5-6 続・空想級の怪物

 水上むながいの言葉に胸を抉られたその直後、また更に衝撃的な光景を酒梨さなせは見た。

 入生田いりうだ号付ブルベ

 が、1度も目の前で披露されたことはなかった。

 敢えてしないようにしている、そう感じていた。


 今回以外にも、入生田いりうだと課外活動には出たことがある。

 透明な壁ゲビート界隈の危険性空魚の討伐だったが、その時も入生田いりうだは、あろう事か無銘アノンのみで危険性空魚を仕留めていた。

 基礎レベルがとんでもなく高く、サイコキネシスなんかはパッと見、そっち系統の号付ブルベなのかと思ってしまう程だ。


 無銘アノンで十分やりくり出来るから、それこそ爪を隠しているだけなのかと思っていたが、どうやら違うらしかった。


『近くにいる人を怖がらせてしまう』という理由で、号付ブルベを人前ではあまり使わないというのが入生田いりうだのポリシーだった。


入生田いりうだ君の、算術アリスマ……こ、コレって……」


 怖い。


 本能的に酒梨さなせは、怖いと感じた。

 突然押し付けられた孤独のような恐怖。誰も自分を受け容れてくれないような恐怖。


 そう、世界からされているような恐怖。


『……寒気がする』と羽咋はくいは言わなかった。小撫こなでも『申し訳ないけど、やっぱり怖いねぇ』とは口にしなかった。


光を避ける者シェリダー』……拒絶を司る悪魔の名前を冠された入生田いりうだ号付ブルベ

 当代最高傑作の1つとも言われるこの算術アリスマは、その名が示す通りの能力だ。


 指定空間内――1辺が13.3メートルの立方体の拒絶空間――において、任意の物体・物質を『拒絶』する……というだけの効果だが、拒絶されたものはその空間内に存在し続けられない。

 存在を保てず崩壊するか、あるいはその空間の外へ押し出される。


 物質的な強度などを一切無視するので防御不能とも思えるこの算術アリスマ

 唯一制限があるとすれば、拒絶できる対象は入生田いりうだが『認知認識が正しくできているもの』に限定されるという点くらいだ。

 博識な入生田いりうだなのでなかなか有り得ないが、名前の知らない物質は拒絶できないし、構造的な認知が間違っている場合も同様だ。

 また、見えていないものも基本的に対象外。(見えていなくても、その存在を正しく認識できているなら拒絶可能)


 正確に計測されていないので推定だが、13.3メートルの立方体の拒絶空間を作れる射程範囲は数キロとも言われており、つまりその範囲内に在って入生田いりうだが性質や構造を正しく認識できているモノは全て拒絶の対象となり、入生田いりうだの気分次第で崩壊するか排斥される。


 だからその範囲内に居ると本能的に恐怖を感じるらしい。


「皆、済まない。この状況は完全に僕の判断ミスによるものだ。だから、責任を取らせて貰う」


 入生田いりうだ精神感応テレパシー

 号付ブルベを発動した影響か、精度が上がり過ぎて、まるで耳元で囁かれているようだ。


「あと、怖がらせてごめんね」


 そう言って精神感応テレパシーは閉ざされた。


入生田いりうだ君……!」


 隊長の入生田いりうだが最前線に出て責任を取ろうとしているのに、副隊長に指名された自分はこのまま何もせずにいて良いのか。酒梨さなせは決められない。


 負傷者も居るし、入生田いりうだが作った隙を活かして逃げるべきではないか。


 もう一度、先輩や学園に応援を要請するべきじゃないか。


 いや、入生田いりうだが『光を避ける者シェリダー』を発動したのなら、もう逃げる必要は無いんじゃないか。


「どうしたら……」


 答えが出るより先に、周辺のが増した。


 入生田いりうだが右手を捻じ曲がった者クラーケンに向けて伸ばす。

 捻じ曲がった者クラーケンを囲うように、仄かに光る線が浮き上がり、巨大なを形作る。胴部は完全にその中に収まった。


「――第二の水アナザーウォーターの存在を拒絶する」


 キイ、イイイイ……!


 これまでに無い捻じ曲がった者クラーケンの叫び声。


酒梨さなせさん、大丈夫。志乃しのなら大丈夫。何も心配しなくていい。もう終わる」


 何かを感じ取ったのか、小撫こなで酒梨さなせ精神感応テレパシーを飛ばす。


「ほら……あのを耐えられる空魚は居ない。それが例え空想級の鱗ル・ファンタスク・スケールだとしても」


 危険性空魚の抹殺に絶対的な効果を発揮する絶水。

 仕組みとしては、『光を避ける者シェリダー』による拒絶空間内から第二の水アナザーウォーターを排斥するというだけだが、空魚には効果覿面てきめんなのだ。


 空魚は第二の水アナザーウォーター内でしか生存できない。

 危険性空魚も空想級の鱗ル・ファンタスク・スケールもそこに違いは無い。


 通常の水から打ち上げられた魚だと、長ければ数十分の間は生存し続けることができるが、空魚はもっとダメージが深刻で、数十秒で致命的なダメージを負い、1・2分もすれば組成が崩壊する。


 個体差があるにはあるが理論上、空想級の鱗ル・ファンタスク・スケールでも組成崩壊まで3分ももたないとされている。


 捻じ曲がった者クラーケンを拒絶するという方法もあって、その方が効果は高く、要する時間も短いと想定される。


 しかし、空魚は組成のバラつきが大きく、同じ見た目・同じ形をしていても、物質的には全くの別物ということも多い。

 そうすると、拒絶に失敗してしまう。

 捻じ曲がった者クラーケンの組成構造も、ほぼほぼ当たりがついてはいるが、殺し切れないリスクがあるのなら確実な方を入生田いりうだは選択する。

 

 キィ……キイ


 捻じ曲がった者クラーケンの鳴き声が、弱々しくなる。

 

 キ……キ、イ……


 そして消えた。

 捻じ曲がった者クラーケン、その巨体が消えた。

 触手も胴部も頭部も、

 

「――なっ!」


 それは入生田いりうだの想定していた消え方ではなかった。

 消滅はするだろうと思っていたが、それは拒絶空間内に収まった胴部のみの筈だった。


 第二の水アナザーウォーターが排斥されたのは薄ぼんやり光る立方体の中だけなのだから、当然そうである。

 胴部が消滅していく余波で多少は触手の根元辺りも消えたりはするだろうが……無数の触手の先端までもが一斉に消えるなんて、それは完全な想定外であった。


「し、しまった……これは――」


 捻じ曲がった者クラーケンは、初めて姿を見せてから今まで1度も移動らしい移動をしていなかった。

 その巨大が故に、移動速度は芳しくないのだと思っていた。


 いや、思わされていた、と言った方が正しいだろう。また 思い込みを植え付けられていたのだ。

 捻じ曲がった者クラーケンが、墜落事故に関わっているという認識が正しいのであれば、広大な下之宮市の外縁部に点々としている事故現場を、そんなノロノロと移動しているわけがなかったのに。


『またこんな単純な見落としを……』と思うが早いか、入生田いりうだは左脇腹に重い衝撃を感じた。

 パリパリパリパリ……と何かが割れる音と共に入生田いりうだは真横に弾かれ、地を転がった。


「がっ……」


 何度も地面に体を叩き付けながら、十数メートル転がって、建物か何かの壁に激突し、止まった。

 そしてまた地面に這いつくばった。


「ぐっ、う……あ」


 顔だけ動かし、直前まで自分が立っていた場所を見る。


「……あ、あれは……ワープゲート? や、やはり空間移動系の……」


 入生田いりうだが元々立っていた場所の左後方、ぽっかりと丸く切り取られたように空間に穴が開いて、そこから触手が生えていた。


『あれにやられたのか』とすぐに理解できたが、だとすると逆に何故、自分は生きているのか不思議に感じた。


 厳木きゅうらぎの腕を切り落とした触手だ。それを脇腹に受けたのだから、上半身と下半身が切断されていてもおかしくない。

 

 「キ、霧氷キルヒ


 両手を入生田いりうだに向け伸ばす水上むながい

 目は血走り、右の鼻から血が滴る。

 一目で算術アリスマを使ったのが伝わってくる。


 薄氷ウスラヒは動かない物に限定した防御能力だが、それを、何も無い空間に浮遊状態で発動させるのが霧氷キルヒ

 言うだけなら簡単だが、実現の難易度は桁違いだった。


 薄氷ウスラヒは、動かない物の上に氷膜を形成する。つまり土台がしっかりしていて、固定点もあるので座標的な計算が立てやすい。


 片や、霧氷キルヒはそれを何も無い空間に形成するので、色々な意味で取っ掛りが無い。

 知覚感度を上げて第二の水アナザーウォーターが内包する水媒子アープそのものを座標点として用いるが、これがとても脳に負荷がかかるのだ。

 実戦での成功はこれまで1度無かった。


「でき…………た……」


 強度面では薄氷ウスラヒの半分にも満たないが、それでも入生田いりうだを助けるには充分だった。


「こ、心春こはちゃん……!」

「く……そっ……ぶふっ」


 水上むながいは実戦で成功したことのない霧氷キルヒを3ヶ所同時に発動していた。

 入生田いりうだと同じように、宙に丸く空いた穴から生えてきた触手によって攻撃された小撫こなで羽咋はくいを守るため。


 水上むながいは3人を俯瞰できる位置に居たから、彼らの死角に突然現れたに気付けた。

 霧氷キルヒが間に合わなかったら……いや、成功していなかったら3人とも即死していたかも知れない。

 しかし当然、その代償も大きい。


「ごめんね、入生田いりうだクン……もう、街……守れないや」


 振り絞ったその声よりも、鼻から滴る血の方が多い。完全に脳がオーバーヒート状態になった水上むながいは崩れ落ちた。


 入生田いりうだ達を弾き飛ばした触手は黒い穴の中へ悠然と引っ込んで行く。


「そんな――ど、どうする……」


 どうすれば逃げ切れるか、誰かを逃がすことができるか入生田いりうだの思考は退却に全振りした。


 ――しかしそこで更に、絶望的な異変に気付く。


「……ひ、飛泳出来ない……?」


 触手の直撃を受けて負傷したからではない。どれ程傷を負ったって、潜水士ダイバーは意識さえあれば飛泳自体は出来る。


 その速度やなんかは、やはり心身の状態に左右されはするが、全く発動出来ないなんてことは有り得ない。

 5年ぶりぐらいの地を這う感覚。


「くそっ……潜水士ダイバーの墜落、この能力でやったのか」


 飛泳能力喪失――それは、入生田いりうだの言葉通り、捻じ曲がった者クラーケンが持っている複数の能力の内の1つだった。


 墜落事故の犠牲者の死因は、飛泳中に高所から落下し全身を強く打ったことによるショック死。

 それ以外に目立った外傷は無かった。そしてこの事故に捻じ曲がった者クラーケンが関わっているのならば――


「どうして真っ先にこの能力を想定しなかったんだ……つくづく、僕は……」


 入生田いりうだは絶望と無能感に押し潰され、這いつくばった。

 退却に全振りした思考は、淀みなく『全滅』の2文字に上書きされた。


 キイ、キイイイイイ


 今度はセントラルパークホテルに絡み付いた捻じ曲がった者クラーケンが、その様子を見下ろしている。

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