3-2 雷神炎帝

「やぁ、『不殺コロサズ』」

 

 また後ろから声を掛けられた。全身の毛穴から、汗が出るような気がした。


 

 ――国頭くにがみと別れた結良ゆうらは、キャンパス内をゆっくり歩いていた。

 例の『学園の敷地内は飛泳禁止』という規則を守ろうしているわけではなく、入生田いりうだ酒梨さなせという眩しい後輩を見たり、苦手な筈の国頭くにがみと思いの外、話が弾んでしまったりして……色々と調子が狂った。


 それを整える為に、少し物思いにふけっていたい気分だった。

 

 それに、慌てて追い掛けなくても、入生田いりうだ達なら特に問題無いだろうと思っている。


「まあ、すぐ追いつけるし」



 その独り言がまた気泡のように消えた頃、不意に後ろから声を掛けられた。それ自体が珍しい事では無い。

 しかし、その声――


 心臓が拍動を倍にする。


「……真理まり。珍しいね、こんな所で」


 なんとか平然を装う。


「珍しい? いや、そうじゃねぇだろ。お前がチグハグなことしてるからだろう? そうでなきゃ、国頭くにがみに絡まれたり、私に出会す事なんて無かっただろうさ」


 真理まりと呼ばれるその女子学生らしき存在。


 少し長めのミディアムボブらしき髪型、ナイフのように鋭そうな眼光、結良ゆうらの目線くらいのような身長、大胆に肩とデコルテを露出しているらしき白いチューブトップ、揺らめく炎のような赤色ロングスカート。

 

 揺ら揺ら揺らめいて、よく見えない。

 ユラユラ、ジリジリ。チリチリ、ヂリヂリ――熱い。


 口を開けば、肺まで焼かれてしまいそうだ。結良ゆうらは黙り、そして慎重に言葉を選ぶ。


「規則だからね、それは」

「規則? はっ! 世界のルールから、とうに外れてる私達が、他に何のルールに従う必要があるっていうのさ」


 自分が超越者であるかのような、その口振りに嫌気がさす。


「お前だって、めちゃくちゃだろう?」


 まるで突沸のように、脈絡無く真理まりが1歩、距離を詰める。


 ジリ――


「お前はさぁ、塒ヶ森とやもり。生態研とか算術研なんか志望してねぇで、ウチん所来れば良いんだよ。口効いてやるから、今からの半年を棒に振ることもない


 ジリジリ――


「こんなセコセコとした、チワワがもつれたみたいなオママゴトに付き合ってねぇで。で片付けて、ちゃんと国防に使えよ、お前のチカラは」


 チワワとは何だ。何かのギャグなのか、結良ゆうらには分からなかった。


「敷地内の飛泳禁止だって、守っているのは上辺だけじゃねぇか。この1年半、1度たりとも退水エキジットしてないお前は、本質的には何も規則に従っていねぇし、そもそも縛られる必要なんか無ぇ」


 また1歩。


「『不殺コロサズ』なんてクソな通り名で呼ばれて、ヘラヘラ笑ってんじゃない。その通り名が死ぬまで殺し尽くせよ、お前のそのチカラ――」


 更にもう1歩。

 ダメだ、もう耐えられない。


「……算術アリスマ休止スリープ解除」


 その瞬間、真理まりは完全に結良ゆうらを見失った。


 ◆◆◆◆◆◆


「やれやれだな、結良ゆうら


 焼夷のような溜め息を吐いた真理まりの前に、しかし結良ゆうらは居ない。


 居ないようにしか感じられない。もしかしたら未だ声の届く距離に居るのかもしれない。


 でも、何も感じない。


 何処へ行ったのか、どうやって行ったのか、何の痕跡も追えない。


 うっかりすると、今の今まで会話していた事が夢か幻だったんじゃないかと思えてくる。


「使いこなせてないなんて嘘だろ……やっぱりお前のがよっぽど外れているよ」


 バチバチ、バリバリ――


 見計らったかのように炸裂音がつんざく。本能的に身をすくめてしまうような轟音。

 しかし真理まりはそれを、瑣事だと言わんばかりに無関心な視線を向ける。


 ケラケラとした笑い声が残響の隙間から聞こえて来ると、


「――ははは! 何だかとても珍しい足音が聞こえたから、コッチ戻ってきたけど……綺麗に逃げられてんじゃん」

「はぁ……何しに来た。言問ことといもみじ

「それはこっちのセリフだよ、真理まりちゃん」


 もみじは、周辺に漂うおぞましい程の熱量に怯むことなく真理まりに詰め寄る。


「何時から、何処から見てんだよ。ストーカーなの? 過保護になり過ぎんな、もみじ。アイツはやれば出来るんだよ。やらないだけ。その気になれば私やもみじからも逃げ仰せることだって、なんてことはない」

「は? 逃げる? 私は見えているよ。結良ゆうらが何処へ行こうとしているのか、何をしようとしているのか――認識出来ているよ」


 勝ち誇ったようにもみじが煽る。


「敵性判定か。それはそれは、光栄だね」

「ふふふ。なんかー、負け惜しみにも聞こえるけど……どうしちゃったのさ。ストーカーなのはそっちでしょ。随分とみたいね? 笛吹うずしき真理まりサマともあろう御方が」


 いかずちのスタッカートに煽られて、炎の揺らめきが強まる。

 熱風が上昇気流を生み、もみじの長い銀髪をバサバサと巻き上げる。


「……私達には不戦条項があるから、仲良いフリしてるが――あまり調子に乗るなよ、『天滅神号ピリオドシグナル』」

「だから。それはこっちのセリフだって、『炎転禍アシェンプテル』!」


 ゴウっと、第二の水アナザーウォーターに見えない衝撃が走る。

 

 気付くと辺りから、空魚が消えていた。

 

「あのチカラを見出みいだしたのはウチなんだ。後から手ぇ出してんじゃねぇぞ」

「私のおかげで飛躍したんだろ? いつもツメが甘いんだよ、もみじは」

「焦れて、急かして、あっちもこっちもぶっ壊しそうになっておいて、それでも未だ懲りていないの?」

「でも壊れなかった。それに、壊れたらそれまで。その程度だったってことだ」

「それは結果論じゃん。はぁ。全く……人としては好きなんだけどな、真理まりちゃん。こっちの話になると、なかなか合わないねぇ」

「私は、『天滅神号ピリオドシグナル』としてのお前なら好いているよ、もみじ。――まぁ、良い。結良ゆうらの事は、今日明日で、どうこうしようって話でもないしな」


 世界の緊張が少しだけ緩んだ。


「もう。何しに来たんよ」

「高みの見物。私の研究室さ、もっとこう、ドンパチ出来るのかと思っていたけど……全然。存外、暇なんだよ」


 両手の平を上に向けて肩を竦めるようなポーズをする真理まり


「何それ、全然可愛いないよ? つーか、真理まりちゃんのところが暇なのは良いことでしょうが。その暇潰しに世界をザワつかせないでよ。本末転倒も良いところだっての。ウチが今ここに居なきゃ、世界戦争が起きててもおかしくない状況なんだぜ?」

「それは私のだろ? だからこうして私たちの2人の小競り合い程度で済んでいるのさ」

「だからそれも結果論だって!」

「別の選択肢を持ちながら、逃げを選んだ結良ゆうらも悪い。だからそんなむくれるなよ。可愛い顔が台無し……あ、そろそろ会議の時間。帰るわ。また遊ばせてくれ」

「嫌だよ、もう来んな!」

 

 もみじ反駁はんばくに耳を貸さず、真理まりは陽炎のように揺らめいて消えた。

 おびただしくおぞましい熱波を残して。

 

「……はぁ。やだやだ。寿命が縮まる思いだわ」


 真理まりが立っていた場所の、地面の燻ぶりを右足で雑に蹴り払った。


「何だか、嫌な感じするな」


 左頬を伝う汗を拭いながら、結良ゆうらが飛泳していった方角を見やる。


真理まりちゃんが、わざわざに干渉してくるなんて……」

 

 もみじの眼前を黒光りする空魚が泳いで行った。

 

「……ほらみろ。凶兆だ」

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