4-3 ダージリン狂騒曲
紅茶は確か、沸騰直後のお湯を使うのが良いってあの子は言ってたな。汲みたてで沢山空気を含んでいるお湯が良いって。
沸騰させ過ぎても、
常に80度くらいのお湯が安定的に出るウォーターサーバーを愛用している私には、そこから受け容れ難かったよ。
「お湯を注いだ後も、5分以上蒸らす必要があるって……私は粉を溶かすインスタントで充分美味しいと思うけどな。あ、それは珈琲か」
時間は有限だから『味』という結果が同じか、あるいは上回っているのならばインスタントで良いと思う。
過程に意味があるなどというのは基本的に敗者の戯言だ。それでも――
お湯の中でクルクル踊る茶葉を、楽しそうに見るその横顔は好きだった。それを眺める時間と捉えるならば、5分は全く長くない。
「それこそ、表面的……だったのかね」
あの子が何に心を踊らせていたのか、何故それに執着するのか、私にはどうでも良くて。
その笑顔で私の近くに居てくれれば、それだけで良かった。
人というのは、顔も立ち振る舞いも、全て内面に紐付いていると私は思っている。
顔の作りがいくら整っていても、性根の悪さというのは表情の端々に出てしまう。声や喋り方もそうだ。
その人の内面に秘められた性格も、育ってきた環境も、その全てが今の容姿を形成している。
だからそんなに内面、というか性格的なところをスキ好みの判断点にしなくて良い筈なのだ。『見た目は好きだけど性格が悪かった』なんてことは多分無くて、その見た目を好いたということは、その性格を好いたということ。
『人を見る目が無かったね』とは言われるが『性格を感じる心が無かったね』という言葉が存在しないのも、それを示しているだろう。
「まあ、何を言っても負け惜しみのようなものか。どうしたって私は、人の心の奥底を覗くのが下手だったというだけさ」
そうこうしているうちに気付いたら、5分経っているんだ。
待っている時間は、決して有用に使うことは出来ない。しっかり気を向けていなきゃならない。
他の事に集中したら、すぐに忘れて、次に気付くのはもう手遅れになってからだ。
「今日はラッキーだったのかもな」
たまたまた忘れずにいられた……ここまでしておいて飲まないというのは流石に、茶葉の生産者の方々に申し訳ないか。
一口飲んで、出てくるのは、はぁという大きな溜息。
やっぱりこんなの、ただの水蒸気の塊だ。
でもこれをあの子がやると、
華やかで甘くフローラルで蜜のよう。それでいて爽やか。どんな空間も心情も一切合切隈無く、そして一緒くたに塗り潰すその香り。
残しておきたい苛立ちや心地良い喧騒さえも、分別無く彩ってしまう。『それが嫌なんだ』という感情さえ気付いたら忘れさせられている。
私がやっても同じようにはならない。例え同じになっても、私が淹れた紅茶なんざ本当は飲みたくない。
あの子の紅茶だから良かったのだ。
「これのどこが美味しいのやら。やっぱりわからない……」
色が無ければ、ただのお湯。そもそもタバコと合わないんだよ。
煙と香り。水と気体。メンソールとフローラル。
コイツらは混ざりあっても中和されないタイプの対極。最初から最後までずっと喧嘩している。
それでもいつも私は「美味しいよ」と笑顔で言っていた。
私もこの香りが好きだよ、この味が好きだよ、待っている時間も大切なんだね、なんて分かった風に。
「分かっているつもりでも、分かったつもりでも、何も分かっていない。気持ちの表面は、なぞるとすぐ色を変えてしまうからね」
私は何をしたかったんだろうな……あの子を幸せにしてやりたかったんだがな。あの子と幸せになりたかっただけなのにな。
それが、どうだ。
今の結果は、全く違うものになっているじゃないか。
「あの時、あの子は……どんな気持ちで飛び出して行ったのかな」
これまでの日々を無駄にするつもりなんか、これっぽちも無くて。
2人のこれからをより確かなものにするために、必要な事だと私は信じていた。
あの選択をしなかったなら、今よりもっと早く、もっと悪い方向へ事態は進んでいただろう。
でも、それも後の祭り。
結局、私の考えや思いは、あの子には届かなくて。手の届かない所へ行ってしまった。
しっかり向き合うべきだったのか。事細かに説明すべきだったのか――――言わずとも伝わるような仲だと思っていた。
同じ方向を向いていいると思っていた。同じ景色を共有していると思っていた。
思っていた。信じていた。
過信していた。
「自惚れていた」
――そして。
その事実を受け容れたくなくて私は。取り返しのつかない道を歩いている。
「出来れば、気付かないで欲しかったよ。キミ達の居ない講義は、きっとつまらないから」
もう引き返せない。
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