第6話 seek each other

 寝顔を見ればあの頃の面影が強くて、つい思い出してしまう。

 あの頃――中学生だった君が、今ここにいる。


 特別に目立つ生徒ではなかったのに、私はなぜか気になって、ついつい声をかけてしまって。そうしたら懐かれて、可愛くなって。君を知るたびにどんどん惹かれていった。

 教え子なのに、同性なのに……


 眠りが深いのか、一度眠ってしまうと少々の物音ではまるで起きる気配もなく、私はこうやって君の寝顔を見ながらつい手を伸ばす。

 短かった髪は卒業とともに伸ばし始め、サラサラと手触りが良い。

 大声で笑うよりも控えめで照れたような笑みが印象に残っている。肉付きが良かった頬は成長と共にシュッとなったけど、触るとプニプニしていて気持ちいい。

「触れても起きないのね」

 本当に起きないだろうか、どこを触っても?

 触れていた指をそっと動かす、君の唇へ。



 君の家族と仲良くなって許可をもらって、君がここに泊まる日が増えた。

 医者になるための勉強とバイトで忙しい日々を送る君は、布団に潜ればすぐに眠りにつく。

 ハグとキスと「好き」という言葉と笑顔があるから、不安なんて微塵もない。ただ、ごく稀に……その先を期待してしまう私がいるだけ。

 無邪気な寝顔の君に、私のそんな欲望を知られたくはない。だけど、だから――


 そっと、気付かれないように君の寝顔にキスをするのが習慣になっていた。






「うわっ、もうこんな時間!?」

 そんな声がしてパタパタと足音が大きくなる。

 今までが静かだったから、一気に賑やかな雰囲気に包まれる。


「ゆみこさん、なんで起こしてくれなかったの? もうお昼過ぎなのに」

 慌てて顔でも洗ったのか、前髪が少し濡れている。

「今日はお昼のバイトはないって言ってたから、ゆっくり眠りたいかなって思って」

 普段忙しくしているのだから、休める時には休んで欲しいと思ったのだけど、何が気に入らないのか。


「……だからだよ」

 何が、だからなのか。不思議に思ったけれど、お茶を入れるためにキッチンへ立つ。

 すると近づいてきた久美は後ろから抱きついてきた。

「ゆみこさんと一緒にいられる時間が少なくなっちゃった」

 早く起きれば良かった、デートしたかったなって、おでこをグリグリと擦り付ける。

 こうやって甘えてくれると嬉しすぎて叫びたくなるのだけど、そこは冷静な大人の対応しなきゃって戒めて。


「お昼作ってあげるから、ちょっと離れて! デートはまた今度ね」

「今度って、いつ?」

「ん〜二人のお休みが重なる日は……」

 休みでも学校へ行かなければならない日もあるし、久美もバイトが入っていたり。

 二人で、予定が書きこまれたカレンダーを眺める。

「この日?」

「しかない、みたいね」

 一ヶ月後かぁ。

「よし、この日は絶対、早起きするからね」

「どこへ行こうか、考えようね」

「うん、それは楽しい時間かも」


 そして私たちは、その日を楽しみにして、忙しくも楽しい日々を過ごすのだった。





「なんで……ねぇ、なんでなの?」

「これは、誰が悪いわけでもないし」

「だって、でも。なんで今日なの?」


 楽しみにしていたデートの日。

 お互いの行きたい場所を出し合って、やりたいことを絞って、すり合わせて。      

 久美が立てた計画は完璧だった。

 雨が降っても対応出来るように、プランBも立ててあったのだから。


「台風直撃って……私、何か悪いことしたかなぁ」

「だから、久美のせいじゃないってば」


 落ち込み具合が激しすぎて、さっきから自分を責めては落ち込んで。

 テレビのニュースは専ら台風情報で、災害の危険性を囃したて注意を促している。もちろん交通網も麻痺し、外に出ないようにと繰り返しアナウンスしている。


「ほら、ご飯食べちゃおう」

「はぁ、最悪」

「美味しくない?」

「えっ、違っ、美味しいよ。いつもありがとね、ゆみこさん」

「どういたいまして」

 久美はいつも素直だ。中学の頃は、思ったことを言葉にすることが難しかったようだが、しっかり表情や行動に現れていて――それは思春期にありがちなことで、そういうところも可愛らしかった。


「でも、良かったよね」

 窓を打ちつける雨の音を聞きながら呟く。

「え、何が?」

 まだ恨めしく外を眺める久美は、何が良いのだと不服な様子。

「昨夜うちに泊まっておいて良かったよね、来てなかったら今日一日会えなかったんだよ? それこそ最悪、でしょ」

「……そっか」

「おうちデートにしよう、そうしよ?」

「そうだね、でもそれじゃ、いつもと変わらな――」

「映画でも見る? この前ね、サブスク入ったんだ」

 不満気味の久美の言葉に被せるように言えば、そうだねと同意してくれる。

「ポップコーンはないけど、ポテチはあるし」

「コーラは?」

「あるよ」

「やったぁ」

 少しだけ、機嫌直ったかな。


 私としては、これはこれでありだと思う。

 久美は私よりも忙しい生活をしているから、たまの休みにはゆっくりして欲しいとも思う。若くても休息は必要なのに、若いからこそ無理をしがちだから。




「だったらさぁ、映画館みたいにしようよ」

「いいねぇ」

 リビングのテレビの位置を基準にして、ソファを正面へ移動させる。

「テーブルはどうする?」

「ない方がいいかな」

「そうだねぇ、いっそ模様替えしようか」

 私の提案に「えっ、いいの?」と驚く。

「時間はたっぷりあるし、どうせなら久美が過ごしやすいように替えよう」

 久美好みの部屋にすれば、これからもいっぱいこの部屋に来てくれるだろうっていう私の目論見を知ってか知らずか、嬉しそうに目を輝かせている。


 家具のレイアウトを少し変え、掃除もしたらスッキリした。

「ここに棚があったら良いかも」

「作ろうか?」

 ふと思いついて発した言葉を久美が拾って、そんなことを言う。

「作るって、久美が?」

「DIY、得意なんだよ。あ、電気とか切れたら私が替えるから言ってね」

 なんとも頼りになることで。

「それは助かるな」

 そう言ったら照れたように笑う。

「大きさはどのくらい? 何を乗せる?」

 そして、嬉しそうな声で空間を見つめる。

 きっと既に頭の中ではイメージが出来上がっているのだろう。


「久美の荷物よ」

「えっ?」

「本とか結構あるでしょ、使いやすいように作っていいよ」

「私の……いいの? ありがとう、嬉しい」

 急に大きな声になるし、抱きついてくるし、そんなに?

「余裕出来たら引っ越してさ、久美の部屋も作るからね」

 もっと喜んでくれるかと思ったのに。

「え、ここでいいよ、私この部屋好き」

「でも狭いし、これから先もっと荷物増えるんだから」

「じゃあ、引っ越しても私の部屋は荷物置きにする」

「久美はどうするの?」

「ゆみこさんとずっと一緒にいる」

 当然のように言い切るものだからむず痒くなる。

「ずっとは、ちょっと……」

「え、だめなの?」

「それはまぁ、その時になったら考えよ。そろそろ映画見るわよ」

「はぁい」



 コーラをタンブラーに入れ、ポテチの封を開け、照明を落としたら準備は万端。

「何見る?」

 リモコンで操作する。

「ホラー以外なら何でも」

「あ、怖いんだ?」

「うん、怖い」

「へぇ」

 意外だった。たとえ怖くても簡単には認めないような気がしていたから。

「ビビってる姿なんてカッコ悪いから、ゆみこさんに見られたくないし」

 何だか可愛いことを言い出したぞ。

「じゃあ、恋愛もの?」

「うーん、なんか違うかな」

「そう、なら……ヒューマンものとか、これは?」

「泣いちゃうから、やだ」

 あ、そうなんだ。泣いている姿も見せたくないとか、思ってるのかな。

「だったら、コメディだね。笑えるやつなら、どう?」

「うん、いい!」


 これまでの付き合いで、お互いに色々な顔を見てきたけれど、やっぱり笑っている顔が良いに決まっている。

 子供の頃――と言ったら怒られるかな――思春期だった中学生の頃を知っているから。いつも一生懸命で、表情がコロコロ変わって、嘘がない、素直な久美が眩しい。



 コメディといってもただ面白いだけではなく、しっかりストーリー性があって、俳優さんたちの演技の上手さも相まって、物語の中へすんなり入り込んでいた。

 隣にいる久美も目をキラキラさせて夢中になっている。あぁ、この感じ懐かしいな。


 何年前になるのだろう。

 教師として見守っていたあの時期、授業中・放課後・部活動・行事・合唱コンクール・体育祭・文化祭、さまざまな場面での表情を今でも覚えている。

 友達・クラスメイト・後輩らへ向ける眼差し。

 笑ったり、膨れたり、困ったり、時には悲しんだり。


 あの眼差しを私に向けて欲しくて、教師の立場を利用して雑用を言いつけたのは、この私。

 卒業まで残り少なくなった冬休み、海へ連れ出したのも私のわがまま。

 もう会えなくなるのだと落ち込んでいた時に貰った告白の言葉は、今も大切な思い出。



 映画も中盤に差し掛かった頃、ふと隣を見れば……静かな寝息をたてていた。

 やっぱり疲れているのだろう。見慣れた寝顔に、私は少し安心して愛おしさが込み上げる。

「可愛いんだから、もう」




 映画はクライマックスのようだけど、あまり関心がなくなっていた。

 隣で眠る愛しい人を見ている方が心が落ち着く。

 しばらく見つめていたら、イタズラ心が湧いてくる。

「まぁ、起きないからいいよね」


 一度寝てしまったら何をしても起きないことは、今までの生活で立証済みなのだから。

 私は今日も寝顔にキスをする。


「んんっ」

「えっ……なんで」

 いつもは起きる気配なんて全くないのに、なんで?

「ゆみこさん?」

「あ、起きた……のね」

 キスしたばっかりで、めちゃくちゃ近い距離なのだから。

「何、して……え、キス?」

「いや、ちが……わない」

 嘘をついたところでバレるだろうし、焦っているのもきっと気付かれてる。


「ずるっ」

 私もする! って言いながら重ねられた唇。

 一度離れて見つめ合った瞳は、今までにない光を放っていて、思わず身構える。いつの間にこんな表情するようになったの? 背筋がゾクゾクする。


「ゆみこさん」

 再び合わさる二人の唇は、久美の勢いが強くて私はソファに背中を預けた――つまり、押し倒されたわけで。

「好き……好き……」

 好きの間にチュッとキスの嵐が降ってくる。

 この体勢でそれは、ちょっとヤバい気がするよ。ほら、目がハートマークになってるもの。

 だけどきっと、それは私も同じなのだと思う。

 キスされまくって言葉に出来ないだけで『好き』が溢れているはずで。

 唇の間から差し入れられた舌を、私もしっかりと受け入れる。

 初めてのことだけど、まるで違和感は感じなくて……気持ちいい。

 良すぎて息継ぎを忘れてしまう程に。


 苦しくなって肩をぽんと叩く。

「……っ、ごめん」

 ハッとしたように離れる。

 違うよ、嫌なんじゃない。

 やめないで。

「……もっと」

 欲しいの。


 目は口ほどに物を言う、というのを体感する。

 私の言葉を聞いて、久美の瞳に再び宿った光はどこか妖艶な光だった。


 


 キスは唇から首すじへと移動する。ぎこちなさは初めてだからだろうか。

 私を求めてくれている、そのことだけで私の心は高揚する。なぜなら、私もずっと求めていたから。


 胸に手が添えられ、最初は遠慮がちに動いていたが徐々に大きさを確かめるかのように周りから摩りはじめる。

 力加減や揉み具合も私好みで気持ちいい。思わず出た吐息が少し恥ずかしい。

 服の裾から手が入ってきた。温かい手だった。その手に触れられる私の肌も熱を帯びる。

 きっとこれから私はこの温かい手で溶かされる……


「ちょ、待って」

 微かな理性が働いた。

「あ、ごめん」

 まるで悪さを怒られた仔犬のように、眉が下がっている。

 違うよ、そうじゃなくて。

「ここで?」

 きっとこれ以上のことをされたら、動けなくなる。

「あ、えっと……ベッド行く?」

 自信なさげな表情も可愛いと思ってしまう。

「うん」と頷けば、ホッとする顔も然り。


 手を引いて起こしてくれて、そのまま手は繋いだまま誘導してくれる。

 大丈夫だよ、別に手を離しても逃げたりしないのに。そう思っても、繋いだ手の温もりに安心感を感じるのは私も一緒だ。


「ゆみこさん、ほんとにいいの?」

「ん、いいよ」

 同じ気持ちだよ、と視線を絡める。


「嬉しいっ」

 抱きつかれて耳元で囁くからくすぐったくて。

「好き」

「嬉しい」

「可愛い」

 ずっとそんな甘い言葉を言い続けてくれるから。

 私も好きよと伝えたいのに、私の口から発するのは甘い嬌声ばかりで。


 出会ってからはもう7年の月日が経っているというのに、今日はずっと胸がドキドキしっぱなしだ。

 あの頃は、こんなふうに誰かを好きになるなんて思ってもみなかったな。

 他人に心を開くことが苦手な私が、今、身も心も交わろうとしている。

 久美の体温はとても心地よくて酔いしれてしまう。


 そうして私は、久美に抱かれながら意識を飛ばした。






「ゆみこさん、気がついた?」

「えっ? 私……」

 うそ、気を失っていた?

 時計を見る。

「10分くらいだよ」

「ずっと見てたの?」

「ごめんね、でも初めてのことで心配だったから。脈も呼吸も正常だったから大丈夫とは思ったんだけど」

 そっか、そうだよね。

 久美もびっくりしたよね。

 私は恥ずかしいやら嬉しいやらで、かけてあった布団を引っ張り上げて顔を半分隠す。


「あの、ゆみこさん?」

 不安げな小さな声で私の顔を覗いてくる。

「ん?」

「ねぇ大丈夫? 私さ、初めてだったから、気をつけてたつもりだったけど、ちょっとやり過ぎちゃったのかなって、身体ほんとに大丈夫?」

「うん、大丈夫だからそんなに心配しなくても……って、初めて? えっ?」

「うん、初めて。ん?」

 そうなの? 初めてであんなにも……

「あぁ、いや、何でもない」

「もしかして。私がゆみこさん以外の人とそういうことしたと思ってるの? 私がゆみこさんに告白したの、中三の時だよね」

「え、だって。高校の時はモテてたって言ってたし」

「だからってそんなことしないよ、私はゆみこさん一筋なのに」

 心外だぁぁと言って、今度は久美が布団の中に潜りこむ。

「ごめんごめん、でも、だって……」

「だって、なに?」

「だって、あんなに上手だったら慣れてるって思うじゃない」

 つい本音が漏れたら、ガバッと布団から顔が出てきた。

「上手だった?」

「え、あ、うん」

 私の反応に満足げなのは何で?

「気持ち良かった?」

「それは、まぁ、そうだね」

「そっか、そっか」

 どんどん機嫌が良くなっている感じじゃないか。

 まぁでも、そんなふうにニコニコされたら、私だって幸せな気分になる。

 つられて笑ってしまっているしね。

 正直に言ってしまおう!

「久美、とっても気持ち良かったよ」

 あれ、真顔になった?

 あ、口を一文字にしてる。

 これはニヤけるのを我慢する、久美の癖。昔から知ってる、照れた時の仕草だ。



「ねぇ久美、映画もう見なくてもいい?」

 結局、途中までしか見てないけれど、今から続きを見る気にはなれない。

「うん、いいよ」

「なら、このままイチャイチャしてようか?」

「うん」


 だって。

 初めてってことは、まだ誰にも触れられてないんでしょ。

「いい?」

「ん?」

 私が、私だけが触れてもいいの?

「私も久美が欲しい」

「は? え?」

「嫌?」

「いや、じゃないけど、心の準備がまだ」

「自分だけじゃないんだよ、私だって久美を求めてるの」

「あ、はい」

「いいよね?」

「……ん、嬉しい」



 真っ赤な顔をして目をつむった君へ、私はキスを落とす。



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