6-3 再起動

 例えば、現実に確かに存在する何かがあったとして。


 でもそれを認識している人が居なかったら、果たしてそれは現実と呼べるのだろうか。

 理論的に証明されていても、実証されていなければ、それはきっと仮説。


 この世界には、そんなあやふやで曖昧なものが結構多い。

 それらをくるめて、現実と呼ぶのだが。


 じゃあ……夢ではなく、妄想ではなく、仮説ではなく、幻想ではなく――現実を現実と定義するものは何なのか。

 現実を要素は何なのか。


 もし線引きがあるなら、その境界線は何処にあるのか。


 眠りながら見る夢は、その内容こそ非現実的な場合も多いが、夢を見る行為それ自体は間違い無く現実だ。


 夢か幻のような話でも、集団幻覚のように一定数の人が同じことを言えば、それはほとんど現実みたいなもの。


 叶わないと馬鹿にされる壮大な目標としての夢も、口に出し続け、追いかけ続ければいつか叶って現実になる。


 逆に、実力的にやればできると言われ続けても、結局やらなかったらそれは現実ではない。


 ――人の生き死にも、きっと同じだ。


 誰からも忘れ去られてしまった人は、生きながらにして死んでいるようなものではないか。


 逆に、例え死んだとしても、その人を忘れない人が1人でも居続けてくれる限り、それは生き続けているようなものではないか。

 

 結良ゆうらの心の中にいる、も。

 

『きっと忘れない』と結良ゆうらは思う。


「だから、ごめん」


 もし自分が死ぬ時は、ちゃんと誰かに託していくから。


「だから……ごめん」


 だからあなたは、死なない。


「だから」


 ごめん――


 春のうららかな日差しのような笑顔、せせらぎのように優しい声、爽やかな朝の澄んだ空気のような匂い。

 その全てを結良ゆうらは忘れない。


「『符号香ラストノート』――再起動リブート……」


 破裂しそうになる胸を押し込めるように結良ゆうらは、号付ブルベの号を唱えた。

 

門番ヘイムダル』とではなく、『符号香ラストノート』と。

 

 それこそが結良ゆうら自身が開発した号付ブルベ

 そしてそれを約1年半ぶりに、再起動リブートさせた。


 再起動リブートは、算術アリスマの効果が開発者の想定を超えて暴走した時などに、強制的に発動を停止するための緊急停止コマンドのようなもの。


 たまに休止スリープを挟んで来たにしろ1年以上発動状態を維持し続けた『符号香ラストノート』のが、この瞬間消えたのだ。

 それは結良ゆうらにとってのような単語だった。


 やり切れなくてごめん。

 背負い切れなくてごめん。

 助けられなくてごめん。


 そして、『符号香ラストノート』は、本来のチカラを思い出す。


 そして、盤面が切り替わる。

 

 ――アンタなら何とかする――


 ――躊躇わないことだよ、塒ヶ森とやもり君は――


 ――使いこなせてないなんて嘘だろ――


「……皆、そんなに期待するなよ」と結良ゆうらは頭をぐしゃぐしゃと掻いた。


 ――いつもみたいに笑ってなよ――

 

「ああ、そうするよ」

 

 ――大丈夫、大丈夫だから――


 ――先輩ならきっと辿り着いてくれると信じていたよ――


 「本当はもっと早く、気付いてやりたかった」


 だから今は……せめて今からは、何にも遅れないよ。もう誰も死なせない。

 

 スっ、と結良ゆうらは向きを変える。


 ――

 今何が起きているのか。何処でそれが起きているのか。どんな状況なのか。


 どんな危機がそこに在るのか。

 どうやれば、そこへ最速で行けるか。


 全て分かる


「マジかよ……とんでもねぇ状況だな。この気配を感じ取ること自体を回避していたのか」


 左手で顔面を覆って自分の情けなさに打ちひしがれながら……それでも前を向く。


 折れている暇は無い。今は俺しか居ない。入生田いりうだ達を救えるのは自分だけだ。


 胸の苦しさは消えない。でもそれを思考で押さえ付けて――身体を動かす。

 軽くトンっと地面を蹴って、飛泳を開始する。

 

 ドゴオオォ……ン!

 

 まるで雷のような爆音が鳴り響いた。

 結良ゆうらが、キックと同時に発生した第二の水アナザーウォーターの圧縮爆発。それによる衝撃波。


 で、いかなる目的地に到達するという飛泳スタイル――ワンキック。


 走井はしりい学園の短くないその歴史において、歴代最速の飛泳速度を誇る結良ゆうらのみが可能な飛泳スタイル。


 誰も真似出来ないし、真似しようともしない。

 参考に出来ないし、参考にしようともしない。


 塒ヶ森とやもり結良ゆうらがクラス5である所以ゆえんで、代名詞のようなもの。

 

 ワンキックの残響が消えぬ内に、結良ゆうらは、捻じ曲がった者クラーケンが見下ろすその先に居た。

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