2-4 心を読む教授

 二回生の入生田いりうだ達は、留年中の結良ゆうらや研究室配属済みのもみじとは違い、【第二水史】や【高等算術概論】などといった通常講義のカリキュラムもまだまだ多い。

 それらを欠席し、特別課外活動に出るため、個々人が取っている講義の担当教授へ報告をしなくてはならない。


 その役目は「アンタやっといてね」ともみじから丸投げされた結良ゆうらである。


 結良ゆうらは色々と顔の通る方だし、連れ出すのはとにかく優秀な面々なので、教授たち個人個人の了解はあっさり得られるだろうと予測は付いた。

 しかしそれが、7人全員の1日分あると、少しだけ煩わしかった。

 

 その時間をただ待たせているのも効率が悪いので、入生田いりうだ達は先に出発してもらうことにした。

 取り敢えず、これまでの事故現場をグルっと回ってみるらしい。スタートは一番最初の現場で、そこから近い順に時計回りで辿って、市内をひと周りするルートだそうな。


「先に行かせるなんて、厳密に言えば規定に則っていないと思うけどね」

「……あれ? 何で今、僕が考えていることが、後ろから聞こえてくるんでしょうか」


 結良ゆうらは考えていた内容をそのまま文字起こしされて不快感をあらわにする。

 他人の思考を、タイムラグ無く読み取る。そんな事が出来る人物は、そう多くない。


国頭くにがみ沙耶さや……」

「――国頭くにがみ教授でしょ! 面と向かって、ガッツリ呼び捨てしないでくれるかな? しかもフルネームで」

「あ、口に出てましたかー。すみません。でも教授こそ、他人の思考、勝手に読まないで下さい」

「それは失敬。と言っても、既にキミのは広まっているから、別に思考を読まなくても、おおよそ当たりは付くと思うがね」


 ピンクベージュのロングヘアーを揺らしながらハイヒールを鳴らす国頭くにがみ

 胸元の大きく開いた臙脂えんじ色のキャミソールに、研究用の白衣を直に羽織り、まるでドレスのように着こなしている。

『隠したくても隠しきれないから、敢えて隠さない』みたいな大人の色気に気圧される。

 言問ことといもみじとはまた別次元の

 

「暗躍って……そんな物騒なもんじゃないですよ」

 

 結良ゆうらは一応、国頭くにがみの方へ向き直してはいたが、それは申し訳程度で、右足を引いて半身に立ち、顔も斜めに伏し目がちだった。


「相変わらず。好かれていないのかねぇ、私は」


 少し前髪をかきあげながら国頭くにがみは、結良ゆうらに同調するように、ダラっと姿勢を崩した。


「いえ、好き嫌いじゃなくて、ただ単に苦手なだけです」

「そっちのがストレートに傷付くわよ?」

「好きか嫌いかで言ったら、好きな方です。でもめちゃくちゃ苦手です」

「ど、どういうことなんだね? それは。新種のツンデレってやつなのか」

「……ツンデレなんて言葉、未だ使う人居たんですね」

「いや、こっちはこっちで意味が通じて驚いたよ」


 ハハハっと国頭くにがみは笑った。


「この時間は第二キャンパスで講義じゃなかったですか? 偶然、ここで出会えたから良かったものの、すれ違っていたらどうしてくれるんですか」


 手に持つタブレットを見ながら結良ゆうらが聞く。


「どうしてくれるとは随分な物言いだな――って、おいおい。塒ヶ森とやもり学生? 話をする時は相手の目を見て話すんだ。一応、目上の人なんだし、私に用があるんだろうし」

「……失礼しました」

「コンマ5秒だけ合わせて、すぐ逸らすんじゃないよ!」


 生理的に苦手なタイプというのは誰にでもいる。理由も原因も無い。それはどうしようもないことだ。

 結良ゆうらにとっての、それがたまたま国頭くにがみだったというだけ。


 しかし、一方の国頭くにがみが立場的にも、『生理的に拒否されているので』という理由くらいで、一人の学生をないがしろにする気は無かった。


 しかも『だから普通に接する』ではなく『寧ろより積極的に関わろう』としてくるから厄介なのだ。


「なかなか耐性獲得してくれないねー。結構、頑張っていると思うんだけど」

「頑張っているから、ですよ。もしそのやり方で対人関係が克服できるなら【苦手な人】はとっくに絶滅している筈です」

「そういうものかなぁ。まあいいや、何でこっちのキャンパスに居るのかって質問されていたんだよね、私。今日はたまたま講義を休みにしていたのさ。お偉い様方に呼び出されちゃってね」


 国頭くにがみは意味ありげに、左耳辺りの後頭部をカサカサっと搔いた。


「そうでしたか。さっき、既に耳にしているというようなことを仰ってましたけど、何処までご存じですか?」

「メンツと目的、引率がキミだということ」

「ほぼほぼっすね」

「だってー、私が最後なのだろう?」

「言い方がちょっと卑屈っぽい……」

「いやいや。別キャンパスに居るであろう私を最後にするのは適切なルートだと思うよ。そして勿論、承認するよ」

「あ、ありがとうございます」

「『てっきり断られるかと思った』って……そんなに意地悪だと思われているのかい?」

「また勝手に読みましたね。そういうところですよ」


 結良ゆうらが一層ジトっとした視線を送る。


「ごめん、ついつい。しかし、こういった話を拒否する教授陣なんて居ないだろ。メンツもメンツなわけだし」

「引率が僕なのは承認の妨げにはなりませんか?」

「キミこそ、そうやって卑屈なことを言うよね。寧ろ逆。キミだからあっさり承認するんだろう?」


 もみじもそうだが、何故こんな自分を手放しで肯定してくれる人が居るのか――結良ゆうらはいつも戸惑う。


言問ことといちゃんも、からかっているんじゃないみたいだよ。本心でキミのことを認めているし、頼りにしている」

「そう、ですか……」


 また心を読まれていたことを、結良ゆうらは見逃した。


「しかし、気を付けてはくれよ? 学園唯一のクラス5ライセンスのキミが付いているとはいえ。優秀な二回生ばかりだとはいえ。まだ原因も分からない事件なんだからな」

国頭くにがみ教授も、事故ではなく事件と思っているんですね」


 結良ゆうらの言葉に、少し国頭くにがみの顔が曇る。


「……揃いも揃ってクラス4の潜水士ダイバーが、飛泳能力を突然失うなんて、普通に考えにくいよ」

「クラス1とかの成り立て潜水士ダイバーが、飛泳能力を失って墜落する事故だったら、たまにありますけどね」

「うん。低ライセンスの、能力が定着してない頃なら、まだわかる。でもクラス4じゃ有り得ない」

「だから、その線はナシ。そうすると、危険性空魚に襲われた可能性一択ですが……この場合でも事故じゃなく事件、ですか?」

「まず大前提として、事故にしろ事件にしろどちらにしても、犠牲者は皆クラス4の潜水士ダイバーだぞ? 当然、算術アリスマも優秀だった」

「そうでしょうね……残念です」

「襲われたってことはつまり、トップレベルの潜水士ダイバーが捌けない空魚が市内に居るってことになる」

「それは――というか、そっちのが問題ですね。走井はしりい学園の沽券こけんに関わります」

「そう、大問題だ。そんなこと、あってはならない」


 また意味ありげに髪をかきあげながら国頭くにがみは言う。


「だから、なんだろ? 言問ことといちゃん経由の。私が断れる理由なんか無いさ」


 諦めのような感情が多分に含まれた国頭くにがみの笑みが、やたらと気になった。


 ◆◆◆◆◆◆


 走井はしりい学園のような、第二の水アナザーウォーターや空魚を研究し、優秀な潜水士ダイバーを育てる大学は、各都道府県に少なくとも1つは存在する。

 それは地域に根ざした運営とか、地元の学生の通い易さとか、そういった理由も確かにあるが、実は他に大きな理由がある。


 居住区域の安全性の確保。それこそが最重要の存在意義なのだ。


 アパートの窓の外に居たような空魚は、そこに居るだけであって、人にも、またその文明にも無害である。

 無害と言うよりは、お互いに干渉出来ないという表現が、より近しいかも知れない。

 干渉出来なさ過ぎて、放っておくと、部屋の中にまで入ってきてしまうので、そこは適切な処置が必要になってくる。


 ただ、空魚にも種類や種族があり、へ干渉する力を持ったモノも存在する。

 それらは危険性空魚と呼ばれている


「有するは様々だが、人を積極的に襲うタイプも居て……ソイツらは本能的、あるいは直感的に自分より弱いものを襲う。その習性を逆手に取った防御システムが『透明な壁ゲビート』。それ位は知っているか、塒ヶ森とやもり君は」

「急にどうしたんですか……ちょっと馬鹿にしてます?」

「冗談冗談、そりゃ流石に失礼だったか。入生田いりうだ君の前の前の、首席新入生だもんね」

「入った時のことなんてどうでも良いんですよ。入ってからが重要なんです、大学は」

「ふむ。だとしても十分やってると思うけど、キミは。それで――そんな大学は、透明な壁ゲビートの文字通り中核を担っているわけだ」


 居住区域の安全を実現する、対危険性空魚用の防衛技術――それが透明な壁ゲビート

 それは、優秀な潜水士ダイバーや強力な算術アリスマ一所ひとところに集めることで、1匹の超巨大空魚のような存在感を作り上げる。

 その強烈な雰囲気によって、野生の危険性空魚を遠ざけるという考え方だ。


「他にも様々な忌避方法が検討され開発されたが、最も効果が高く、また維持費も少なく、見た目も良い方法が透明な壁ゲビートだった」

「技術というか……ほんと、考え方ですよね。これ思い付いた人、アタマ柔らかいなー」


 国頭くにがみも頷く。


「そして、その中心地としてこの上なく最適なのが大学だったってこと。優秀な学生を沢山集めることができれば教育機関としての名声は上がるし、同時に透明な壁ゲビートの効力や効果範囲が拡大して地域の安全性が高まれば、周辺住民からの評価もますます得られる」

走井はしりいもそうですが、だいたいの大学は、国指定の研究機関の直系ですからね。大学そこに人材を囲ったり、人望を集められるのは……『一石何鳥』みたいな状態なんですよね」


 ――しかし――――

 

「その透明な壁ゲビートが、故意に侵略されているのかも知れない」

「野生の空魚が透明な壁ゲビートの仕組みを理解して突破するなんて、少し考えにくい……ということですか」

「キミだって、そう思っているんだろう? あー、先に言っておくけど、今のは思考を読んではいないからな」


 あくまで可能性の1つだが――と前置きをして国頭くにがみが続ける。

 

透明な壁ゲビートの決壊は信用問題に直結する……走井はしりいか、あるいはに敵意のある誰かが居て、攻撃的な意図を持って透明な壁ゲビート内へ、危険性空魚を持ち込んだとしたら」

「俺からしたら、その考えそのものが自殺行為ですが、からめ手としては意外と悪くないのかも」

「自殺……ね――」

国頭くにがみ教授? どうしました?」

「いや、なんでもない……だからさ、努努ゆめゆめ気を付けてくれよ? 入生田いりうだ酒梨さなせ達が居ない講義はとてもつまらないだろうから」

「つまらない? それって、どういう……」

「――あ、ああ! 君は知らないか。彼らが居る講義はとても盛り上がるんだよ? 教授陣も思わず奮起してしまうんだ」

「なるほど、確かに入生田いりううだ君は、間の取り方とか流れの作り方とか、とても上手く感じましたね」

「彼だけじゃないぞ、酒梨さなせも的確な出方をしてくれるし、杉田すぎた厳木きゅうらぎも色々面白い」

「正に、黄金世代ですね。それの引率か……やっぱり気が重いな」

「またそうやって。とにかく少しでも危ないと感じるようなことがあれば躊躇わないことだよ、塒ヶ森とやもり君は」

「……はい、心得ておきます」


 その返事を聞くと国頭くにがみは、満足そうにして、サッときびすを返し、後ろ手に、右手をヒラヒラとさせながら去っていった。


「あの人……あんな風に笑う人だったっけ」


 たなびく白衣を見送りながら、結良ゆうらは呟いた。


 どことなく、なんとなく。何かと何かが噛み合っていないような。

 そんな二律背反的アンビバレンスな笑みが目の奥に焼き付いてしまった。

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