2-2 落第生と、面倒見の良い先輩

 ある時から世界を満たす第二の水アナザーウォーター


 少しだけ青みがかっていて、液体のように揺らめき、その中を魚のような何かが泳いでいる。

 そんな性質から『水』と付いてはいるが、普通にしていたらこれに濡れることはないし、溺れることもない。

 一般的な生活を送るにはほとんど影響が無いという不思議な存在。


 国内での第二の水アナザーウォーターの水位――第二水位の平均は三百メートルくらいで、それ以下の高さの街や建造物はパッと見、水没しているようにも見える。


 結良ゆうらは、この水没都市の雰囲気が好きだ。


「今日もここら辺の魚は元気だ」などと思いながら、スウって泳いでいくと、その軌跡に泡が立ち、水面へ向かって上っていく。

 本当はそれを眺めながらゆったりと泳いでいたかったが……残念ながら今日は、そんな余裕も無い。


「近いなぁ、相変わらず」


 走井はしりい学園の正門が見えてきた。所要時間、たった3分の目的地。

 緩やかに地面へ近づいて、足を出す。

 

「学園の敷地内は飛泳禁止……律儀に守ってんなよ、そんなの」


 結良ゆうらが両足を地面に着けるや否や、そんな声が聞こえてきた。ケラケラっと乾いた笑い声が耳に付く。


「も、もみじ……何でここに? 俺、研究室に呼び出されていなかったっけ?」

 

 声の主は1人の少女――小柄なので少女と言いたくなるが、本当は違う。本質は全く違う。

 

 纏っている雰囲気が明らかに少女ではない。

 

 膝まで届きそうな銀色の長髪は、風と戯れ光を撒き散らす。雪を欺く白い肌、絵に描いたような二重の猫目、その中心にある深く透明な碧眼。

 どこをどう切り取っても、神様の圧倒的な贔屓によって作り込まれたんじゃないかと思う程に整っていて、美しい。

 

 背丈は結良ゆうらよりひと回りも小さい筈なのに、両手を腰に当て、下からくる。

 とても尊大に、言問ことといもみじはそこに居た。

 

「ウチがどこに居ようが、ウチの勝手だろうが。そしてウチがその瞬間居る場所に、アンタが来れば良いんだよ」


 もみじはまたケラケラと笑った。なんて滅茶苦茶な、と反論するだけ無駄だと知っているので、結良ゆうらは「ハイハイ」と、まともに取り合ってはいない。


「それで? 俺に何をさせるわけ?」


 見上げるもみじに対抗するように、結良ゆうらも顎を上げ、首を傾けながら応じる。


「ふふふ、察しがいいねぇ。話が早い。流石、結良ゆうらくん」


 眼と口先で大きなスタッカートを打つ。


「……ぶちのめすぞ…………」

「あー、先輩に向かってそんな口を聞いて良いのかな? 良いのかなぁ? せっかくポイント稼ぎさせてやろうってのに。別のヤツに回してもいいんだぞ」

「いや、それは……すみません。お願いします」

「ふん、素直で良い。とか言ってもさ、アンタじゃなきゃ完遂出来ない案件ではあるのさ」


 ニヤリともみじが笑う。


「何その顔……今の発言、こちらは素直に受け取れていませんが」


「そう? 他意は無いよ。この学園のクラス5ライセンス、塒ヶ森とやもり結良ゆうら。その実力、ウチが一番認めているんだぜ?」


 ◆◆◆◆◆◆


 第二の水アナザーウォーターは、普通にしていたら濡れることはないし溺れることはない。

 しかし特殊な訓練やカリキュラムを経て、水媒子アープと呼ばれる第二の水アナザーウォーター中の新粒子を全身に取り込み、それを操作することで、第二の水アナザーウォーターの中を自由に飛泳出来るようになる。


 この能力を得た者達のことを潜水士ダイバーと呼ぶ。


 結良ゆうらの通う走井はしりい学園は、潜水士ダイバー第二の水アナザーウォーター、空魚についての学術研究および教育を行う教育機関の、最高学府――いわゆる大学の1つである。


 同様の教育機関は、国内外問わず多数存在するが走井はしりい学園はその中でもトップクラスであり、潜水士ダイバーの技術レベルを示す『ライセンス』の上位層クラス4の三割が走井はしりい学園出身だというデータもある。


 そんな中、結良ゆうらはクラス4の更にその上、クラス5ライセンスの持ち主だ。


「別に、歴代卒業生の中にも居なかったわけじゃないし、そんなに持て囃されるものでもないって」


 居なかったわけじゃないが、当たり前のように居たわけでもない。そんなことは知っている。

 ただ、その賞賛を素直に受け取れない理由が結良ゆうらにはあって、もみじもそれを見透かして呆れ混じりに言う。


「……まぁ。は瑣末なことさ。そんなことばかり気にしていたら、話が始まらないよ」


 もみじの言葉に呼応するように、大きな風が吹いて、銀色の長髪が靡く。


 バサバサと暴れる銀髪の奥に静かに燃える碧い瞳。何もかも見透かしたよな、底の見えない視線が結良ゆうらを捉えて離さない。

 とても、人ひとりから放たれている存在感とは思えぬそのに、思わず息を呑んだ。


「そ、それで? 俺に何をさせるんだっけ?」

「ふん。巡り巡って、冒頭ふりだしに戻った感があるが……まあいいや。なに、大したことじゃないよ。あの墜落事故、昨日ので6件目だ。流石にもう目に余る――アンタが何とかしろ、結良ゆうら


 思った通りだった。


「はあ……やっぱそれか。また無理難題を」

「難題? いや、そんなわけないだろ。やる前から決め付けんのは良くないぞ?」

「分かってて言ってるなら、本当に性格が悪い」

「勿論、分かってて言ってるさ。アンタなら何とかするって」


 結良ゆうらは、はあ、ともう一度大きく溜息を吐いた。


「そんな弱気になるな。安心しろ、ウチはこう見えてめちゃくちゃ優しい先輩だ。後輩クンのことはから」


 また全身でスタッカートを打ちながら言葉を紡ぐもみじ

 強まっていく語気に呼応するように、第二の水アナザーウォーターが――が揺らぎ始めた。


「……っ」


 結良ゆうらは奥歯をグッと噛んだ。

 嫌な感じだ。相変わらず。する。


「アンタがちゃんと実績上げられるように、ちゃんと舞台整えてやるから」


 なんだかんだもみじは、面倒見が良いらしい。


「後輩クンの後輩、つまり二回生から有志を募った。一緒に行って、先輩としての威厳を見せてやれ」

「…………な、るほど?」


 なるほど、その手があった。

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