外さないように慎重に生きている」

「当たり前だろ。お前らみたいな人外にはならないよ」

「……ふん、その方が面白いかもな。アンタまでこっち側に来たら、逆につまらない」

「はぁ……まったく……やっぱりの連中は、人の気持ちなんて分からないのかね」


 理論上、誰も到達しえないライセンス――クラス6……


「そんな悲しい事言うなよ、結良ゆうら。仲良くやろうよ」

「可能な範囲で、してるつもりではある」

「ふふふ、そうだよね。アンタみたいなのが居ないと、どうにもウチらは浮世と関わりにくい――だから感謝してるんだぜ」


 結良ゆうらは柵に腰掛けたまま、身体を捻って、礼羽らいは地区の方を見据えた。

 遠過ぎて、墓標は見えやしないけど。


「まあ、とにかくさ。幽霊地区ゴーストタウンでのこととか、国頭くにがみ白波しらなみのことはアンタの胸にだけしまっておいてくれ」

「――あれで良いんだよ。白波しらなみも、やっと家族に引き取られたんだろ」

「アイツのとこの宗教は厄介だからね。自殺は大禁忌の1つらしい。その疑いが少しでもある間は身内として引き取れないなんてね」

「タブレットは落下の衝撃でぶっ壊れてしまっていたみたいだし2人のやり取りも見られることも無いだろ……何、この缶コーヒー……不味いな」

「そう? ウチは好きだけどね。2割くらいしか珈琲感しないでしょ」


 首を傾げる結良ゆうら


「アンタが闇に葬った白波しらなみ。これは走井はしりいにとっても、大きい……由緒正しき宗教の関係者なんかと揉めるのは、極めて避けたい事案だからね。上からも良い評価貰える筈だよ」

「それは嬉しい。報奨金でも出たりして」

「多分な。そもそも捻じ曲がった者クラーケン討伐の方でも、出るの確定してるしな」

「世間体的にね。それに上乗せあったら……ウハウハじゃん、俺」

「『何でコイツはまたロイヤルゲートホテルなんだよ』とか言われそうだけど」

「ははは、確かに」

「――だから、結良ゆうら


 刹那、とする屋上。


「だから、間違っても時間差で暴露とかすんなよ。墓場まで持っていけ」

「あ? そんな当たり前のこと、わざわざ釘刺しに来たの?」


 飲み干して空になった缶を、歯だけで器用に咥えながら睨み返す結良ゆうら


「そんな怖い顔するなって。ウチは必要無いと思っているよ。多分だけど、真理まりちゃんもね。ただ念の為、巴波川うずまがわが行っとけって。ちゃんと言っとけって」

絶対零度デッドエンド――」

「『八人の女王エイトクイーン』で同格と括られていても【五渦ごか】に、いちいち刃向かうのはしんどい」

「なるほどね……『御忠告どうも。だけどそんな、世界を敵に回すような、俺はしないよ』って伝えといて。あの引き籠もり野郎に」

「ああ、わかった……って、ん? ホントに不味いなこれ。リニューアルして珈琲感濃くしたな」


 結良ゆうらに渡したのと同じ銘柄の缶コーヒーに口を付けて、もみじはボヤいた。

 結良ゆうらは『そこじゃない』と思ったが、言わなかった。


「そういや、結良ゆうら門番ヘイムダルは消えてしまったのか? そうだとしたら、今年はちゃんと進級・研究室配属出来るんじゃ?」

「……どうだろうね」

「もう10月だけど、今回のでだいぶ稼いだだろうし、ここから追い上げりゃアンタなら間に合うだろ」

「そう上手くいくかなぁ〜」

「いやいや。は笑えねぇ……って、ん? まさか……アンタ、符号香ラストノートによる、第三者の算術アリスマを擬似再現する効果を、マジで実装するつもり?」

「実際、成功例あるし」

「それは共同演算の不可抗力だろ」

「新しい発見なんて、大体そういうもんでしょ」


 はぁ、と大きな溜め息を吐くもみじ。わざとらしく、大げさに。


「マジで実装出来てしまうと、新たな号付異質同体ブルベシメールの可能性を示すことになるけど……まあ、元のと違って倫理観をクリアしていれば別に良いのかもな。その辺り――世間に出すなら、出し方、上手くすりゃあ良いか。ウチが手に入れたのも同じようなもんだしな」

「ウチの? 何の話? ……ま、一般性があるかどうかは、現時点でかなり怪しいけど」

「どうせやるなら符号香ラストノートに近い構造のものや別系統のものでも出来るようにするとか、あるいはもっと簡略化して無銘アノンレベルにまで落とし込んでみせろ」


 また缶を咥えて頷く結良ゆうら


「――ただな」


 左の足先でタン! と床を打って。


「1つ、言っとくぞ。例え符号香ラストノート上で第三者の号付ブルベを再現できたとして……そこに紐づく開発者の人格まで再現することは、流石に不可能だと思うぞ」

「……ん」

「ましてや、なんて――普通に考えて、有り得ないだろ」

「そう、だね」


 気の無い返事に「ちゃんと聞いているの?」と三白眼で睨み返すもみじ


「そんなことしたら、それこそ禁忌を犯すことになる。宗教とかじゃねぇ……人類の禁忌だ。だから、そこは踏み越えんなよ」

「分かってるって」


 まだまだ憮然としたままのもみじが、結良ゆうらに向かってそっと右手を出す。


「何? ……コレ、捨ててくれんの? ありがと」


 缶を手渡す結良ゆうら

 その缶が、もみじの手に渡った――と思った瞬間……


 バチッ!


 空き缶は、青白い閃光と炸裂音に変わった。


「……おい。手、焦げそうになったろうが」

「でも焦げなかったろ? だから何も問題無い」


 ニタっと笑ってもみじは踵を返し、去って行く。

 後ろ手に、右手をヒラヒラとさせながら。ひどく既視感のある去り方だった。


「――おい、もみじ


 その背中に結良ゆうらが声を投げる。


「酒に強いかどうかを、体表面の生体電流から読み解けるなら――墜落事故の首謀者も、わざわざ俺らを動かさなくても分かったんじゃないのか?」


 もみじは歩くのを止める。

 そして悪魔のように振り返って、天使のように笑う。


じゃ、そこまでは出来ないの」

 

「チッ……なに可愛子ぶってるんだよ。出来ないってんなら幽霊地区ゴーストタウンで俺の肩を叩いた時のは……いや、あの時はだったか」


 幽霊地区ゴーストタウンもみじが去り際に肩を叩いた、あの時。結良ゆうらの頭の中に痺れるような刺激と一緒に流れ込んで来た


「アンタが、いくら勿忘の君ムネモシュネを喰らい尽くしたって、白波しらなみ側の記憶だけしか集まらないだろ? だから国頭くにがみ側の記憶を補完してやったんだよ」


 結良ゆうらが、拷問のように勿忘の君ムネモシュネを食べることでやっと成し得た記憶の取り込みを、まるで呼吸をするかのようにあっさりともみじは実現する。あまつさえ、他人への再共有までしてのける。


「ウチにはあんなくだらない記憶モノ、必要無い。だからアンタが好きに片付けろ」

 

 強大なチカラを持っているが故に、世界に干渉しないようにしている――そんな風に見せ掛けておきながら、実は自分達の思い通りになるようにコマを操っている。


 結良ゆうらの発した『人外』とは皮肉っぽい喩えだった。しかし悪魔のように振り返ったもみじの笑みを見て、それは比喩でも皮肉でもなく、的確に言い当てていたんだと気付いた。


 もみじは目を細めて笑って、また背を向け歩き出す。そして結良ゆうらの瞬きに合わせて消えた。


「……っ」


 うねりサージが来たわけでも無いのに結良ゆうらは不意に、目眩のような感覚に見舞われた。

 柵を超えて落ちてしまいそうな気がした。


「――あぶねぇ……」

 

 とはいえ、きっと1メートルも落ちることはない。


 今の結良ゆうらは、生存本能としての飛泳能力に頼らずとも、『自分が死んだら、悲しませてしまう誰か』が居るような気がして――その人を悲しませたくなくて、自由落下をすぐに止めるのだろう。


 逆様になった空を見上げると、遥か上の方で水面みなも揺蕩たゆたっていて、とても綺麗だった。

 

 もみじ真理まりが、人から外れていることを正しく認識しているのは彼女らのを除けば、結良ゆうらくらいのものだろう。


 ――つまりそれは結良ゆうらも、人外に近いということ。近付いているということ。

 

「……でもきっと」

 

 あの水面を綺麗と思えているうちは、きっとまだ大丈夫。

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