8-3 ロイヤルゲートの惨劇

 結良ゆうらの知り合いに、もみじ真理まりと同格で、氷雪系の算術アリスマ使いがいる。

 1年前までは同輩で、今は先輩。


絶対零度デッドエンド』という通り名で呼ばれる彼は、能力の程度があまりに常軌を逸しているため、次元的かつ空間的に隔離されたにいる。


 彼がそこから出たら、こちら側の世界は一瞬で終わる。だから授業もほとんどをリモートで参加していた。


 居るだけで辺り一面を氷の世界に変え、あらゆる生物を静かに眠りつかせ、分子や原子をことごとく運動停止させる。

 

「ねねねねね眠りの森いいいいい、さぶっ」

 

 それを何故、今思い出したのか。

 

 頭がこんがらがって本人すら想定していなかったであろう質問を口にしてしまった水上むながいが、部屋を凍りつかせていた。


「うわわわ……何やってんだ、私! ごめんなさい、ごめんなさい!」


 慌てて部屋の氷を溶かす――液体という状態を経由せずそのまま気体へ。


「び……びっくりしたぁ……どうしたの急に。まだ、調子悪いんじゃない?」


 歯をガチガチと鳴らす結良ゆうら


「えっと……今、何か聞こえました?」

「え? いや、何も?」


 結良ゆうらの耳へ水上むながいの声が届くよりも早く、部屋が凍っていたのだ。


「そうですか……危なかったぁ」

「そうだね」


 噛み合わないまま噛み合う会話。エアコンは焦っている。


「こ、このメモに書いたことの前に――やっぱり言わなきゃいけないことがあります! 私、塒ヶ森とやもり先輩に酷いことを言ってしまいました。ご本人がいらっしゃらない所で、真偽も定かではないことを持ち出して、先輩を貶めるようなことを……」

「そうなんだ……状況的にきっと、俺のここ1年の評判に関することでしょ」


 結良ゆうらは、致し方無しという雰囲気で頭を搔く。


「そ、そうです。わかるんですね。やっぱり、凄いです。すぐその答えに辿りつくなんて」

「まあね。キミからは、朝の時点で俺に対する懐疑的な視線を感じていたし」

「え……出てました? そういうの表に出さないようにしているのに」

水上むながいしかあの場にいなかったら、分からなかったかもね。複数人が同じことに注目している状況で、反応が少し違う人達を見つけるのは簡単だよ」

「だとすると……私、何故、家にあげていただけているのでしょうか……」

「家にあげて貰えないほどの嫌な感情向けてた?」


 その言葉に、ハッとする水上むながい


「いや、そんなことは――」

「でしょ。そういうこと」

「はあ……先輩の観察力と懐の深さに感服です……私、空想級の鱗ル・ファンタスク・スケールに遭遇したこととか、皆が傷付いていくのを――まるで、先輩のみたいに言ってしまいました。ごめんなさい」

「当たらずとも遠からずだから、別にそんな謝らなくてもいいよ。あの瞬間あの場に居なかったのは、紛れもなく俺の落ち度だから――どんな理由があれ」

「でも、先輩を置いていく判断をしたのは自分達ですし、違和感を抱いたまま調査を進めたのも自分達。ましてや空想級の鱗ル・ファンタスク・スケールが出たのは不運な事故です。先輩に助けを求めるならまだしも、居ないことを責めたりして……あの時の自分をぶん殴りたいです」

「真面目だな、水上むながいは」


 目を細めて結良ゆうらは、少し残っていた珈琲を飲む。流石に冷たかった。


「先輩が来て下さった時――私、地面に突っ伏していたと思いますが……ぼんやりした意識のまま、その後のことも見ていました。ほんとに、凄かったです。かっこ……か、感動すら覚えるような。だからこそ余計に申し訳なくて……誰が言い出したかもわからない噂を引き合いに出してしまった自分にも腹立たしいし」

「そっかそっか。じゃあさ、今度は逆の噂を流してくれたら良いよ。水上むながいが今日見たことをベースにしてさ」

「な、なるほど……わかりました! 是非、やらせてください! そして今後、塒ヶ森とやもり先輩を悪く言う輩を見つけたら私が凍り尽くしますっ」

「ふふふ――さっきみたいに? でも犯罪者ってわけでもないから、すぐに溶かしてあげてね」

「わかりました! 任せてください」


 顔の前で両手をグッと握って微笑む。

 それを見て結良ゆうらは『もし本当にそんな輩が現れたら、ちゃんと自分で潰そうと』思った。こんな愛らしい仕草をする後輩に暴力は振るわせたくない、と。


「そ、そしたら! 気を取り直して、1つ目の質問をさせてください。先輩の、算術アリスマのことです」

「……うん。というか、2つ目に厳木きゅうらぎのこと書いてあったよね? 1つ目と2つ目はもしかしたら、根っこは同じかも知れない」

「そうなんですか! それはより一層テンション上がりますね」

「そんなに期待しない方が良いよ。聞いて楽しいものじゃないと思うから」

「あ……勢いのまま進めてしまっていますが、ほんとに聞いて大丈夫なことでしょうか? 実は私が思っているよりずっとセンシティブな――」


 言葉を遮るように、無言で頷く結良ゆうら


「でも良いんだ。何となく……誰かに話したい気分だし」


 それは何かの区切りとして意味があるのかも知れなかった。


「もし水上むながいが、聞いても良いと思うなら」

「はい、もっと知りたいです。――先輩のこと」


 自分が部屋の温度を下げて以降、強めに鳴っているエアコンの送風音に水上むながいは、本筋とは違う言葉を紛れ込ませる。


「――え? なんて?」

「いえ、何でもないです! 先輩が、話してくださるなら私、聞きます」


 そしてそれを都合良く聞き逃す結良ゆうら結良ゆうらだ。


厳木きゅうらぎに、お兄さんが居るのは知っているかな? ご家庭の事情で名字が厳木きゅうらぎじゃなくて帯刀たてわきって言うんだけど――彼は、俺の学友の1人だった」

「だった……仲違いして今は違う、という意味ではないですよね」


 結良ゆうらは立ち上がってキッチンへ向かうと、さっき淹れた珈琲の残りが入ったガラスのサーバーを取って、戻って来た。

 リビングのように氷漬けにならなかったので、まだ温かい。


「そうだね……帯刀たてわきは、1年と半年ほど前にロイヤルゲートホテルで死んだよ」


 サーバーから2つのコップへ珈琲を注ぎ分けながら、自然に言う。


「その場に俺も居たんだ」


 流れ落ちる珈琲と同じように、淡々と。


「え……そ、それじゃ……塒ヶ森とやもり先輩が」

「あの日、ロイヤルゲートホテルで起きた大事件――通称『ロイヤルゲートの惨劇』。その唯一の生き残りが……俺だ」


 水上むながいは息するのを忘れかけた。


「何が、あったんですか」

「まず5人組が5チーム、別々の課外活動へ出向いたところからなんだ。俺と帯刀たてわきは、それぞれ別のチームの隊長を務めていた」

「別々の……? それが何故、全員同じ現場に」

「元々は走井はしりい透明な壁ゲビートに侵入した危険性空魚の討伐が目的だった。同時に5ヶ所なんて、それ自体は、さほど珍しくもない」

「そうですね……最近では多い方かとは思いますが」

「――で、そのうちの1チームから応援要請が入った。『ロイヤルゲートホテルで未知の危険性空魚と交戦中。危険度は恐らくS級相当』ってね」

「S――実質的に最高の危険度じゃないですか」

「うん、でもそのチームの隊長は雲母坂きららざか穂咲ほさきという人物で、クラス4のライセンス保有者だったから……いくらS級の危険性空魚が出たとて、応援の到着まで持ち堪えられると思っていた」

「きらきらざか……」

「きらら。俺が言うのもなんだけど珍しいよね」


 割りと食い気味に訂正されて水上むながいは少し驚いた。


「――すみません、茶化したみたいになってしまって。確かに、クラス4の方なら、そんじょそこらの空魚に押される気はしないですね。とはいえ要請に応じて皆さん駆け付けたんですよね?」

「勿論。残りの4チームと引率の先輩が、すぐにロイヤルゲートホテルに駆け付けた」

「どんな空魚が」

「居なかった……空魚は、居なかった」

「え」

「ロイヤルゲートホテルの30階にある大ホールの扉を開けると、そこに雲母坂きららざか穂咲ほさきだけが居た……めちゃくちゃに歪んだ空間に、ただ1人」 

「ひ、1人だけ?」


 薄ら寒い感じがして、水上むながいは淹れてもらった珈琲のコップに両手を当てた。


「恐らくその時点で、雲母坂きららざかのチームの残り4人は死んでいたんだと思う」

「……っ!」

「何があったか分からない。何が原因だったか分からない。でも、雲母坂きららざか算術アリスマ――『門番ヘイムダル』が異常暴走していた」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る