5-4 ズルいやり方

「……どっひゃあ…………キツいわ、こりゃ」


 小撫こなでが口の血を拭う。いつの間にか束ねた髪は解けている。


「ヤバいな、捌ききれない」


 右手で左肩を抑える羽咋はくい


「完全にキレさせてしまったみたいだね……酒梨さなせさんと心春こはちゃんは無事かな」


 這いつくばった体勢から身体を起こしつつ入生田いりうだは前線から退避させた女子2人を気にする。


 目の前では捻じ曲がった者クラーケンが触手をうねらしている。

 無限連鎖爆破カオスアドラヌスを食らう前より一段と激しく、嫌味たらしく、まるで嬲るように。

 再生も完了し、自切した触手はもうどれだか分からない。


「ごめんね、入生田いりうだクン! 逃がしてもらっておいて……でももう1回、今のやられたら、建物に張ってる薄氷ウスラヒ、破られちゃうかも!」


 3人と捻じ曲がった者クラーケンから大きく距離を取り、俯瞰で見下ろせる少し背の高いビルの屋上。

 そこから水上むながいは叫ぶ――で。動転して精神感応テレパシーを忘れた。


 水上むながいが『雨みたいなの』と表現したのは捻じ曲がった者クラーケンの触手だ。

 長い触手を、天に向かって更に伸ばし、上空で折り返して垂直に直線的な弾道で地を撃ち抜く。

 地面を深く抉った触手は、また空に戻ってされる。


 まともに受ければ圧死、粉砕死。

 かすっても大きなダメージは免れない。


 触手が空を目指した瞬間、入生田いりうだの指示で羽咋はくいが両手を使った種明かしワームパーム酒梨さなせ水上むながいを射程外へ逃がしていた。

 

 その屋上から水上むながいが周囲の建物を守るために発動した号付ブルベ――『霧氷城ヨートゥン』。

 冷却型の温度操作系算術アリスマで、薄氷ウスラヒはその防御系展開。

 効果対象範囲内の動かない物の表面に、髪の毛1本分程度の薄い氷の膜を貼る。それだけ、だが……この氷は当然ながら、ではない。


霧氷城ヨートゥン』は、第二の水アナザーウォーターに直接干渉する数少ない算術アリスマである。

 第二の水アナザーウォーターを冷却して結果として氷を生むが、髪の毛1本分というその極小の薄さの中に氷が積み重なっている。

 1枚1枚が強化ガラス程度の強度を持っているのでそれだけでもとてつもない十分な防御力を誇る。

 しかし万が一、外部からの衝撃を受けて表面(第1層目)の氷膜が破られるようなことがあれば、その衝撃によって第二の水アナザーウォーターが凝固し2万1層目の氷膜が形成される。


 つまり自動修復機能を有した防御壁。生半可な攻撃では破られない――筈だった。


「絶対防御の薄氷ウスラヒが、まさか……」


 膝に手を置く入生田いりうだ

 攻撃の手数と、1発1発の威力、そして速度。そのどれもが想定以上に桁違い。

 自動修復で新しい氷膜の層が生成される速度より、表面が破壊されていく速度が上回っていた。

 初撃は捻じ曲がった者クラーケンが、貫通するより前に手を引っ込めたので事なきを得たが、次激も同じとは限らない。


「そりゃあ次はもっと強く来るよね……」


 わざとらしく目の上に左手の平をかざしながら見上げる小撫こなで

 視線の先には、先程よりも更に高く掲げられた触手。本数も増えているような気がする。


「あ……あとさ、入生田いりうだクン! 建物よりアナタ達を守りたいのだけど!」


 水上むながい薄氷ウスラヒで周囲の建物を守っているのは入生田いりうだの指示による。

 自分たちは捌き切れるから、周囲の建物を守ってくれと。


 確かに3人とも直撃は避けたものの、無数の触手が振り下ろされることで生まれた馬鹿げた規模のうねりサージで吹き飛ばされたり、の触手に弾かれたり、砕かれた地面が地雷のように爆散してその破片に当たって負傷していた。


 次も同じように直撃を避けられるか――3人とも自信は無かった。それでも。


「いや、 心春こはちゃん、近隣への被害は最小限にしたい……それが出来るのは 心春こはちゃんしかいない」

「……で、でも!」


 水上むながいは食い下がる。今感じているのは違和感とか、そんな小さなことではない。入生田いりうだ達は、きっと次は躱し切れない。


「大丈夫大丈夫、俺ら、まだまだ隠しているから」


 小撫こなでが軽く返す。そんなもの有りもしないのに。


小撫こなでクンまで……そんなこと――」

心春こはちゃん! 今、言問こととい先輩に連絡着いたから、きっともうすぐ、塒ヶ森とやもり先輩が来てくれる筈だよ」


 別の屋上に居る酒梨さなせからの精神感応テレパシー


香織かおりチャン! 塒ヶ森とやもり先輩に心酔しているんだったらゴメンだけど、あの人、『不殺コロサズ』って呼ばれているんだよ!」

「今、その話題、必要かな」

「必要有るから言っているの! も、防御系算術アリスマ使うから塒ヶ森とやもり先輩のことは色々と研究させて貰ったんだ! クラス5の先輩が何で今も三回生なのか気にならない?」

「……休学してたからとかじゃないの?」

「それもあるけど、課外活動のポイントをほとんど持ってないからなんだよ! 塒ヶ森とやもり先輩、最初に三回生になってから今まで、たったの1度も、危険性空魚を捕獲も討伐もしていないんだ!」


 捕獲していない。討伐していない。正しくは捕獲できていない。討伐できていない。


 もっと言えば危険性空魚に

 ――『門番ヘイムダル』の危機回避効果によって。


 透明な壁ゲビートの拠点たる大学は、ただそこに在るだけで地域の安全性を高めているが、居住区域内に迷い込んだ危険性空魚や、境界周辺を彷徨うろつく危険性空魚を積極的に捕獲・討伐することも大切な活動の1つ。


 捕獲や討伐は危険度の高い活動なので、上級生が担当することが慣例。勿論、危険度の低い課外活動もあるが、それはそれで下級生に譲るのが慣例なのだ。


 暗香浮動あんこうふどうのように危機回避効果を垂れ流している結良ゆうらは、危険性空魚との遭遇を回避してしまう。

 本人の意思や実力とは無関係に。それ程までに制御不能で、強力なのだ。

 かと言って下級生のポイントを横取りするような真似もできない。


 だからポイントが獲得できない。

 だから結良ゆうらは留年した。


 結良ゆうらについて多少研究した水上むながいは、『門番ヘイムダル』という算術アリスマを使うというところまでは知っている。

 しかしそれでも|詳細な効果までは把握出来ていないから、ポイント0の理由と門番ヘイムダルが結び付くことはない。


 結良ゆうらをよく知らない人であれば尚更、どんな理由がそこにあるのかなんて、どうでも良くて、ただ『空魚を仕留められない』という事実しか見えない。

 結良ゆうらが学園唯一のクラス5ライセンスということもあって『実力的には十分なのに、自分の手で空魚を殺すのが怖いビビリなんだ』とか陰口を叩く者が現れだし、そこから何時しか『不殺コロサズ』という蔑称が生まれた。


 それだけの実力があるならその分働けというからの理不尽な嫉妬も多分に含まれているのは言うまでもない。


「本当は、何か理由があるのかもしれない。でも、それならちゃんと反論すべきなんだよ。ただじっと黙っていたって何も伝わらないんだから!」


 過去の自分をたしなめるかのように水上むながいは吐き出す。


でさえ、『火のない所に煙は立たぬ』って思ってしまいそうだよ」

「声を上げなければ認めたことになるなんて、酷い曲解じゃない?」

「この引率も、達に実戦の場を与えることより、塒ヶ森とやもり先輩の課外活動ポイントを稼がせることこそが本懐だったんじゃないかって思えてしまう!」

「い、いくら何でもそれは言い過ぎだよ! 心春こはちゃん!」

「でも……! 現実として、先輩は今ここに居ないじゃないか!」


 意識的に意識しないようにしていた、結良ゆうらの不在を突き付けられ黄金世代達の心は揺らいだ。

 ギリギリのシチュエーションに置いて、心の向きのバラツキは致命的な穴になる。


「いや、先に行くと言い出したのは自分達だ……それも違うか、あれは僕の独断だ」


 入生田いりうだが2人の精神感応テレパシーに割り込む。

 そして敢えて自分のミスであることを強調した。捻じ曲がった者クラーケンに向かって2・3歩進みながら。


「ここに、塒ヶ森とやもり先輩が居ないのは……僕のせいだよ」


 限界の状況で、心をバラつかせないためにはが必要だ。その役を暗に引き受けた。


 『相変わらずズルいやり方だな』と入生田いりうだは自分自身をあざけりながら捻じ曲がった者クラーケンを睨む。

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