8-2 突沸する氷
『
取り敢えず何か飲み物でも、とリビングに立った。
この時間から珈琲飲んだら寝れなくなるかな? とか思いながら、
まだ
『いや、何この状況! 何、冷静に珈琲なんか淹れちゃってんの俺! いやいや、逆に珈琲でも淹れてないと冷静で居られないわ! ……もしかして、この1年間、こういう青春っぽいことも回避していたのか?』
それは危機なのか?
だとすると、その期間中に知り合った
……そうすると今のこの状況は、『
いや、
「む、
淹れた珈琲を、コップへ移してリビングへ戻って来た。
「……あ、はい。何でもブラックですっ」
小さなサイドテーブルに置かれたコップを、両手で少し引き寄せる
「何でも? 珈琲以外にブラックって表現する飲み物なんかあるっけ?」
「す、すみません。豆の銘柄とかブレンドの話でした!」
「マニアック! ははは。でも、ぽい気もする――
緩んだ頬のまま吹き出した息は太く、珈琲を冷ますには役者不足だったが、黒い水面に漂っていた湯気を少しだけ吹き飛ばした。
「好き、ですね。特に香りが」
「――良い香り」
ドアの前で飛び起きてから初めて、
「…………っ」
自分が息を吹きかけて舞い上がった香りを吸い込んだ
目を閉じて香りに浸るその表情は、まるで今日1日の頑張りを見ていた神様からの、労いのご褒美のような、そんな尊さを感じさせる。
ソファに浅く腰掛けたまま、座面と同じくらいの高さのサイドテーブルに向かって顔と鼻を突き出している
尊い表情に見蕩れていた筈の視線は、いつの間にか、その先へ向かって滑り出している。ロングスカートのワンピースは胸元から肩先まで大きく開いている。
『――な、なにをうっかり犯罪をおかそうとしている!』
慌てて珈琲を口に流し込む。――淹れたて熱々の珈琲を。
「あああ熱っ――つく……ない?」
「あ、ごめんなさい! なんだか急に一気飲みされそうだったので……火傷しないように、ちょっと温度下げちゃいました。もし熱々のが飲みたかったのなら、すみませんっ」
「え? うそ。いや、全然……ありがとう、俺の口粘膜が助かった」
とてつもない瞬発力と繊細な
「凄い精度だね。適温じゃん」
感嘆しながら
取っ手のついたコップなのに、胴を鷲掴みにしたのだから当然だろうが……つまりコップを掴んだ時点ではまだ熱々の珈琲だった。
それを口元まで運んで、流し込む――たったそれだけの刹那に
冷まされたといっても、アイスコーヒーになったわけではない。
「この珈琲はきっと、ホットで飲むように淹れて下さったのだろうと思いまして」
「そうだけど……」
やはり黄金世代は、さらりととんでもない事をやってのける。
テンパっていたとはいえ、自分の鼻が
「あのっ……
「あ、あー……」
「だから、珈琲が思ったより熱いとか、飲んで火傷するとか、そういうのないのかと思っていましたがっ」
「流石にそこまでじゃない、とは思う……それに、今はもう違う」
「今は、もう、違う? とても面白そうな単語が並びましたねっ……あ、すみません、興味深い単語がっ」
垣間見えた
「いいよいいよ、そんなに畏まらなくても。僕呼びでも全然良いし、噂によるともっと語気に勢いがあるって」
「それは……敵か味方かを判定するために身に付いてしまった、ちょっとした――自衛です」
「自衛……」
「『僕』と呼称したり、強めに発言したりすれば、相手の敵意を炙り出しやすいんです。敵意を持っている人ならそれだけで、すぐ喧嘩腰になってくれる……だから分かりやすくて、腹の探り合いみたいな、めんどくさい付き合いをしなくて済むんです。目をやたらと見開いているのも、そうです」
目をカッと開いて、すぐ元に戻す。力を抜くとスラッとした切れ長の目だった。意外なほど印象が変わった。
「……なるほど。それは無神経なことを言ってしまった。悪かった」
ペコッと首を折る
「いや、良いんですっ。キャラを被ってるのは案外楽だったりしますし!」
クシャッとした笑顔につられて、
飲み干した珈琲の、温度調節が解けてしまったのかも知れない。
「今みたいに話し方は、
「してないですね! まだそこまで深い仲でもないですから」
「ははは、気持ちいいね……じゃあ、なんで今、俺の前では?」
ボッと何かが沸騰するような音が聞こえた。よく見ると
「そ……それはっ」
「あれ? この部屋、暑い?」
「え? あー……まあ、そうですね」
盛大に肩透かしを食らったような
その様子に気付かぬ
「この部屋、カーテン無いんですね……」
珈琲を飲んで少しだけ冷静になり、やっと周囲の状況を観察出来るようになってきた
「う、ん。自分しか居ないし、ここ5階だし、向かいに背の高い建物無いし……いざとなったらボタンひとつで透過無しにできるし」
「――い、いざとなったら」
「ん? 何か言った?」
「いえ、何も――それより
「大丈夫、ちょっと驚いたけど。落ち着いてきた。まあ、でも……そもそも、ここどうやって知ったの?」
「それは、
「なるほど
つまり
「す、すみません! でもどうしても、
「言いたいことに聞きたいこと? さっきの
「それもそうですが、聞きそびれたら嫌なので、要点をメモに纏めてみました」
ピッと、トランプくらいの小さなメモがサイドテーブルに差し出された。
それをおもむろに受け取る
「ふーん。見させて貰うね」
1・
2・
3・あのイカは天然の空魚ではない気がしたのですが、
「メモの語気は強いままのね……しかし、イカにいかがとか……ふふふふ」
「――え? ああああ、いや、それは狙ってません!」
失笑する
「狙ってないのが良いんだよ、ふふふふふ」
「そ、そんなに笑わなくても良くないですかっ」
「ごめん、怒らないで。語気とのミスマッチが、なんか……可愛くて思わず」
「かっ……かわっ?」
ボッと、また何かが突沸した。
「じゃあああ、じゃまず1つ目から行きますよ」
「オッケーオッケー。いいよ、何だったっけ」
「
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