8-4 あの日、混沌の中で

「『門番ヘイムダル』……え、それって塒ヶ森とやもり先輩の号付ブルベではないのですか? 捻じ曲がった者クラーケンの時のは、それの攻撃的展開なのかと思っていました」


 水上むながい霧氷城ヨートゥンの防御系展開の精度や練度を高めるために、同じ防御系の算術アリスマ潜水士ダイバーを研究していた。

 走井はしりい学園には歴代の学生が保有した算術アリスマ、あるいは号付ブルベを検索するライブラリーがある。


 その中で目に付いたのは『門番ヘイムダル』という号付ブルベ


『第三者が発動した算術アリスマを打ち消したり反射させるのが主な能力。算術開発が進みレベルが上がると相手の算術アリスマそのものに直接的に干渉し、発動を阻害したり暴発・暴走させることも可能になった』という概要と演算の構成も記載されていた。


 緻密に綿密――ひと目見て、これは真似出来ないと思った。

 しかしそれ以上に水上むながいの興味に引っ掛かるポイントがあった。


 門番ヘイムダルの情報には、他の算術アリスマ情報と異なり、開発者の欄に名前が記載されていなかった。

 ライブラリーで閲覧できる算術アリスマの中で唯一、誰が開発したかわからない号付ブルベだった。


 こういう違和感をほっとけない水上むながいは、門番ヘイムダルの開発者について独自に調査した。

 その結果、塒ヶ森とやもり結良ゆうらというクラス5の潜水士ダイバーが使うらしいということを突き止めた。


 そしてその潜水士ダイバーは現役の走井はしりい学園の先輩で、ずば抜けたライセンスを持っているのに何故か留年しているという事実や、昨年の課外活動のポイントが0だったり、『不殺コロサズ』という蔑称があるということを知った。


 その頃から塒ヶ森とやもり結良ゆうらという存在に興味が止まらなかった。


 その興味は今、少し形を変えているようだが。

 

「あの時、捻じ曲がった者クラーケンに対して使ったのが、俺の本当の号付ブルベ。『門番ヘイムダル』は元々、俺のじゃない」


 伏し目がちの結良ゆうらと対極に、眉間に皺を寄せて、ポカンと口を開けている水上むながい

 言っている意味がわからないという意思表示をするのにこれ以上無い表情だ。


「元々? まるで所有者が変わったような……えーっと、ちょっと待って下さいね……なんか混乱してきました」


 両手の人差し指をこめかみに押し当てて、ぐりぐりっとしている。

 痛みで情報を整えているのだろうか。あるいは、ショートしないように抑えているのか。


「い、一旦、『門番ヘイムダル』が先輩の号付ブルベじゃないってところはスルーします。ロイヤルゲートホテルの、大ホールで何が起きていたんですか? 暴走って……」

 

 クルクルとコップを回して、中に入った珈琲に渦を作るようにして、結良ゆうらは少しだけ間を取った。

 

 算術アリスマの暴走は、珍しいことではない。

 より精度を高めよう、より効果を上げよう、より範囲を広げようと開発を続けていると、ふとした瞬間に暴走が起きてしまう。


 演算がループ構造になってしまったり、多重発動状態になってしまったりして、開発者の意図しない効果や威力が生まれてしまうことがある。


 こうなったら結良ゆうらがしたように再起動リブートをする他ない。下手に制御しようとすれば、余計に暴走に拍車が掛かってしまう。


「――俺らが駆け付けた時には、雲母坂きららざか再起動リブートすら出来ないような状況に陥っていた」

「……そ、そんなことあるんですね……暴走ではなく、異常暴走と言ったのはそういうことでしたか」

「少しでも気を緩めれば、下之宮市が丸ごと消し飛んでしまうような――そんなエネルギーがホール内に渦巻いていた。それを穂咲ほさきは必死に押さえ込んでいた」

「……」


 不意に下の名前で呼んだことを、水上むながいは見逃さなかったが、指摘することもしなかった。

 それは結良ゆうらの中で、とても大切で、とても繊細な記憶の一部のような気がしたからだ。

 少しだけ、グッと唇を噛んで、そしてそのまま別の質問を口にする。


「防御系の算術アリスマでしたよね? 応『門番ヘイムダル』って。それが、なんで……街を、消し飛ばすような」

もみじはアレを『世界の最適化』とか言っていたな」

「最適化……」


 自分に取って不都合なことが無い、あるいは起きない理想的な世界へ――今の世界を再構築する。

 原因は定かではなないが、何かが切っ掛けで異常暴走した門番ヘイムダルは、算術アリスマの効果範疇どころか、事象操作の範疇すら超えてしまっていた。

 もしかしたら『神』の領域に足を踏み入れようとしていたのかも知れない。


「そんなの……算術アリスマで実現出来ることじゃない気が――」


 ふうっと息を吐いて、結良ゆうらは深く目を閉じる。


雲母坂きららざか穂咲ほさき算術アリスマが何故そこまで暴走したのか、その原因は今も分かっていない」

「で、でも……少なくとも塒ヶ森とやもり先輩が、今こうして生きているということは、暴走を止めることが出来たということなんですよね? どうやって、止めたんですか」

「単一算術アリスマの共同演算――って聞いたことある?」

「え……あります……でも、それって」

「机上の空論――と、されていた」

 

『単一潜水士ダイバーによる複数算術アリスマの開発と保有』と『単一算術アリスマの複数潜水士ダイバーによる共同演算』は理論上、可能とされているが実現されたことのない空理空論である。


 前者は号付異質同体ブルベシメール研究で一定の成果を上げていたが、倫理観から頓挫し、やはり出来ないというのが一般論。

 後者に関しては、研究すらされていない。理論上可能であっても、客観的には不可能だからだ。

 

「発動状態にある算術アリスマに対して、開発者以外の第三者が介入し、演算処理を同時に行う――って言葉にすると簡単そうに聞こえるけど……」

「ちょっと考えたらすぐに『ムリだろこれ!』ってなりますよね……って、ちょっと待って下さい……まさかをやったんですか?」


 水上むながいの目が落ちそうになっている。


「そう。到着した23人全員の演算能力を使って、『門番ヘイムダル』を押さえ込むことにした」


 なんでわざわざそんな危険に飛び込むようなことを、という表情をしている水上むながいに気付いて結良ゆうらは視線を外へ流した。


「ホール内に足を踏み入れた時点で、俺らも門番ヘイムダルの暴走の渦中に巻き込まれてしまっていた。そのままでは、もう外へ出られなかったんだ……迂闊だった」


 そのままでは結良ゆうら穂咲ほさきを含めた残りの全員が助かる見込みは無く、そして下之宮市も消し飛ぶ。

 前代未聞の危機を凌ぐ為に打ち出された、ウルトラC。その発案者は――


「共同演算作戦は、笛吹うずしき真理 まりからの発案によって、実施された。幸いなことに、ホールの外と連絡を取ることは出来てね」

笛吹うずしき先輩……言問こととい先輩と同じ『八人の女王エイトクイーン』の一角ですね。面識はありませんが」

「アイツは、人格的にはちょっとアレだけど、戦略的な思考はずば抜けている」


 極端な思想を持つ真理 まりとは反りが合わないことも多く、顔を合わせるとどうしても険悪な雰囲気になってしまうが、それでもその実力は疑いようがない。


 だからこそ、『あの時、失敗したのは自分だ』と結良ゆうらは思い込んでいる。


「一切の前例がない共同演算……しかも20人以上の。その要として抜擢されたのは俺だった」

塒ヶ森とやもり先輩が居たら……そうなりますよね」


 暴走状態にある門番ヘイムダルの尋常ではない防御能力によって、外部からは一切干渉出来ない。あらゆる算術アリスマが退けられた。

 穂咲ほさきが抑え込んでいる空間内部に結良ゆうらが居て、符号香ラストノートという号付ブルベが無ければ、この無謀な作戦は検討のテーブルにすら上がらなかっただろう。

 

 まず第一に結良ゆうら自身と、雲母坂きららざかを含めたその場にいる23人全員を、符号香ラストノートの匂いによる情報伝達効果で接続。

 続いて結良ゆうら雲母坂きららざかの思考や演算の意図を、匂い成分の変化で類推し、それを他のメンバー脳へ直接共有する。

 そして各人が行った演算結果を同様にまた匂い成分の変化から読み解き、その結果を暴走する『門番ヘイムダル』へ強制的に流し込む。 


 全てが符号香ラストノートありきの計画だった。そして、結良ゆうらの超絶的な演算能力ありきの。

 他のメンバーも演算を行っていたが、その方向性の修正や演算力の底上げ、その他諸々の微調整などは結良ゆうらが1人で背負っていた。

 

「……そ、そんなの……塒ヶ森とやもり先輩の負担ばかり大き過ぎるじゃないですか」

「そりゃあ、もう。水上むながいの、鼻血レベルじゃなかったよ。耳から目から……足元は血の海。俺の脳がぶっ壊れるのが先か、『門番ヘイムダル』を押さえ込めるのが先かの戦いだった」


 冗談っぽく笑ったが、算術アリスマの使い過ぎで、そもそも鼻血だって滅多に出るもんじゃない。


「どのくらいやり合ったかわかんないけど……皆の努力の甲斐あって、『門番ヘイムダル』を押さえ込むことに成功した」

「良かった……」

「……かのように見えた」

「えっ……じゃない。そうか、そうでよね。そんなわけないですよね。何も良い事なんか」


 結果として門番ヘイムダルの暴走は止まった。

 しかしこの時、既に門番ヘイムダルは事象操作の域に到達していた。

 より正確に表現するならば、神の領域からややグレードを下げ、事象操作の域に――という感じだ。


門番ヘイムダルは、を暴走せずに扱える新しい所有者を探していたのかも知れない。だからもしかしたら共同演算という作戦すら門番ヘイムダルが導いたことだったのかも」

「新しい、所有者――」

「共同演算の結果、『門番ヘイムダル』と24人が同時に繋がった。そして、その中で最も演算能力が高い者に所有権が移ってしまった」


 24人の中で最も演算能力が高い者――それは検討の余地無く、塒ヶ森とやもり結良ゆうらであった。


「そんなことが……」


 水上むながいは少し震えていた。


「所有権が変わった『門番ヘイムダル』は、即座にその新しい所有者が被っている危機を回避しようと、効果を発動した」


門番ヘイムダル』は、所有権が変わり、事象操作の域に落ち着いて、暴走が収まりつつあったが、それでも未だロイヤルゲートホテルを消失させるくらいのエネルギーを内包していた。


 それこそが新しい所有者である結良ゆうらが直面していた危機。とんでもないマッチポンプ構造だが、そんなことがではなかった。

 この危機を結良ゆうら1人だけが回避出来るように『門番ヘイムダル』は、残りの23人へ危機を押し付けて、肩代わりさせた。


「抑え込んだ! と思った瞬間さ。目の前で――あるいは俺のすぐ横で……雲母坂きららざか帯刀たてわきも、他の皆も、先輩方も……粉々になってしまった」

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