3-3 体感幻痛と一人語り

 横断歩道に辿り着くと丁度よく、信号が青に変わる。

 エレベーターの前に着くと丁度よく、上行きのゴンドラが到着する。

 そのゴンドラには丁度よく、誰も乗っていない。

 駅のホームに着いたら丁度よく、目的地方面行の電車が到着する。

 乗り込む車両は丁度よく、空席が多く、座りたい位置に座れる。


「『門番ヘイムダル』――このじゃじゃ馬め」


 シートが可哀想になるくらい雑な座り方をして、結良ゆうらは忌々しげに吐き捨てる。


 ――結良ゆうらってポーカーフェイス気取ってる割りに、そうやってすぐ態度に出ちゃうよね――

 

 いつだか、にそんなことを言われた記憶が突然、脳裏をぎる。

 気を付けていたつもりの癖が抜けていないことを認識させられて、少し項垂れた。

 電車の中でこんな起伏の激しい挙動をしていたら不審がられるだろうが、今はこの車両に結良ゆうら以外誰も居ないので、そんなことはどうでも良い。

 

「ま、まぁ……こうやって日常生活でのメリットも多少なり有るんだけどさ」


 誰に対してというわけでもないが、先の悪態を取り繕う。


「遅刻の危機を回避する算術アリスマなんて、欲しい人は多いかも知れないね」


 ガラガラの空間は結良ゆうらが、いくら呟いても窮屈になることはない。


 結良ゆうらを乗せた車両は、下之宮市の空(と言っても水中のようではある)を縦横無尽に張り巡らされた透明なチューブの中の1本を、滑るように走っていく。


 かつての名残で、未だにこういった輸送システムは『電車』と呼ばれることが多いが、実際にはハイパーループという浮揚式の高速輸送システムだ。

 真空のチューブの中を超伝導浮遊させ、航空機などを凌ぐ超高速の輸送システムとして開発されたハイパーループ。

 それが、第二の水アナザーウォーターの出現以降は、チューブの中から空気を抜いて真空にするのではなく、逆に高圧力の第二の水アナザーウォーターで満たしてやることで、人類史上最速の輸送システムが完成した。

 その後、高速化よりも消費エネルギーを抑えることが開発の主眼となり、中低速のエコな輸送システムとして普及した。

 下之宮市には、市内環状線などハイパーループの駅が多く、人や物を円滑に運び、生活の基盤となっている。


 学園内屈指の飛泳速度を持つ結良ゆうらは本来こういった輸送システムを使う理由は無いが……今日は無性に、ふかふかのシートに背中を守って欲しい気分だった。

 

 真理まりに声を掛けられた背中が、まだ熱い。

 その体感幻痛を揉み消すように背中をシートに押し付けて、そのまま姿勢を崩す。足を投げ出したって、誰の迷惑にもならない。


「何かに待たされこともないし、絶対遅刻しないし……食堂の焼きそばパンを買いそびれることもない」


 伽藍としたその車両で。


「でも。俺がパンを買えると、誰かが買いそびれるってこと。この車両がガラガラなら、両隣の車両はその分だけ混む。世界ってそんなもん……ふぁあ」


 人の話し声も気配も無い。目を開いていても、閉じていても大して差の無い退屈な空間。

 低く鳴る空調の動作音は、結良ゆうらの眠気に拍車を掛けた。


 ――世界の平和は椅子取りゲームみたいなもんなんだよ、結良ゆうら――


 またあの人の声が聞こえる。


 ――でも、このゲームにはおかしなところがあってね。椅子の数は平和を望む人の数より、初めから明白あからさまに少ない。

 そして一度でも椅子に座れたら、さ。席を譲るルールが無い――

 

 めちゃくちゃなゲームだなと結良ゆうらは思ったが、しかし的を射ているとも感じた。

 座れなかった人達は、椅子が空くのをひたすら待たなくちゃならない。ルール上、空く予定は無いのに。


 ――それ以前に、座れなかった人達は、そんなゲームが始まってることすら知らないからね――

 

 座れなかった人達は何故か、お互いをただ滅ぼし合うことにしか興味が湧かないようになってしまうらしい。


 ――『門番ヘイムダル』はそのおかしなゲームをさらに混沌とさせるんだ――

 

 もみじを煙に巻いた算術アリスマ、『門番ヘイムダル』。

 数ある号付ブルベの中でも、かなり特殊なものだが、一応は防御系にカテゴライズされている。

 元々は、高い分析能力と緻密な水媒子アープ操作により、他者の算術アリスマを打ち消したり反射させることが主要な効果であった。

 そこから算術進化を繰り返し、異常飛躍をした結果、『あらゆる危機を回避する』という事象操作レベルに到達してしまった。

 

 その進化は開発者ですら手に負い切れない程で、算術アリスマ休止スリープさせても停止アレットさせても、あるいは潜水士ダイバーとしての能力そのものを切ったとしても、危機回避の効果が漏れ続けてしまう。

 横断歩道が丁度よく青信号に変わったり、エレベーターが丁度よく着いたり……これら全て、漏出した危機回避の効果によるものらしい。


 そんなわけで結良ゆうらの日常には問題が起きない。あらゆることが都合よく進む。

 ストレスの原因は排除される。問題は起きない。予定外のことは起きない。……とは言え、退屈過ぎても人は死ぬので、適当な――イベントくらいは週1で有ったり無かったりした。


「それにしちゃ、今日のイベントは……」


 次の言葉が、眠気に押し潰されて出てこなかった。

 変わりにあの人の声の、明瞭度が増す。


 ――今の『門番ヘイムダル』は、椅子取りゲームのルールに則ることなく、暗黙の了解なんかも考慮せず、何の脈絡も無く唐突に、椅子を奪うようなチカラさ。

 自分とは何の関係も無い、何処かの誰かを突然、滅ぼし合いの渦中へ突き落とすんだ――

 

門番ヘイムダル』の真の恐ろしさは、「発動後にこれから起きる危機を回避する」ことよりも、「危機の渦中にあって発動した場合」にある。

 そもそも事象操作が不可能レベルにとてつもなく難しいという事実は一先ず無視して……これから起きることを回避するのは事象操作の中では、それほど難しくはないとされている。

 だが、既に起きてしまっていて、この身に降り掛かっていることを後から回避するのは色々と歪みを生む。

 そしてその歪みは、結良ゆうらが被る筈だった危機や災難を、誰かに強制的に肩代わりさせることで解消される。


 例えば、ナイフが心臓に刺さった状態の結良ゆうらが『門番ヘイムダル』を発動すると、近くの誰かと体と傷が入れ替わり、入れ替わった誰かの心臓にナイフが付き立っていて、結良ゆうらは無傷という意味不明な状況が完成する。


 これは一例に過ぎず、直面した危機の種類や大きさによって肩代わりのさせ方や対象は変わる。

 結良ゆうらにとって――いや、結良ゆうらでなくとも真理まりは、絶望的な脅威。

 その脅威を『門番ヘイムダル』によって回避した場合、もみじの言う通り世界戦争の原因になるくらいの規模と威力で肩代わりが起きていたかも知れなかった。

 それをもみじが、一手に引き受けることでギリギリしたカタチだ。

 笛吹うずしき真理まり言問ことといもみじというのは、そういう存在。

門番ヘイムダル』が事象操作レベルというならば、この2人は事象そのものに近い。


「こんなチカラ、本当は……」


 、なんて言葉を結良ゆうらは口に出来なかった。

 それは今の結良ゆうらを全否定するようなものだから。

 たったその一言で心が瓦解してしまう。


 必要なんだ、これは俺に必要なんだ。失うことは出来ない。失ってしまったら、もう取り返しがつかない。

 

 ――突然。


 懐かしい匂いがした。そんな気がした。

 爽やかな朝の、澄んだ空気のような。ほのかに香るしゃぼん。今では珍しくなった石鹸の香り。

 この空間には似つかわしくない匂いに包まれて、結良ゆうらは一段と微睡む。


 すると、まるで示し合わせたかのようにタブレットがブルブルブルっと震えた。個別設定した振動パターン――しかし今回は救難信号ではい。

 右の膝上に画面を伏せた状態で置いていたタブレットを指先でクルっと反転させながら顔の前に持ってくる。

 メッセージアプリを起動するとそこには、とても短い一文。


『おはよ』


 しかしこれこそが、結良ゆうらが今一番必要だったもの。あの人からのメッセージ。


『ゆうら、朝からバタバタしてるみたいね。大丈夫?』


 続け様にメッセージが飛んでくる。


『ごめん 朝から椛に呼び出されてさ』

『椛か…… また面倒なお願い事?』

『まぁ、そんなとこ。一応、後輩の俺を気にしてくれているみたいだけどさ』

『椛が先輩って 私なら退学する』

『それは椛に対しての嫌味と言うより、俺に対するディスりに聞こえる』

『ごめん そんなつもりは……少しあった』

『あったのかよ!』

『ま、三回生にまでなって流石にその選択肢は無いか』

『穂咲は、最近調子どう?』

『ん……調子。調子ねぇ。あまり良いとは言えないね。相変わらず思い通りに動けないもん』

『そう、だよね。ごめん』

『何を謝る。どれもこれも全部、私自身が選んで行動した結果だ』

『 』

『どうしたのよ、辛気臭い! いつもみたいに笑っていなよ、シニカルにさ』

『悪い、朝から色々あってね 感情のコントロールが下手くそになってる』

『元より上手くないぞ、キミ』

『そうでした』


 結良ゆうらは笑う。皮肉的シニカルじゃなく、従順的アミーナブルに。



『そろそろ、到着』

『そっか。2駅だもんね 直ぐだね うかうか居眠りも出来ないね』

『うん、穂咲と話してたら寝過ごしそうだったけど』

『ははは 会話している相手を眠らせる算術、使えるのかしら私』

『そんな犯罪臭しかしない算術 ダメじゃん』

『ゆうらは寝るの嫌いなんだよね』

『あー……』

『なんか、大切なコトを忘れてしまいそうな気がして、とか おセンチな理由だった気が』

『おセンチ そんな単語、未だ使う人居たんだ』

『死語とかじゃなくて、ただの古文の知識だよ!』

『なるほど 確かに古文的なフレーズを会話の中にサラッと紛れ込ませると、センス良い感じを気取れるかも』

『気取れる……嫌味かね』

『いや、そんなことないよ! さっきもどこかで似たようなのに出会でくわしたし』


 プシュー……


 車両のドアが開く。気圧の変化で耳が痛い。


 夢と現の間でリズム良く揺れていた振り子が、不意に現実側に引き寄せられた。


「……降りなくちゃ」


 立ち上がりながらもう一度メッセージアプリを見ると、新規の通知は無かった。

 ふう。と、わざとらしく大きな溜息を吐いて、結良ゆうらは車両を降りた。


 石鹸の香りも、もう消えていた。

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