9-4 砕け波の恋物語 肆

 着慣れないドレスなんかを着て白波しらなみは、ソワソワしていた。

 

 場所も場所だ――木製内装を基調とした落ち着いた雰囲気、暖色の照明、そして古典的な楽器による生演奏。


 店員も皆、ピシッと正装している。

 

「あの大きな楽器は確か……コントラバス」

「――正解。でも、演奏している音楽がジャズだから、ウッドベースでも良いかもね」

「あ、沙耶さや……き、綺麗」

 

 ネイビーブルーの華やかな総レースワンピースドレスを纏った国頭くにがみが遅れてテーブルに着いた。

 腕から胸元までは、透け感のあるシアーで肌が見えている。色とスッキリしたシルエットで、ただセクシーになるだけじゃなく上品さもある。

 

「うっ……」

 

 鼻と口を覆う白波しらなみ

 

「ど、どうした?」

「鼻血――出そう」

「はぁ……何馬鹿なこと言ってんのよ」

「なかなか見れないから、こんな沙耶さや

「そう? なゆも可愛いじゃん」

 

 褒められて、言葉にならない感情を、表情の緩み方と手足の落ち着かなさが代弁していた。

 

「……それにしても、今日は……なんでこんな、オシャんなところに?」

 

 白波しらなみの質問に目線だけで軽く返事をして、国頭くにがみはウェイターを呼ぶ。

 

「なゆ、ワイン飲める?」

「はぐらかされた……飲めるけど」

「じゃあまあ、取り敢えず1本――すいません、この海底熟成をひとつ、お願いします」

「え……! それニュースで見たよ。第二の水アナザーウォーターの深層100メートルくらいで熟成させたワインでしょ」

「そう。理屈よく分かんないけど熟成が良く進んで、とても美味しいって噂の。で、ここは、そのワイナリーの直営……ってか、よく知ってたね」

「……沙耶さやに、プレゼントしようかと思ったことがあった……でも高くて諦めた」

「なにそれ! 初耳よ? めちゃくちゃ嬉しい! ……でも確かに、ちょっと学生には高いよな」

「むう……」

「その気持ちだけで私は嬉しい。それにな、こういうお高いものは大人に任せなさい――この国頭くにがみに」

「……えっ」

「おや、聞こえなかった? 私、この度、教授として採用されることが内定しました!」

「ほ、ほんと? 凄い! やったじゃん、沙耶さや!」

 

 顎を少し上げて得意気にする国頭くにがみ。手を叩く白波しらなみ

 それにつられて周りのテーブルの客達も国頭くにがみへ拍手を向けた。

 

「――あっ! すいません、すいません。なんか、どうも……ありがとうございます」

 

 立ち上がって、その拍手に向かってペコペコとする。

 

「私がはしゃぐから目立ってしまったね、ごめん」

「いやいや、嬉しいよ。ありがとう……今日はなんでこんなオシャレなところに? って質問されていたよね――そう、今日はお祝いです! 私の教授内定の」

「うっ……」

 

 また顔を覆う白波しらなみ

 

「え? また鼻血?」

「……っ…………っ」

 

 白波しらなみは応えず、小さく肩を震わす。

 

「……え? え? な、泣いてる? なんでなんでなんで」

「ご、ごめん。なんか嬉しさ極まって、泣けてしまった」

「ちょっと、もう……ビックリさせないでよ。嫌なのかと思ったよ」

「そんなこと……あるわけ、あると――思う?」

「な、なんて?」



「――お待たせいたしました。こちら、海底熟成の5年になります」


 ワイングラスに注がれると、まるで宝石のようにそれは眩く煌めいた。


 ◆◆◆◆◆◆


 ワインと美味しい料理に舌鼓を打ってから数日後――2人は国頭くにがみの部屋に居た。

 ガラス製のテーブルを挟んで向き合う。

 

 結婚。

 

 その2文字が聞こえた時には『沙耶さやったら、ついに私みたいなこと言い出して!』とか、白波しらなみは呑気に構えていた。

 

 それが――

 

「する? するって……誰が? 沙耶さやが? え?」

「なゆ、落ち着いて聞い――」

「誰が! 誰と! 結婚するって?」

 

 両手で机を叩きながら、立ち上がる。

 

「……な、なゆ」

「ねぇ!」

 

 この瞬間、ようやく国頭くにがみは自分が独断で進めていたこの話が白波しらなみには全く受け容れられないことだったと知った。

 

 しかし、もう遅かった。

 

「なんで? 教授に、なる為に必要? はぁ? ――そんなこと、ある」

 

 頭を無造作に掻き毟る白波しらなみ

 

「教授といっても、走井はしりいの教授。しかも私は、元号付異質同体ブルベシメールの研究員……だから、身辺調査がかなり厳しくされると――」

「だから、なんで! それでなんで、突然、何処かの男の人と沙耶さやが結婚することになるのよ!」

「……は、走井はしりいの上層部は、未だに同性愛を非生産的で、排除・淘汰されるべきものと看做みなしているんだよ……それは知っているでしょ?」

「……っ」

 

 走井はしりいは優秀な潜水士ダイバーを育成する事で、その地位を確立してきた。

 技術を高めるノウハウはあっても、潜水士ダイバー候補の母数そのもの――つまり出生数を増やすことは、自然に委ねるしかない。

 

 だからこそ、その可能性を1ミリも持たない同性愛者を『無駄な存在』と捉えている人間も多い。

 平均年齢の高い学園上層部は、より一層その傾向が強い。

 

「……だ、だから。採用前の、最終審査の項目の1つに身辺調査があって……そこで私と白波しらなみ那由花なゆかの関係が、少しでもチラついてしまうと……内定も白紙になってしまうかも知れないって」

「知れないって、誰かが言っていたの?」

「ああ……採用部門の1人の杭全くまた教授から、声を掛けられて――そういう理由で、内定が白紙になった事例があると」

杭全くまた教授? なんで急に沙耶さやにそんなことを」

「彼も実は、同性愛者なんだ。だから雰囲気でわかるらしい」

「――あ……」

 

 何となくだが言っていることが理解出来た。


 その白波しらなみの様子を見て小刻みに頷きながら、話を続ける国頭くにがみ

 

「……それで、杭全くまた教授は走井はしりいに限らず、全国の大学で私みたいな人を見付けてはコンタクトを取って……色々と不自然にならないように気を付けながら、を取り持ってくれているらしい」

?  沙耶さや……結婚、したかったってこと?」

「ち、違う! そんな、言葉尻を捕らえるのやめてよ!」

 

 ずっと冷静にあろうとしていた国頭くにがみだったが、思わず大きな声を出してしまった。

 

「あっ――ご……ごめんなさい……」

 

 両手で口を覆うようにして、そのまま白波しらなみは自分の荷物を乱暴に搔き集める。

 

「ま、待って……なゆ! 違っ――」

 

 国頭くにがみの呼び止めに反応せず、部屋を飛び出した。


 ――バタン!

 

「な……な、ゆ…………」


 ドアノブに手を伸ばす。


 開ければ、きっとまだそこに白波しらなみが居る。

 でも開ける勇気が足りなくて、ほんの一瞬だけ国頭くにがみ躊躇ためらった。

 

 何を言えばいい。何て言えばいい。どこから話せばいい。どうやって話せばいい。


 多分、本当に数秒だった。

 

 でも白波しらなみが、ドアの向こうで涙を拭って、飛泳して行ってしまうには十分な時間だった。


 纏まらないまま思い切ってドアを開けた時にはもう、白波しらなみはそこに居なかった。

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