7-4 勿忘の君

 誰かの死を隠そうとするのは、どんな時だろうか。


 まず真っ先に思い当たるのは、自らの手で殺した場合――殺人の隠蔽だ。

 国頭くにがみ白波しらなみを殺そうとしたのなら、ここにその痕跡があるだろうし、殺しきれていなくて、とても中途半端だ。


 それ以外だと、隠した当人に何らかの利益がある場合か。


白波しらなみの死を隠して国頭くにがみに利益……何かあるのか? もし仮にあったとして、あんなに派手に潜水士ダイバーを襲い続けていたら、それどころじゃないよな」


 こればっかりは本人の口から聞かなくてはわからない気がしていて、あまり深く考える気も無かった。


 本人から聞くしかないが、きっと国頭くにがみは『号付異質同体ブルベシメールの恨みを晴らしたかっただけだ』と主張するだろう。


「真実を語らせようにも、国頭くにがみには尋問は効かなそうだし……」


 読心能力リーダーの得手不得手をよく心得る国頭くにがみを、同じ読心能力リーダーで尋問しても上手くいくとは思えなかった。


「『爆心マインドマイン』呼ぶ? イヤイヤ。絶対、こんな案件に動くわけないよな、あのクソ野郎は……はぁ……」


 自分には、まともな友人が少ないような気がして、割りと大きめの溜め息が出た。


「これじゃ、打つ手なし…………なんてことも無いんだよねー。酒梨さなせちゃんの論文のお陰でさ」


 もみじが居たら蹴り飛ばされそうな三文芝居をかまして、背負っていたバックパックを肩から外して地面に置く。

 その中から、ガチャガチャとした四角い箱のようなものを取り出した。何かの装置のようだった。


「さすが酒梨さなせちゃん……いつもこんなの持ち歩いてんだね」


 そのリュックと中身は酒梨さなせから借りたものだった。ダメ元で「持っている?」と聞いてみたら持っていた。流石、優等生。

 もし持っていなかったら、ここへ来るのはまた後日だっただろう。


「意識を失った潜水士ダイバーの、その脳波にだけ顕れるとても小さな……」


 結良ゆうらは取り出した装置の電源を入れて、沢山あるツマミを細かく調整する。

 装置には小さいモニターがあって、黒い画面に波形のようなものが映し出されている。ツマミをいじると形が少しずつ変わっていく。


勿忘の君ムネモシュネが、まさかその揺らぎを目印にエサの在り処を探していたとはね……よくこんなの気付いたな、酒梨さなせちゃん」


 記憶を食べる空魚――その名は勿忘の君ムネモシュネ


 酒梨さなせが発見・捕獲し、その生態について論文を発表した新種の危険性空魚だ。勿論、命名も酒梨さなせがした。


 危険性空魚と呼ばれる空魚達の、有する危険性は様々だ。

 捻じ曲がった者クラーケンのように直接的に危害を加えるようのタイプもあれば、麻薬のような成分を分泌し幻覚を見せたりするようなタイプも居る。


 勿忘の君ムネモシュネの危険性は、『記憶を食べる』というその行為。これが、攻撃としてではなく、食事としての行為というからまた厄介。


 姿形は、そこら辺にウヨウヨ居る空魚と大差無く、ごく最近まで存在が認識されていなかった。

 偶然、酒梨さなせが発見した時、世間は騒然とした。


 実際に記憶を食べているのかどうかは、勿忘の君ムネモシュネの内包エネルギーの増減を確認するのと、食べられたらしき人の脳内を読心能力リーダーなどで直接覗き、記憶の欠損部分を確認するしかない。


 欠損部分を見つけたとしても、記憶は脳内で時系列的に綺麗に配置されているわけではない(らしい)ので、何に関する記憶が無くなっているのかまでは分からない。


 酒梨さなせの研究によれば勿忘の君ムネモシュネは大食感ではないようで、1匹の勿忘の君ムネモシュネが1度に食べる記憶の量は多くても半日分程度。

 しかも食事の間隔は数週間置きだとか。


 ただこれはあまりになる情報ではない。


「大食感じゃないとはいえ……群れるのは問題なんだよな」


 勿忘の君ムネモシュネは群れる。数百から数千、あるいはそれ以上の単位で群れをなす。


 1匹の食べる量が最大で半日程度の記憶量だとしても、それが数千も居たら話が違う。下手をすれば数年レベルで記憶が無くなる。


 勿忘の君ムネモシュネがエサとして認識するのは、何らかの理由で意識を失っている潜水士ダイバーなので、ひと度目を付けられると為す術なく、かなり悲惨な状況に陥ってしまう。


 ……とは言え、透明な壁ゲビートの効果範疇であればほとんど襲われることはないのだが。


 もし万が一、下之宮市内で襲われる可能性があるとすれば――そう、この場所。

 市の中心から最も遠い辺境の幽霊地区ゴーストタウン――礼羽らいは地区くらいだ。


酒梨さなせちゃんも、幽霊地区ゴーストタウンにしか居ないって言ってたっけ……もみじに……」


 何かちょっと危うい記憶に触れたような気がして、少し固まってしまった。


「え、えっと……設定値は、こんな感じだったかな」


 結良ゆうらがチマチマと調整している装置は、脳波を再現し発生させるもので、酒梨さなせのこの研究の根幹を支えた代物だ。


 この装置で、意識を失った潜水士ダイバーの脳波を擬似再現させることで、そこに集まってくる勿忘の君ムネモシュネを捕獲するのだ。


 波形の調整を終え、擬似脳波を発生させるスイッチを入れる。

 ブーンと低い低周波が鳴る。


「――この論文が面白い! 凄い! って俺に勧めてくれたのは、白波しらなみだったんだよな……」


 装置を見下ろしながら数歩、後退あとずさりをする。


「だから白波しらなみは、この場所で自殺を計ったら、勿忘の君ムネモシュネに襲われる可能性があるって予測していたんだろう」


 勿忘の君ムネモシュネが襲うのは意識を失った潜水士ダイバーだが、死亡直後の潜水士ダイバーも対象に含まれるだろうと酒梨さなせは論文の終わりに推察していた。

 結果としてこの場で命を落とすことはなかったとはいえ……その考察を読み落とすような白波しらなみではない。

 何かそこに、白波しらなみの最後の意志らしきものを感じたが、そこに思いを巡らしている暇は無かった。


「……来た」


 光るもや結良ゆうらに近付いて来ていた。

 そのもやは、蠢いて、形を変えながらこちらにゆっくりと向かってくる。


 あまり怖いものが無い結良ゆうらですら、薄ら恐怖を感じるような不気味さ。


「群れると……こうなるのか。流石にちょっと気持ち悪いな」


 もやの正体は、擬似脳波に釣られてやって来た勿忘の君ムネモシュネの群れ。


 数百か、あるいは数千か……数える気が失せるほどの大群だ。

 低周波を鳴らす装置へ目掛けて、その大群が緩やかに近付いて行く。


 もやの中から、数匹の勿忘の君ムネモシュネが飛び出て装置をついばむような動きをした。


「ははっ……久しぶりの食事とでも思ったかい? 申し訳ないね」


 その様子を見て、スンと鼻を鳴らす。


「やっぱり。ここで白波しらなみの記憶を食べたヤツらがいるね」


 結良ゆうらは、また装置をついばもうとした1匹の勿忘の君ムネモシュネを、パッと無造作に捕まえた。


「記憶からも、その人の匂いがするもんなんだな……」


 そして、そのまま頭からした。

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