第7話 砕けた刃と、決心と
刃は、中空で静止し、消滅した。
瞬時のことだ。正確にはとらえていない。しかし、リューリュには、キョウ……
と同時に、閃光がはしり、地がゆれた。リューリュたちの目の前、折れて飛翔してきた刃を中心として、十歩ほどの範囲が、陥没した。
膝ほどの深さまで、唐突に、巨大な槌で叩かれたように、椀のかたちに窪んだ。踏みしめられた、硬い裏庭のつちだ。そのように窪むにはどれだけのちからを加える必要があるのか、リューリュには見当もつかない。
遅れて音が轟く。ずずん、という、生物の本能として危機をかんじる音。砂煙。ぱらぱらと降る小石と、銀色の粉。
みっつほど数えたころに、リューリュはあたりを見回す余裕を得た。視界の端で、シュンゴウが転倒し、呆然としている。その向こうには、奥のものとみえる、何人かの走り寄る影。庭のおんなたちもこちらを見て固まっている。
「……キョウ」
鬼の姫は、立ち尽くしていた。
サヨとリューリュの前。護るようにたちつくし、右手をかざしている。ほそく白いその腕は、ちいさく、震えていた。
「キョウ」
リューリュがもう一度呼びかける。
キョウは、すこし遅れて振り返った。涙をいっぱいにためた目が、リューリュに、サヨに、迷うように向けられる。驚くリューリュに、キョウはちいさく、つぶやいた。
「……いで」
「えっ」
「きらいに、ならない、で……」
キョウが、膝から地面におちる。がくがくと震える指で、顔を隠す。伏せていたサヨも顔をあげ、キョウを見る。
駆けつけた奥の警護、そしてさむらいたちがキョウを囲む。抜刀しているものもある。もはやこの鬼の娘が高位であることを隠すゆとりがない。
「ひめ……や、おじょうさま、こちらへ」
警護のおとこが周囲に目をひからせながら誘導する。シュンゴウも彼女の横に立ち、リューリュに表情で、大丈夫か、と問う。頷くが、抱えられ、連れ去られようとするキョウから、目が離せない。
おとこたちの間で、キョウが振り向く。
「……ごめんなさい……こわかったでしょ。わたしのちから、気持ちわるかったでしょ……わたしのせいで、こわい目に……わたしが、穢れてるから、呪いの血だから、ごめ、なさ……」
唇を噛み締め、ひきしぼるような声で、ちいさく言う。が、さいごは言葉にならない。
おとこたちが囲み、さあ、と屋内へ移動するよう促す。キョウは、さいごにリューリュをみて、くちのうごきで、ありがとう、といった。その表情は、もう、キョウであることをやめようとしている。呪われたとらわれの姫に、戻ろうとしている。
向こうをむく。歩き出す。リューリュは、それを、許さなかった。
立ち上がり、
「……ばか。きらいになるわけ、ないじゃない。ばか。キョウの、ばか。大好きだよ。ありがとう、たすけてくれて、ありがとう」
リューリュの腕のなかで、鬼の姫は、しばらく驚きに目を見張り、やがて、幼児のようにくしゃっと眉とくちを曲げた。大粒の涙をこぼして、あいての背中に手をまわす。二本の腕を、リューリュのほそい背中に、しっかりと、まわす。
「……ふ。ふええ。ふえええん……」
抱き合いながら地面にすわり、こどものように泣きじゃくるふたりのおんなをどう扱えばよいのか、おとこたちは判断することができずにいる。
そうした光景は、屋敷の二階、裏庭にめんする窓からもよくみてとれた。
その窓のそばで、ジゼクは、ずっと庭をみつめていた視線を、横のおとこに移した。おとこは、さむらいだった。武者房のものに共通の、袖のみじかい浅葱の戦闘服を身につけている。歳のころから、長を務めるものとおもわれた。
さむらいは、震えていた。ジゼクの叱責を待っているのだ。
さきほど、ジゼクの供をして、この二階にたった。ジゼクは三日後の
さむらいが頭を低くたれる。処罰を覚悟している表情だった。
「おん目の前での不始末、申し訳ございません。鬼のさむらいには、あらかじめ防御の念陣を張るように指示しておりましたが、至らなかったようです。よほど強い鬼のちからが、はたらいたとみえます」
「……そのようだな」
「我らが刃は容易に折れません。まして姫に向かってまっすぐ、飛ぶなど……恐れながら、姫は、やはり奥にてお護り申し上げたほうが……」
ジゼクはわずかな間をおいて、ため息をはき、首をふった。
「いや、三日あとの満月、月渡しの儀までは裏にて匿い申し上げる。より上位のちからを持つ
深く低頭するさむらいを置いて、ジゼクは階下へ降りていった。
ジゼクの意向は、そのあとすぐに裏方へつたえられた。そのために鬼鏡姫、キョウは屋敷の奥へは向かわず、あらためて、リューリュとサヨの部屋に戻ったのである。
騒動の直後から、キョウはひどく発熱をしていた。部屋にもどってすぐに布団が敷かれ、サヨがついて額に水をふくんだ布をあてている。
シュンゴウはさむらいたちといろいろ相談をしたあと、部屋の前にたった。おんな部屋の棟だから、遠慮があったが、そうもいっていられない。
リューリュは、しばらくサヨのよこでキョウの寝顔をみつめていたが、やがて意を決したようにたちあがり、廊下に出た。シュンゴウが眉をひそめる。
「ちょっと、いってくる。もし、夜まで戻らなかったら、ジゼクさまにお知らせして。リューリュが書庫から戻らない、って」
「えっ、いまからかよ。なんで」
リューリュはこたえず、すでに走り出している。
護りたい。護らなくてはならない。
自分にできることを、自分にしかできないことを、しなければ。
裏庭で、キョウを腕に抱き、その紅い瞳を間近に見て、身体の熱をじかに感じたときに、リューリュの心はきまっていた。
理由はわからない。だが、自分は、呪いのことを、知っている。不思議な文字を、よむこともできる。だからといってどうにかできるのかはわからない。役にたつのかもわからない。それでも、動かずにいられなかった。
書庫に、あの本に、そして、あの書司のおとこに、鍵がある。
恐ろしかった。だいそれた秘密に自分が関わることが、ほんとうは、怖かった。余計なことを、といわれた言葉が、彼女を縛っていた。
それでも、間違っていると感じた。キョウが、呪いをみずからの責めと考えていることを。自分が生きていることが、だれかの迷惑になると考えていることを。その間違いにたいして自分がなにもしないことを、自分に許して、このあとの人生を生きていく自信が、なかった。
書庫の扉は開錠されていた。リューリュは、自分がくるのをまっていたように感じた。扉をくぐり、奥にすすみ、あの棚の前にたつ。
しろのみこ、と題された本は、先日とおなじ位置にあった。
迷わず手に取り、こんどは最初の頁から、ゆっくりと、咀嚼するように読み込んでいった。
ふるい、ふるい時代の、鬼とひとの、ものがたりだった。
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