002

2-1 ある呼び出し

 カーテンが無い部屋で、塒ヶ森とやもり結良ゆうらは目を覚ます。

 窓の外を泳ぐ空魚が、朝日をチラチラと乱反射させているその眩さを目覚まし代わりにしている。

 

 目を擦りながら、気怠そうに体を起こしてベッドから降りる。


 今日は確か、10月の……23日。

 曜日は、月曜日――『また平凡で退屈な1週間の始まりか』と結良ゆうらは欠伸をする。


 2・3歩移動しながら机の上のリモコンを手に取り、テレビの電源を入れるとニュースが流れていた。


「…………昨夜20時頃、市内の路地裏で倒れている男性を近隣の住人が発見しました。その後、病院に搬送されましたが死亡が確認されました」


 画面に目をやることなく『またか』と結良ゆうらは心の中で呟く。せっかくの好い気分が台無しだ。

 

「警察によりますと、男性はクラス4のライセンスの潜水士ダイバーであることがわかっていて、先月から続く潜水士ダイバー墜落事故との関連を調べると共に、事件事故の両面から調査を進める方針です」


 結良ゆうらの気分など一切気にせずニュースは進み、墜落現場からのレポートが終わって、映像がスタジオに戻った。


 自称専門家だとかいう胡散臭い男性が「何らかの原因で潜水能力が失われたことが原因だと思うんです」なんて、小学生でもわかるようなことをドヤ顔で宣っていた。


「そのが重要なんだろうがよ」


 言いながら結良ゆうらは、何となく嫌な予感がした。何で今日、こんな早く起きてしまったのか。


「あ、あー。二度寝しようかな……。面倒事に巻き込まれそう」


 言うが早いか、ベッドの枕横で充電中のタブレットが、数回震えた。


 見なくてもわかった。からの着信はバイブレーションの振動パターンを個別に変えているから。

 ツーツーツー、トントントン、ツーツーツーのリズムだ。救難信号――結良ゆうらに対しての。


「呼び出し……だな」


 ◆◆◆◆◆◆


 塒ヶ森とやもり結良ゆうらは下ノ宮市にある走井はしりい学園の三回生だ。

 ただし年齢でいうと四回生の歳。つまり留年の真っただ中ということ。


 走井はしりい学園で四回生になるには研究室配属が必須だが、結良ゆうらは配属に必要な課外活動ポイントというものが足りなかった。

 その他のカリキュラムでは普通に優秀な優等生なのだが。

 それでもそのポイントが規定に届いていない……というか0ポイントであれば仕方がないだろう。


 同期でよく連中は、あくびをしながら希望の研究室へ配属が決まり、四回生になっていった。


 突然、似非の先輩後輩という関係性が生まれた。


 そんなの中でも、一番してくるのが言問ことといもみじだ。朝一番の着信の主。


「『30分後に、解析研の部屋まで来なさい。先輩命令だ』……何が……せ、先輩、くそっ」


 別にこの呼び出しに律儀に応じる必要も無いのだが、四回生からの正式な依頼だった場合、課外活動ポイントを獲得できる可能性もあるので、雑にも扱えない。


 その辺り、よくわかっているのが言問ことといもみじという性悪女だ。


「しっかも何で30分後なんだよ、あんにゃろう」


 本当に性格が悪い。


 ――とは言え。それこそ、この時間指定までキッチリ守ってやる必要は皆無だし、結良ゆうら自身この絡みを実際はそんなにの嫌がっていないというのが実情。


 それに、課外活動ポイント以外で足りていない単位は無いので、留年していてもめちゃくちゃ暇なのだ。


 スラっと背の高い結良ゆうらは、そのスタイルの良さを敢えて隠すようにオーバーサイズのトップスを好む。今日も白いTシャツに、肩のラインが落ちるサイズ感の革製ジャケットを、バサッと羽織る。

 そうやって上半身を緩めにする割りに、はスキニージーンズを履いたりする。


「えっと……」


 朝ごはんというものをここ数年摂っていない結良ゆうらからすると、身支度を終えた時点で出発の準備が完了してしまい、思いの外、時間があることに気づいた。


 大学のキャンパスまで歩いて10分、泳げば3分。

 そんな立地のアパートだから、30分の猶予はかなりの温情のように感じてしまった。

 きっとそれももみじの罠なのだろうが。


 色々と余裕が出来たので、1杯だけ珈琲を飲んでいくことにした。


 休日だったら、豆を手挽きミルで挽くところから始めるが、さすがに今日は、カプセルをセットしてボタン1つ押せば済むタイプのマシンを使うことにした。

 フワッと珈琲の香りが1LDKを満たすと『きっと珈琲を飲んで来たことさえ指摘されるんだろう』などという厭世感えんせいかんを呼気に込めて、細く吐き出し、珈琲を冷ました。

 普通にするより、よく冷める気がする。


 そうして何となく、そそくさと飲み終えると空のグラスをシンクの中へ置き、蛇口を捻って水を張る。


 洗っていく程の時間は無いにしても、せめてこうしておけば後が楽だ。細かいところに育ちの良さが出る結良ゆうら

 ……その育ちの良さが、何処から来ているのか、結良ゆうら本人も良く分かっていないのだが。


「さて、行くか」


 玄関のドアを開けると、眼前にはいつものように


 第二の水アナザーウォーターと呼ばれる、水と空気の間のような存在。その水で満たされた空を、飛ぶように泳ぐ空魚の群れ。


 ほんの一瞬だけ、空魚と第二の水アナザーウォーターが織りなす光の揺らめきを眺めて、すうっと息を吸い込み、結良ゆうらは階段へと向かわずそのままポーチから飛び降りた。

 

 5階建てアパートの5階から。


 そして空魚と同じように、空のような水中のような――そんな曖昧な空間を飛泳した。

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