7-5 二律背反的に

 どれくらい時間が経っただろうか。


 結良ゆうらは、地面に寝転んでいた。――辺りはもう薄暗い。


 幽霊地区ゴーストタウンが、一層それっぽい雰囲気を醸し出している。

 気怠そうに手を伸ばして、擬似脳波を発生させていた装置の電源を落とした。


 もうそこに群がる勿忘の君ムネモシュネは、ほとんど居ないのだが。


「しばらく……魚料理は食いたくない……」


 空魚は食べても、お腹は膨れない。


 しかし食べたという感触は確かにある。

 いくら食べても物理的にお腹がいっぱいになることはない。そんな物を食べ続けるのはある意味、拷問に近い。


 それを何千か、あるいは何万か……結良ゆうらは果てしない数の勿忘の君ムネモシュネを食べた。


 これこそが酒梨さなせの発見した『勿忘の君ムネモシュネに食べられた記憶を抽出する方法』の1つ。


 しかしこの方法は、まず精神的にキツいのと、それに加えてバラバラとした無数の記憶の断片が脳内へ強制的に送り込まれるので脳への負担も大きい。

 食べてみるまで本当にそこに目当ての記憶があるのかもわからない。


 なので酒梨さなせは、一般的に使えそうな抽出方法を模索し、研究を続けている。

 

 平均的な潜水士ダイバーより高度な計算処理を行える結良ゆうらで脳さえ疲労が溜まり、最後に勿忘の君ムネモシュネを食べてから、かれこれ小一時間、動けないままでいた。


 大の字のまま空を見上げている。

 

「――はぁ。ようやく記憶が整理されて来たぞ。こりゃ普通は無理だ」

 

 勿忘の君ムネモシュネから得られた記憶は、概ね目論見通りで、結良ゆうらの脳内には、白波しらなみの人生の大半の記憶が詰め込められた。


 だから、もう見えていた。


 ――この悲劇の核心が。


 流石に1時間も寝ていれば、起き上がれるくらいには回復している。それでもわざとらしく、何度も何度も溜め息を吐いた。


 記憶よりも、気持ちを整理したかった。

 せっかく取り込んだ記憶も、溜め息と一緒に抜け落ちて行ってしまえば良いのにとさえ思った。


 これ以上、何も知りたくない。これ以上何も語りたくない。

 でも、その憤りは誰にもぶつけることが出来ない。


 だからせめて嫌味ったらしく溜め息を吐くことで、この世界に意思表示をしたかった。


 ジャリィィ……


 ぼんやりと虚空を見上げ続ける耳元で、小石をいくつか痛々しく踏みにじられた。


 その音で結良ゆうらは、頭のすぐ横に誰かが立っていることに気付く。


「どうだった? 数万の空魚を食うって激レア体験は」

「……もみじか。急に来るなよ、ビビりそうになっただろ」

「ビビりそうになるだけなのかよ。やっぱりアンタはそっちの方が良いよ」

「そりゃどうも。そっちこそ珍しい、に。どうした?」


 もみじは静かに立っていた。結良ゆうらのタイミングを待っているようだった。珍しいその雰囲気に結良ゆうらは、なんとなく頬が緩んだ。


「話さぬなら、殺してしまおう……じゃないんだな」

「ふふふ。話すまで待ってやろう、塒ヶ森とやもり結良ゆうら

もみじに、そんな気を使わせてしまうなんて俺もヤキが回ったね」

「ウチをなんだと思っている?」

「……優しい先輩、と思ってますよ」


 ゆっくりと体を起こす結良ゆうら

 すると、目の前に封の空いたポテトチップスが突き出された。


「あら? マイティポテトの――新味じゃん。なにこれ」


 結良ゆうらが好きなポテトチップスの新作らしかった。


「アンタ好きだろこれ。追加報酬。口開いてるけど、食べてはいない。全部やる」

「……ふうん? ありがとう」


 両手で丁重にそれを受け取る結良ゆうら


「クライシスペッパー味……? 意味分からんネーミング。なんかヤバそうな雰囲気だね。それで、そっちは――国頭くにがみは、どうした?」


 ポテトチップスを1枚摘んで、それを口に運ぶ。


「死んだ」


 バキン、と大きな音が顎から耳へ伝わってきた。


「そう……うわ、なかなか辛いなこれ」

「ワニみたいな号付異質同体ブルベシメールに自分のアタマ噛み砕かせてな。あのワニ、気配を消すのが上手かったな」

「……そのワニは?」

「ウチにまで牙向けやがったから、勿論ぶち殺した」

「それは良かった」

「なあ、結良ゆうら。これでこの事件の真相を知ってんのは、多分アンタとウチだけになった」

「真相なのか深層なのか……どっちにしても、どうやらそうみたいだね」

「書き起こさないとわからないような言葉遊びすんな――それで、どうするよ?」

「何を」


 ガサガサと袋を振って中身を集める。


「真相をつまびらかに、解き明かすことが、誰かを苦しめることもあるだろ? 親友として白波しらなみの尊厳を守ってやるのか、それとも真相をただいたずらに暴露するクソ正義感で動く探偵気取りになるのか」

「尊厳、ね……俺がここまで苦労して知った情報を、お前は当然のように知っているのか」

国頭くにがみの遺言みたいなもんだ。気にするな」

「――それこそ暴露しないだろ。あの人なら」

「……はぁ…………やっぱりそういう感じのが好きだぜ、結良ゆうら

「そりゃどうも」

「そんな、ツンケンすんなよ。仕方ないことなんだ。アンタも頭では分かっているんだろ? 白波しらなみがどうこうよりも……」


 もみじは、結良ゆうらの横へ腰を落としながら――


「取り崩された筈の号付異質同体ブルベシメール研究の残党が、もしこんな事件を起こしたのだとしたら……大問題だろ? しかも走井はしりい学園にその首謀者が紛れ込んでいて、あまつさえ学園の研究設備を使って怪物が生み出されていたなんて……」

「有り得ないね。そんなこと、あってはならない」


 親指と人差し指の指先をペロッと舐める。


「――そう。あってはならない。走井はしりいの名声と、白波しらなみの尊厳を同時に守れるんだから、それで良いだろ。それのが良いだろ」


 結良ゆうらの肩をポンポンと叩いて、もみじは消えた。


 肩を叩かれたのに、何故か頭の中が痺れた。


「尊敬を守れば、意思は守れない」


 また1つ大きな溜め息を吐いた結良ゆうらだったが、すぐに『いや、そうでもないのか』と思い直した。


 もしかしたら国頭くにがみの想いくらいは守れるのかも知れないと思った。


「あー……そうするともみじは、上手くやったということなのか――ふう、しかし辛すぎないか、これ」


 立ち上がって、袋の口をクルクルと器用に畳んで、簡易的に蓋をした。残りは家に帰って食べる。


「……符号香ラストノート、発動」


 立ち上がって、くるっと振り返り、黒い染みがあった辺りを見下ろす。


調……


 胡散臭く、演技っぽく。



 少しだけ、誰かのように二律背反的アンビバレンスに笑って。


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