4-4 生き別れの

 ロイヤルゲートホテルを見上げて固まったままの厳木きゅうらぎに気付いて、杉田すぎたが近付き、声を掛ける。


燈真とうま、大丈夫?」

「……あ、ああ。すまない……」


 厳木きゅうらぎは両拳を強く握っている。

 その音が聞こえてきそうで、杉田すぎたは胸が痛かった。

 

 この世の全てには光と影がある。そしてそれは表裏一体で、紙一重。


 今の世界のあらゆる技術の根幹である潜水士ダイバー及び算術アリスマも多分に漏れず――その研究開発には少なからず事故が付いて回る。

 開発段階において、あるいは何らかの実習の最中に。常に危険と隣り合わせと言える。


 それは周知の事実であり、新しい技術に危険は付き物という暗黙の共通認識により、誰もが積極的に目を向けない。

 ここ走井はしりい学園がいかに世界最高レベルの教育機関であったとしても例外ではなかった。

 寧ろ、強い光には濃い影が出来るもの。


 走井はしりい学園には、その長い歴史の中で3つ、国家管轄レベルになった事故がある。

 その事故は複数人の死者を出しており、直接関わったり現場に居合わせた学生や教員は、全員が死亡している。

 そしてその3つの中でも特に惨い事件として世間に記憶されている事故が、このホテルで、1年半前に起きた。


 あとの2つは走井はしりい学園が下之宮市の透明な壁ゲビートの拠点地となるより前に起きた事故なので最早、教科書で見るようなものだ。


 それに対し、この『ロイヤルゲートの惨劇』は、世界最高レベルの教育機関となった走井はしりい学園で起きた重大な事故として国内のみならず世界中に大きな衝撃を与えた。


「ここには、俺の兄も居た」

「うん、知ってる。だから無理しなくても良いと、私は思うよ」

「でも……1人だけ生存者が居たんだ」

「それが誰なのか、残りの27人がどうやって亡くなったのか、そもそもここで何が起きたのか、何もわからないんだよね」

「わからないんじゃない……隠されているんだ」


 ギリギリっと、拳を握り込む音がまた聞こえた。


「…………燈真とうま……」

「悪い、杉田すぎた。今は違う話だった。ここへ来ることは、最初から知っていたのに。何、動揺してんだか」

「それは全然、変なことじゃない」


 杉田すぎたの言葉に、少しだけ笑みを浮かべる厳木きゅうらぎ

 

 厳木きゅうらぎ杉田すぎたは、同じ高校から走井はしりい学園へ進学した。


 いわゆる地方出身組で、それでいてスカウトでもない。そんな2人が揃って『黄金世代』と呼ばれていて母校は何やら鼻が高いらしい。


 とはいえ2人の地元にも大学はあり、別にそこでだって十二分に名声を上げられただろう。

 何故、上京して走井はしりい学園へ入学したかといえば、厳木きゅうらぎの兄が主な要因だ。


 厳木きゅうらぎ燈真とうまの兄、帯刀たてわき俊真しゅんま


 姓が異なるのは両親が離婚しているからだ。帯刀たてわきが父の姓、厳木きゅうらぎが母の姓。


 元々は一家で下之宮近くの街に住んでいたが厳木きゅうらぎは母と共に、母方の実家へ戻ることになり、そこで杉田すぎたと出会った。


 優秀な者同士、似たところも多く、馬が合って――すぐに仲良くなった。

 そして杉田すぎたは、厳木きゅうらぎが語る『偉大なる兄』の話を聞くのが好きで、沢山話を聞くうちに自分にとっても『兄』であるような錯覚に陥っていた。


 そして、と思うようにもなっていた。


 いつしか杉田すぎたの方が、帯刀たてわきに会ってみたくなり『だったらお兄さんと同じ大学へ行けば良いんじゃない?』と閃いて、そして厳木きゅうらぎそそのかしてみた。


 離婚後もそのまま下之宮市近くに住み続け、弟に負けず劣らずの才能と言われていた帯刀たてわきが、走井はしりい学園に入るのは当然流れで、あとは厳木きゅうらぎ杉田すぎたが頑張れば良いだけだった。


 そうして帯刀たてわきから遅れること二年、厳木きゅうらぎ杉田すぎた走井はしりい学園に入学した。


 そのタイミングで帯刀たてわきも1人で部屋を借りて、同じ部屋で暮らすわけではないが、久しぶりに兄弟は少なくとも両親のしがらみからは解放された。

 水入らずの時間も過ごしたし、杉田すぎたを交えて食事や遊びにも出掛けた――やっと取り戻せた日常だった。

 

 しかしそんな日常は、ある日突然終わりを告げた。


 厳木きゅうらぎが入学してから、1ヶ月ほど経った5月の最後の金曜日。


 臨時課外活動で赴いたロイヤルゲートホテルの30階にある大ホールで、帯刀たてわきは事故に巻き込まれて死んだ。引率の上級生を含む26人の学生と共に。


 実際、正確に27人の死体があったわけではない。現場の状況や学園の記録などから、そこに居合わせた者は全員死んだと推測された。


 辛うじて生き残った1人も、精神・肉体ともに大きなダメージを負い、半年以上休学を余儀なくされたらしい。


「半年も休学していた筈なのに、その形跡が何処にも無ぇし、同じ学年の先輩達に聞き回っても、口を揃えて『そんなに休んだ人は知らない』なんて言いやがる」


 何かの算術アリスマ箝口令かんこうれいが敷かれていると厳木きゅうらぎは思っている。


走井はしりい学園に対して恨みとかあるわけじゃない。でも俺は、兄の死の事実を知りたい。それが俺の使命――」

 

厳木きゅうらぎ萌々香ももかさん、どうした?」


 少し先から入生田いりうだが呼び掛ける。


「ごめん、入生田いりうだ君! キュウちゃんがうねりサージ酔いしてさ! ビックリよ」


 うねりサージ酔いは、成り立ての潜水士ダイバーがよくなる船酔いのような症状。

 陸上生活と潜水士ダイバー状態との三半規管の切り替えが上手くいかないことが大きな原因で、その状態で強いうねりサージを受けたりすると起こる。

 ……しかしクラス3上位の潜水士ダイバーがそうそうなるものじゃない。


「え、マジ? そんなことあるの、厳木きゅうらぎ

「悪い、朝飯抜いたからかも」

「だから言ってるじゃん、三度の飯より朝飯! って」

「意っ味わかんねぇ」

「ごめん、萌々香ももかさん、それは俺も意味がわからない!」


志乃しの! 冗談言ってる場合じゃないぞこれ」


 緊迫した声で小撫こなでが言う。その横で引きつった笑みを浮かべる酒梨さなせ

 

 ここの現場も、空魚が敢えて立ち入らない空間があって、その半径を計測することにした。

 ここロイヤルゲートホテルは墜落事故の現場としては最も新しい現場。


 つまり発生したのは昨日の夜。


 24時間も経っていない現場だから当然、先程の4ヶ所目より大きいだろうなと、皆なんとなく予想していた。


「予想はしていたけど……まさか、こんな」


 その半径は5メートルを優に超え、20メートルオーバーという衝撃的なサイズだった。


「こ、これが本当に空魚の残した痕跡だとするなら……空想級ル・ファンタスクかも知れない。ど、どうしよう……想定の数倍大きい」


 空想級ル・ファンタスク――正式には空想級の鱗ル・ファンタスク・スケール


 それは、危険性空魚の中でも最高レベルの危険度を誇るカテゴリー。


 しかし、実際にその姿を見た者はほとんど居らず、そこに居たはずであろうという状況証拠からカテゴリーが設定されているだけで、捕獲した者や討伐した者は皆無。


 まるで空想のようであることから、こう名付けられた。


「……み、皆。いつ、戦闘が発生しても遅れを取らないよに、算術アリスマの準備を」


 想定が甘かったかも知れない、と入生田いりうだは思いながら、他の6人に目配せし、辺りを伺った。


 生唾を飲み込んだ音が頭蓋の中で反響する。

 

 嫌な予感がする。

 誰かに見られているような。


 もしかしたら、ここにあるのは透明な壁ゲビートの痕跡ではないんじゃないか――

 自分たちはもしかしたら今まさに、その渦中に居るんじゃないか。

 

 だってここは最新の現場だ。

 

 背中を冷たい汗が、どっと流れたような気がした。見立てが甘かった――そう思った時には実はもう遅かった。


 胴体と生き別れになったであろう厳木きゅうらぎの右腕が、足元に転がって来た。

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