007

7-1 守りたいもの

 甘ったるい空気が充満した部屋の中で、国頭くにがみは窓の外をぼんやり眺めていた。

 

「まあ。そりゃ、そうか……」


 意味ありげに髪をかきあげる。


「検体番号27、捻じ曲がった者クラーケン。多彩な攻撃性と高い知能、そしてステルス性能を併せ持った優秀な個体だったんだが……キミに目を付けられた時点で詰んでた」


 国頭くにがみの声は少し震えている。


「それはどうなんだろうな? アンタ、ワザと目に付くような動き方してたじゃん」


 その部屋には国頭くにがみ以外にもう1人居る。銀色の長髪を纏う、小柄な少女のような風貌。


 雪を欺く白肌と、ハッキリした二重の切れ長の猫目。その奥にある深く透明な碧眼が、獲物を狙う猛獣のように鋭く光る。


 その部屋に1つしかないドアのすぐ横で、壁にもたれながらを放つ――言問ことといもみじ


「ウチには、何がしたくて、何でそんなに焦っていたのか分からない。まあ、その辺は結良ゆうらに任せるから良いんだけど」

「じゃ、じゃあ……何故……キミはここへ来たのかな?」

捻じ曲がった者クラーケンから発せられている微弱な通信電波系の能力を傍受したからさ。アレだけ高知能に作り込んでおいて、指示を出す必要なんか無いだろ。どうして完全自律式にしなかった」

「ははは……キミの興味はそこなのか。指示を出すことよりも、記録を取るのが目的だったのさ……しかしそうだよな、電波なんか使ったら、キミに捕まえてくれと言っているようなものか。詰んでいたというより、詰めが甘かったね」

「それも含めワザとだろうと言っているんだよ」


 クスッと国頭くにがみは笑った。


「私はただ、国に――いや、走井はしりいに潰された号付異質同体ブルベシメール研究の、真の成果を、知らしめたかっただけなんだ」


 そう言って国頭くにがみ二律背反的アンビバレンスに笑った。



 号付異質同体ブルベシメールの衰退に関してはちょっとした都市伝説がある。


 ――号付異質同体ブルベシメール研究は走井はしりいに潰された――


 あくまで噂、戯言、都市伝説……だが、一応、根拠らしきものがないわけではない。

 号付異質同体ブルベシメール研究の非人道性や倫理的な問題が突然いくつも露わになって、反対デモが起きたり、その結果政府からの研究費が打ち切られたりした時期と、走井はしりい学園が潜水士ダイバー養成機関として世界最高峰の地位を確立した時期は、ほぼ一致している。


 更に、号付異質同体ブルベシメールの国内における筆頭的な研究施設が、下之宮市の隣にあった礼羽らいは市に存在していたのだが、この施設が閉鎖されることで号付異質同体ブルベシメール研究は終わりを迎えた。

 そして礼羽らいは市自体も下之宮市へ吸収併合された。


 そんなこともあって、走井はしりい学園の繁栄と号付異質同体ブルベシメールの衰退は何か関連があるのではないかという噂が流れるようになったのだ。


「ふーん……当時、ペーペーの平研究員程度だった筈のアンタが、そこまで復讐心を燃やすものかね」

「立場なんか関係ないんだよ。こちらは皆、人生狂わされたんだから――いや、現在進行形で狂わされていると言っても良いくらいだ」


 事実がどうあれ、結果はそうだった。


 号付異質同体ブルベシメール研究にそれこそ人生をかけていた者も居たかも知れないし、施設が封鎖されて職を失った者も居たかも知れない。


 その、行き場のない憤りを、ぶつける対象は必要だったのかも知れない。


走井はしりいが何かしたって前提で話が進んでいるが……まあそこは乗っかといてやるか……それにしたって、そこまでする必要があったのか疑問だ。6人も殺して、その上、入生田いりうだ達まで手にかけるところだった」

「クラス4数名だけでも十分だったが、黄金世代が相手となれば、名を売るには最適だろう? でもそれも塒ヶ森とやもり君に防がれてしまったがね」

国頭くにがみ、アンタ……号付異質同体ブルベシメールの研究データ、どこかに売るつもり? まさかその為にこの学園に来たのか?」

「――ああ、その通りさ! 国内も海外も、興味を持ってくれているところはいくつかあってね」


 躊躇ためらいもなく爽やかに答える。それでも二律背反的アンビバレンスな笑みは変わらない。


「……それでよく、スパイ対策で配属されている読心能力リーダー使い達の監視を、ずっと掻い潜って――」

「それは! ……そ、それは。読心能力リーダーの得手不得手をよく理解しているからだよ。思っているより難しいんだぞ? このチカラ」


 被せ気味に来た国頭くにがみに、もみじは『そんなこと知っているよ』とでも言いたげに眉をひそめてみせる。


「……弱点をきちんと理解して把握しているヤツの方が実は難敵、か。なるほど、アンタを完膚無きまで看破したかったら『爆心マインドマイン』のクソ野郎を引っ張り出すべきだったのかもね」

「その顔でやたらと、はしたない言葉を使うもんじゃないよ? ファンが泣くぞ」

「言葉使い程度で泣くやつはファンじゃねぇ」

「それもそうか……じゃない。『爆心マインドマイン』――彼なんかを連れて来られたら、隠し事なんて何の意味も無いだろ。それこそ目論見もクソもない」

「指摘した直後に自分も使うのは新手のギャグか? 笑えねぇな」


 肩で大きく息を吸って「私にはファンなんか居ないからね」と適当な相槌を打って――ふぅ、と1つ溜め息を吐いて、間を取ろうとする国頭くにがみ


 もみじのペースに呑まれないように必死に藻掻もがく。


「手ずから潰した号付異質同体ブルベシメール研究の残党をわざわざ囲い込んだのは、反乱分子の芽を摘む意図があったんじゃないかね。だから、多少の危険思想は敢えて見逃していたんじゃないのかな。こうやって炙り出した方が、気兼ね無く制裁できるだろうからね」

「囲い込んで、制裁か。妄想はどこまでも飛躍するねぇ。走井はしりいは、そういう妄想に囚われている、可哀想な連中に救いの手を差し伸べただけなんだよ」

「ふふふ……はずっとそういうスタンスだったっけな」

「――その恩を仇で返すなんて、酷いヤツだ。学園の研究設備でコソコソと号付異質同体ブルベシメールの研究続けて、空想級の鱗ル・ファンタスク・スケール相当の怪物を30近くも生み出しやがって」

「実用に耐えうるレベルのは3体だけだった。その子達も、ついさっき塒ヶ森とやもり君ともみじちゃんに抹殺されてしまった」

「――馴れ馴れしくするな」


 バリバリバリ、と根源的な恐怖を煽る炸裂音が部屋に響く。


「さっきウチが潰した2体……捻じ曲がった者クラーケンより小型だったが、より攻撃性能に感じがしたな」

「そ、その通りだよ……だからアレは流石に街に野放しには――」


 大きくスタッカートを打って、もみじが遮る。


「全くお話にならなかった。野生の空想級の鱗ル・ファンタスク・スケールのがまだ噛みごたえ有ったよ」

「は、ははは……いくら天下の『天滅神号ピリオドシグナル』が相手とはいえ……まさか傷一つ付けられないとはね」

「いや。待て、待て、待て。あんま笑わせんなよ? あんなのでウチに傷を負わせられるつもりだったのか? 見誤るにも程がある。見くびるのも大概にしろ」

「……っ!」


 もみじが畳み掛ける。


「所詮な、なんだよ。号付異質同体ブルベシメールなんて。どれだけ突き詰めようと、どれだけ極めようと、ウチらの足元にも及ばないのさ」


 長い銀髪が青白い光を帯びてユラユラと揺蕩たゆたう。


 神秘的に、荘厳に。

 あるいは不気味に、妖艶に。


 国頭くにがみは、その人ならざる雰囲気に気圧されて言葉を発せない。


「空魚への技術転用で、あのレベルなら潜水士ダイバーに戻したら、どうせもっと雑魚いんだろ? 使えねぇ、使えなさ過ぎるよ。そりゃあ政府も見限るさ! こんなポンコツしか作れない研究お遊びに割いてやる時間も金も無いってね!」


 気付くともみじは壁にもたれていなかった。

 悠然と歩を進め、国頭くにがみとの距離を詰める。


 もみじの一挙手一投足に部屋全体が震える。少しでも気を抜けば、存在が消し飛んでしまいそうだ。


「自分達の不甲斐なさや無能さを棚に上げて、他人のこと逆恨みしてたら、世話無ぇよ」


 揺れていたのは部屋ではなく――世界全体だった。言葉のひとつひとつに世界が揺らぐ。


 冷や汗は頬や背中を伝うことなく、すぐに蒸発してしまう。

 ダージリンの甘い佳芳かほうも分解されて消えてしまった。


 もみじの圧で何もかも押し出され、まるで真空になってしまったかのようなその部屋で、国頭くにがみはなんとか呼吸の仕方を思い出した。


「――はっ、はあ、はぁ…………ふふふ、なんと、まあ。酷い言われよう。言いたい放題だね」


 そうしてまた意味ありげに前髪をかきあげる。


「キミの――言問ことといちゃんの、言う通りなんだろうね。やっぱりただの逆恨みなんだろうね」


 言いながら国頭くにがみは、椅子に倒れ込むように座った。そして小さな窓から、また外を見る。


 ――その瞬間、部屋にかかったが解かれた。

 

「違う。そうじゃないだろ、普通」


 挑発的だった今までと打って変わって、空っぽな口調でもみじが言う。


「なに勝手に黄昏の中、エピローグでも語るような哀愁漂わせてんだよ」

「……は?」


 国頭くにがみは状況が掴めず、素っ頓狂な声を出してしまった。


「いやいや、『は?』はこっちのセリフだよ。やっぱりチグハグしてんだ、アンタ。走井はしりいに対して、6人も殺すほどの強い恨みがあったんだろ? そのために号付異質同体ブルベシメールすいを集めて、手塩にかけて空想級の鱗ル・ファンタスク・スケールクラスのペットを生み出したんだろ?」

「そ、そうだが……それが」

「だーかーら」


 気怠そうに、溜め息交じりに。


「その可愛いペットが、3体も瞬殺でぶち殺されてんだぞ? そして目の前でそのペットも研究自体もボロクソに扱き下ろされてんだぞ? だろうがよ。んで、最後に、ダメ元でもなんでも一矢報いようとするところだろうが!」

「……っ」


 ハッとしたような表情を見せる国頭くにがみ


国頭くにがみ、アンタ……一体何を隠しているんだ? いや、違うな。この反応は……」

「わ、わた……私は――」

「アンタ、何をんだ?」


 消えたと思っていたダージリンの香りが、また鼻先に戻って来た。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る