4-5 捻じ曲がった者

「……ぐ、うぅうう…………!」

 

 地面を雑に転がったものが何なのか、一瞬誰も理解出来なかった。


 本来の持ち主である厳木きゅうらぎさえも、コンマ何秒か遅れて来た激痛でやっと、入生田いりうだの足元にあるが自分の右腕モノであると認識した。


「――と、燈真とうま! 燈真とうまあぁあ……」


 倒れそうになる厳木きゅうらぎ杉田すぎたが絶叫のまま支える。

 何が起きたか分からない。何をされたかわからない。

 混乱し取り乱しそうになりながらも、即座に切断部の算術アリスマで止血をしていた。


萌々香ももかさん! 左前方へ、全力で回避!」


 入生田いりうだが叫ぶ。

 厳木きゅうらぎ達と正対する位置に居る入生田いりうだは、が2人の右斜め後ろから来たのだと推察した。


 その入生田いりうだの、声の意図を汲み取り他の4人も反応する。

 一瞬で、厳木きゅうらぎ達の後ろの空間から充分な距離を取った。

 放射状に散って、少なくとも20メートル以上の距離を確保した。


厳木きゅうらぎ……!」

「何なになに!」

萌々香ももかちゃん! 逃げなきゃ!」

 

 腕が転がって来た方向、地面に落ちる血の跡――それらと照らし合わせても、入生田いりうだは自分の推察が正しいと確信している。


 しかし。


「……


 何も見えない。何も感じない。

 そんな空間に赤い血糊が不自然な形で、不自然に浮いている。


 そしてヌルっと動く。


「鋏? いや……鉤爪の付いた、か?」


「『私、杉田すぎた萌々香ももかは問う。そこに居るものはこの呼びかけに応えて姿を現せ。さもなくばその存在を私は否定する』」

 

 厳木きゅうらぎを抱えたままの杉田すぎた入生田いりうだの指示を一旦保留した。そして、何もない空間へ『問いかけ』る。


萌々香ももかちゃんの……言霊!」


 その呼びかけに反応するようにズズズズっと何も無い空間が歪み、ぼんやりとシルエットが浮かんでくる。

 徐々にハッキリした形になっていく。


 杉田すぎた萌々香ももかは、言霊使いだ。

 これは潜水士ダイバー算術アリスマとはまた違う、全く別のルーツを持つチカラで、言葉を媒介にした呪いの一種。


 このチカラを扱える一族がかつては存在し『言霊使い』と呼ばれていた。


 彼女はその末裔――ではない。

 杉田すぎたには弟と妹がいるが、その2人や両親、親戚にも同じように言霊を使える者は誰ひとりとして存在しない。

 どうして杉田すぎた萌々香ももかだけがこのチカラを手にし、行使できているのかはわからない。


 わからないが、事実使えている。


 杉田すぎたが扱う言霊の中でも、特に威力と効果の高いものが『問いかけ』だ。


 名前を宣誓し、問いかけた時点で強制的に呪いが発動するという代物だ。

 そして、問いかけに応えるの場合を『真』、応えない場合を『偽』とし、その両方に『解』を設定できる。

 今、杉田すぎたは真の『応えて姿を現す』と、偽の『存在を否定する』という解を用いた。

 この場合、そこに居るはずの何かが、もしこの問いかけに応じず姿を見せなかった場合、存在が否定され消滅する。

 対象を一瞬で抹消するほどの効果があるが当然リスクも大きい。

 もし万が一、この呪いを破られた場合、杉田すぎたが死んでいたかもしれない。

 いわゆる呪い返しだ。


「も、萌々香ももか……その使い方は……辞めろって…………危ねぇ、って」

「黙ってて! 燈真とうまは喋らないで!」


 厳木きゅうらぎを抱える手に力が入る。如何なる手段で姿を消していたとしても『問いかけ』の効果は避けられず、必ず露見する。

 同じような『問いかけ』はこれまで何度も使用実績があり、視覚に影響する算術アリスマの効果が切れる時・解ける時の様子は何度も見てきた。


 しかし今回は何か違う。露見していく速度が遅い。


「お、大きい……」


 遅く感じたのは、対象が想像よりもずっと巨大だったからだ。

 ソレは2人の後ろには居たわけではなかった。正しくは、その更に後ろに建つ5階建てのアパートに


 鈍色にびいろの光沢、細かい鱗が密集した鎧のような質感。

 8本か10本か、若しくはそれ以上か――ウネウネと動き回る触手はハイパーループの透明チューブを支える橋脚のように太く、長い。

 触手の先端には鋭い鉤爪。その中の1つは、厳木きゅうらぎのものであろう血が着いて、真っ赤になっている。

 触手の出どころ、恐らくは頭部と胴部はアパートが埋もれる程に大きく、グロテスクで、見るものを威圧する。

 

 キィイイイイ!


 空気を切り裂く鳴き声。


「く、捻じ曲がった者クラーケン!」


 巨大な蛸の形をした空魚を見て酒梨さなせを口にする。


 捻じ曲がった者クラーケン……空想級の鱗ル・ファンタスク・スケールの中でも特に有名な怪物で、他の空想級の鱗ル・ファンタスク・スケールと比べると目撃情報は多く、存在することは間違いないだろうと思われている異質な存在。


「光学迷彩の擬態に気配隠匿? そしてこの馬鹿デカさ! こんな空魚いるのね!」

「だからこその空想級ル・ファンタスクだよ、小春こはちゃん……多分、今まで私たちが見聞きしてきた危険性空魚と同じと思わない方がいい。その枠を、遥かに超えてる!」

「冗談だろ、こんな大きさ!」

「見えるようにしてくれたのはナイスだけど、早く離れないと……羽咋、頼む!」

入生田いりうだ、了解だ」


 散開した小撫こなで入生田いりうだ羽咋はくいの3人は近距離の精神感応テレパシーで会話をしている。


 入生田いりうだの指示を受け羽咋はくいが左手を、厳木きゅうらぎ杉田すぎたに向けて突き出し、手の平を全開にする。


「気持ち悪いかも知れないが我慢しろ! 『種明かしワームパーム』」


 そのまま羽咋はくいが左手の平を閉じて握り込むと、それとシンクロするように厳木きゅうらぎ杉田すぎたの姿も消えた。

 

 キキィイイイイ……

 

 目の前から獲物が消えて少し驚いたような鳴き声をあげる捻じ曲がった者クラーケン


「出たり消えたりは、お前だけの専売特許じゃないぞ」


 言いながら羽咋はくいは握ったままの左手をグルっと動かしロイヤルゲートホテルの屋上へ向ける。

「このホテルは30階以上の高さだったよな。ここいらで良いだろ」


 そして左手を開くと、ホテルの屋上にパッと厳木きゅうらぎ杉田すぎたが現れた。


「ナイス、『奇術師マジシャン』」

「おう。しかし入生田いりうだ。どさくさに紛れて種明かしワームパーム捻じ曲がった者クラーケンの本体削れるか試してみたが……弾かれたな」

「マジか。羽咋はくいのソレ、初見で防御できるのか」

「いや、なんというか……防がれたと言うよりは、弱められたような感がある」

「弱められた? それのが不穏だな」


 精神感応テレパシーが飛び交う。


萌々香ももかさん! 萌々香ももかさん、聞こえる? …………萌々香ももかさん!」

「……あ、入生田いりうだ君? き、聞こえてる。聞こえてるよ」


 涙声のようだった。


「――ごめん、そっちのフォローに回れる余裕は無さそうだ。丸投げして申し訳ないけど、厳木きゅうらぎを頼む!」


 杉田すぎたは、言葉にせず数回頷いた。


厳木きゅうらぎを治してやってくれ」

「……当然。任せて」


 服の袖で頬を拭って。


燈真とうま、ちょっと我慢してね」

「あ、ああ。任せるよ、萌々香ももか

「……『緋炎コンルル』」


 ――真紅の炎が厳木きゅうらぎを包んだ。

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