7-2 予想通りに期待外れ

 捻じ曲がった者クラーケン討伐の報告書をタブレットで作成しながら結良ゆうらは、潜水士ダイバー墜落事故のの……死亡順としては3番目の事故現場へ再び向かっていた。

 


 ――――捻じ曲がった者クラーケンとの戦闘で負傷した入生田いりうだ達は、走井はしりい学園の医療班に応援を要請し、学園直轄の病院へ搬送された。


 重傷を負った厳木きゅうらぎを含め全員、命に別状は無いとのことだった。

 触手の直撃を受け、飛泳能力を失っていた入生田いりうだら3人は、ある種の毒を受けたような状態で、適切な解毒措置をすればすぐに回復するらしい。

 脳に負荷をかけ過ぎた水上むながいも、見た目よりは重症じゃなく、少し休めばこれまで通りに算術アリスマを使えるだろうという話だった。


 それを聞いて結良ゆうらは胸を撫で下ろした。


 医療班の中にかつての同輩で、今はの1人が居て、彼から「お前がついていながらなんてザマだ」と叱責されたが、続けて「だけどまあ……お前が辿り着けたからこの程度で済んだんだろうな」などと言ってくるもんだから、少しだけ泣きそうだった。

 その様子を見て彼は更に「まったく、やっとですか。お前なら戻ってくると思っていたけど、流石にちょっと待ちくたびれたよ」と追い討ちを掛けてきた。


 そんな彼らを見送って、結良ゆうらはこの悲劇に本当の意味で幕を引くため歩き出した――――



 報告書をだいたい書き終えた頃、ちょうど目的地に着いた。


「やっぱり、日が傾いてから来るような場所じゃないよねぇ……」


 そこは、他の5つの現場とは、まるで違う雰囲気だった。時間のせいもあって、とにかく薄気味悪い。


 それもその筈。そこは下之宮市の辺境――礼羽らいは区だった。

 かつて号付異質同体ブルベシメール研究が盛んに行われ、そして衰退し、下之宮市に吸収併合された地域。


 併合されはしたが、そこに元々住んでいた旧礼羽らいは市民のほとんどは、下之宮市の中心地へ移住しているし、新たに移り住んで来る人は居ない。

 生きながらに死んでいる、あるいは死んだことに気付いていない――亡霊のような。

 幽霊地区ゴーストタウンと呼ばれてしまうのも無理からぬ話だ。


 割れた窓ガラス。

 ボロボロに荒れたアスファルト。

 乾燥して棘立つ空気。

 澱んだ第二の水アナザーウォーター

 枯れた草花。

 あちらこちらに点在する不法投棄。


 とても栄華を極めた下之宮市の一部とは思えない。

 好きこのんでこの場所へ近付く人は少ないだろう。


 余りにも閑散とした殺風景を眺めていると、時間の流れが停止していくように錯覚した。


真理まりは焼き払ってしまえば良いんだとか言ってたよな」


 そんな物騒なことを呟きながら、ある建物を目指していた。寂れた廃墟の街に、まるで墓標のようにそびえ立つ背の高い建物。


入生田いりうだ達も、最初にここに来ていたら……話の見え方も違っただろうな」


 その墓標こそが、かつての号付異質同体ブルベシメール研究のだ。

 国頭くにがみが所属していた研究チームのメイン施設。


 墓碑の麓には、かつて入り口だったような場所がある。

 ここも酷く荒れていて、瓦礫が散乱し、ガラスは割れ落ち、ドアの引手も無くなっている。


 建物のエントランスというものが誰かを迎え入れるために設けられた場所だとするならば、ここは全くその本分を達成出来ていない。


「外敵を遮断するための門だとすれば、その目的は達成されているのかもね……」


 門のすぐ脇に結良ゆうらは立っている。


「こんなところで……白波しらなみは…………」


 結良ゆうらが今立っているその足元こそ、白波しらなみが意識不明の重体で発見された場所。

 規制線が張られた形跡も無く、誰かが手向けた花なんかも有るわけ無い。

 黒い染みだけが、地面に薄ら残っている。


 黒い染みは多分、血なのだろうが、この退廃した雰囲気の中に逆によく馴染んでしまっている。

 文字通り命をかけたその行為すら、まるで風景のように飲み込んでいる幽霊地区ゴーストタウン


 死に様がこんなにもかすれてしまったら、白波しらなみという存在がこの世にあったのかどうかすら、あやふやになりそうだった。


「――大丈夫、俺が忘れない」


 上半身を少し仰け反らせると、その動きにつられるようにして肺が大きく膨らむ。

 圧力の下がった肺は、その心細さを埋めるように外気を取り込もうとする。

 鼻へ、どっと流れ込んだその大量の外気から、『符号香ラストノート』は様々な情報を抜き取る。


 乾いた空気の匂い、澱んだ第二の水アナザーウォーターの匂い、瓦礫の匂い、砂の匂い、何かの薬の匂い、枯れそうな草木の匂い、陸上動物の死骸の匂い……

 

 でも、そこには肝心ながしない。

 

 結良ゆうらは、その匂いがを少し期待して、ここへ来た。

 多分、しないだろうと予想はしていたけれど。


「やっぱり……捻じ曲がった者クラーケンの匂いは全然しないか」


 普通、1ヶ月も時間が経過していたら専用の計測機器を用いても潜水士ダイバーや空魚の水媒子アープを検出することは不可能に近い。


 しかし結良ゆうらは『符号香ラストノート』でそれを嗅ぎ当てる。

 匂いを司る算術アリスマとしては、こういう効果の方が真っ当な感じもするが、それにしても常軌を逸したレベルである。


「発生順でいう2番目以降は、捻じ曲がった者クラーケンの攻撃で、飛泳能力を喪失してしまったことが原因だろう」


 搬送される直前に酒梨さなせが各現場の話をしてくれて、いくつかの現場で捻じ曲がった者クラーケンの残した透明な壁ゲビートらしきものを確認したと聞いた。


 そこに居ただけという雰囲気ではなく、何らかの攻撃を発動したであろう強さで。


 しかしそれがこの現場にはない。透明な壁ゲビートどころか、匂いすら無い。何の痕跡も無い。


「何故、白波しらなみだけ即死せず10日後に亡くなったのか。そして何故ここには捻じ曲がった者クラーケンの痕跡が少しも残っていないのか……そして……」


 っと鼻から息を吸い込む結良ゆうら


 期待とは裏腹に捻じ曲がった者クラーケンの匂いはしなかった。

 しかし逆に、実はもう1つ期待とは裏腹に、匂いがある。


「……何故……白波しらなみがここに残っているのか」


 捻じ曲がった者クラーケンの微かな残滓を探ろうと感度や精度を上げれば、白波しらなみの情報も不可抗力的に知り得てしまう。


「とてもかすかだが、白波しらなみはここで飛泳能力を発動している……地面に激突する、ほんの数十センチ手前で……」


 白波しらなみは飛泳能力を発動した。

 

 これらの事実が示す事とは――。

 

白波しらなみは、捻じ曲がった者クラーケンからの攻撃を受けてはいない」


 じゃあ何故白波しらなみはここで墜落した状態で発見されたのか……?


 結良ゆうらにはもう答えが見えていた。直視したくない答えが。

 

白波しらなみ……何で…………自殺なんて――」

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