第5話 my role model

 私はずっと――思い起こせば、常に――早く大人になりたいと、願っていた。


 同世代の友人からは、『落ち着いている』とか『大人っぽい』と言われることも多い。

 それはきっと、具体的に目標とする大人が近くにいたからなのだと思う。


 私はずっと、貴女に相応しい大人になりたいと思っていた。






 二人で歩く、春らしい陽気の土曜日の午後。


「もう、全然大丈夫だね?」

 ゆみこさんの歩き方を見て、骨折の影響が全くないことを喜んだ。

「リハビリ頑張ったもの」

 ドヤ顔で振り返る。うん、知ってるよ。

「よく頑張りました。そういえば、うちの病院の理学療法士、イケメン多いでしょ?」

「そうね、確かにかっこいい人多かったかも」

 見た目で雇っているのでは? との疑惑も浮上している。

「それで患者さんがやる気になってくれるなら万々歳だね」


 ゆみこさんは私の顔を見つめている。

「え、なに?」

「なんだ、妬かないんだね」

 そう言って、また並んで歩き始める。

 は? 妬くって?

「イケメン理学療法士に、嫉妬した方が良かった?」

「別に……」

 そう言いながらも、なんだか不服そう。


「嫉妬てさぁ、不安があるからするんじゃないかなぁ。私はそう思うな」

「不安?」

「二人の関係がうまくいっているなら、そういう気持ちにならないんじゃないかなって思う。思い上がりかもしれないけど、私はゆみこさんから大事にされてる自覚あるし」

 え、違うのかな……だって今、二人で向かっているのは私の家で、二人で暮らすことを母に報告するために行くんだし。私は愛されてる……と思っているんだけど……違わないよね?


 だんだん不安になってきちゃって、そんな気持ちが顔にあらわれたみたいで、ゆみこさんがクスっと笑った。

「大丈夫、思い上がりじゃないよ。私たちの関係に不安になる要素なんてないわ。あるとすれば……」

 あれ、今度はゆみこさんが別のことで不安になってる?

「なに?」

「お母さんに認めてもらえるかどうか、かな」

 なんだ、そんなこと。


「それは、大丈夫。もう話してあるから」

「え、どこまで?」

「全部」

「は? 私のことも?」

「うん」

「名前とか、職業とかも?」

「うん」

「私のこと……覚えてた?」

「うん、担任じゃなかったけど、覚えてるって」

「そう……」

「だからね、今日は挨拶だけで大丈夫だから」

「あぁ、うん」

 それでも、やっぱり緊張するのかな? ゆみこさんは浮かない顔をしているから、私は強引に手を繋いで大股で歩き出した。






「ご報告が遅くなりましたが、以前より久美さんとお付き合いさせていただいています」


 我が家へ到着し、手土産なんかを渡して世間話を済ませた後に、ゆみこさんが母と話をする。


「ええ、聞いてます。今も教師なんですってね、中学?」

「はい、市内の公立中学です」

「そう」

「それで、その。久美さんと一緒に暮らすことを許していただけたらと思いまして。時期は来年度以降を予定しております」


「……駄目よ、許可は出来ない」

 は?

「え、なんで? 良いって言ったじゃん」

 母の言葉に耳を疑った。

 私が話した時には「ふぅん、良いんじゃない」と、確かにそう言ったのだから。


 母は私の方を向いて「気が変わった」と、言い放った。

「なにそれ」

 怒りが沸々と湧き上がる。

 私の人生がかかってるのに、気が変わるとかそんなことで?

「意味わかんないんだけど」

 怒鳴りそうになった時、そっと、ゆみこさんの手が私に触れた。

 ゆみこさんの目が、冷静になってと言っているようだったから、なんとか抑えることが出来た。


「理由をお伺いしても良いですか?」

「久美はまだ学生よ、何にも自立してない子供よ」

「そんなの、あと四年も待てって言うの? バイトもしてるし、もう成人もしてるのに」

 どうしても感情的になってしまう私とは対照的に、ゆみこさんは何かを考えているように黙っている。

「バイトを頑張ってるのは知ってる、でもたとえば、学生と社会人が一緒に暮らして何かあった時に責任を負わされるのは社会人の方なのよ、先生に迷惑がかかるの。どうせ久美が一緒に暮らしたいって我儘言ったんでしょ?」


「それは違います、二人で話し合って決めたことですし、真剣に将来のことを考えてます。経済的な面も二人で協力し合っていきたいと思っています」

「さすが、優等生の答えね」

 母の皮肉るような言葉に、腹が立つ。

「ひどい」

「ちょっと久美は黙っててくれる?」

 めったに怒ることがない母の一喝に、不覚にもひるんでしまった。


「先生ならわかっていただけますよね? 一緒に暮らすことでどれだけリスクがあるのか」

「それは、どういう……」

「多様性がどうのって言われていますけど、周りに知られたら困るのは先生ですよね、最悪の場合は先生でいられなくなるかもしれませんよ」

「公務員ですので、性的趣向でクビになる事はないと思いますが」

「保護者からクレームがあったら? 辞めなくても針のむしろよね、耐えられる?」

「悪いことをしているわけではないので……」

「なら、生徒から言われたら?」

「それは……」



 元生徒の同性の恋人と暮らすこと。

 

 冷静に客観的に考えてみる。

 ゆみこさんの言うとおり、犯罪でもないし、何一つ悪いことをしているわけではない。

 誰に迷惑をかけるものでもない。

 コソコソする必要はない、筈なのだ。


 だけど……


 教育現場において、それが通用するのか。

 このご時世でも、学校というのは案外閉鎖的な場所だ。

 小さなコミュニティの中で、噂はおかしな尾ひれをつけ広まっていく。

 保護者や生徒の信頼を失うことが、どんな現象を引き起こすのか。

 たとえば保護者のクレーム程度ならば、毅然とした態度で対応は出来るかもしれない。

 でもそれが生徒たちだったら?


 ゆみこさんが生徒のことを大切に思っているのは、私にもよくわかっている。

 生徒から信頼されなくなったら、どうなるか。それでも耐えられるのか……


 だから、母のその言葉に答えられないのは仕方ないことだと思う。


 理不尽だ。


「なんで、そんな意地悪な言い方するの?」

「あら、世間はもっと厳しいわよ?」


 悔しい。

 反論が出来ない。

 でも、それは私たちが悪いの?

 同性ってだけで?

 異性の恋人ならば、何の問題もないの?


「まぁ、付き合うことは反対はしないから。久美はもう少し大人になりなさい」


 あまりに情けない顔をしていたせいか、母のその言葉には少しだけ優しさが含まれていた。







「ねぇ、ゆみこさんは、わかっていたの? お母さんが反対するって」

 話し合いは一旦中断して、リビングから私の部屋へ移動した。

 母はゆみこさんを毛嫌いしているわけではなく「夕飯食べていって」と誘っていたし、今はキッチンでその準備をしている。


 私が楽観的に「大丈夫」って言ってた時にも、そういえば浮かない顔をしていた。親への挨拶に緊張しているだけだと思っていたけど、こうなることを予想してたのかもしれない。


「お母さんの気持ちは痛いほどわかるから」

 母一人子一人という、うちの事情も知っているからだろう。

 私だって、女手一つで育ててくれたことには感謝している。

「やっぱり我慢しないといけないのかなぁ、ただ一緒にいたいだけなのにな」

「説得できなくてごめん」

「ゆみこさんは悪くないでしょ、あぁ、もっと手っ取り早く稼げる職業目指せば良かったかな」

「なに言うの?」

「だって、私に経済力があって一人前だったら、お母さんだって文句言わないでしょ」

 医学部は普通よりも長い上に、研修医になったとしても薄給だというし、まだまだ先は長い。

「そんな理由で進路決めないでよ、そういえば久美は、なんで医者を目指したの?」

「え、あぁ。話したことなかったっけ」

「うん」


「私ね、おばあちゃん子だったの。小さい頃は母親が仕事行ってる間ずっと面倒見てもらっててね、厳しいところもあるけど大好きなおばあちゃんだった」

「うん」

「でね、ある時ギックリ腰になってさぁ、ずっと痛い痛いって言ってて、それで……」

「久美が医者になって治してあげるって?」

「まぁ、そんな感じ。変かな?」

「ううん、良い話だと思う。おばあさんも久美の白衣姿見たかったんじゃないかなぁ」

「うん、ん? おばあちゃん、まだ生きてるよ」

「えっ、嘘、ごめん、てっきり」

 やだもう、焦ってるゆみこさん、可愛いなぁ。

「腰もすっかり治ってピンピンしてる。そうだ! おばあちゃんにも会ってよ」

 早速、スマホを操作して呼び出してみる。

「えっ、近くに住んでらっしゃるの?」

「うん、歩いて十五分くらい……あ、もしもしおばあちゃん?」







「お母さん、おばあちゃんもご飯食べに来るって」

「え、連絡したの?」

「うん、ちょうど野菜を届けに来るつもりだったって言ってたよ」

「そう」

「ご飯、大丈夫? 何か手伝う?」

「いいわよ、多めに作ったから大丈夫。それなら、おばあちゃんが来たらご飯にしましょうか」

「はぁい」



「ゆみこさん、お待たせ」

 母への報告を終え、飲み物を携えて部屋へ戻る。

「あれ、ゆみこさん? どうかしたの」

 なんだか表情がこわばってない?

 お茶飲む? って手渡せば、ごくごくと飲み干して。

「また緊張してきちゃった」と言う。

「へ、なんで?」

「だって、おばあさん、手強そうだもの」

「そんなことないよ、まぁ、お母さんは頭が上がらないみたいだけど、私には甘いからさ」

「それって、余計緊張するやつ」

「へ、なんで?」

「可愛いがってる久美の相手が私なんかじゃ……」

 眉が八の字になり眉間にも皺が出来て、不安にさせちゃったのがわかる。

「そんな風に言わないでよ、私がゆみこさんを選んだんだよ? お母さんもおばあちゃんも関係ない。気が乗らないなら会わなくてもいいよ、ごめんね勝手に話を進めちゃって」

 ゆみこさんの気持ちを一番に考えなきゃいけなかったのに、何やってるんだろう、私。

 そっと抱きしめれば、ふっと力が抜けて体を預けてくれた。良かった。


「大丈夫、久美が大好きな家族に、私も会いたい会わせて」

 しばらく抱きしめ合った後、落ち着いた声でそう言ってくれた。

「ありがとう」

 ゆみこさんが嫌な気持ちにならないように、今度は絶対私が守るからね。

 そんな意味も込めて、おでこにキスをした。



 



「は、はじめまして、わたくし……」

「あぁ、固い挨拶は要らないよ、だいたいの事は聞いてるから、さぁ食べながら詳しく聞かせて」


 ゆみこさんの挨拶はあっさりと躱され、賑やかな夕食が始まる。

「ほら、うちの畑で取れた野菜、形は悪いけど味は良いんだよ、新鮮だからねぇ」

「ほんと、美味しい」

「ほれ、久美もいっぱいお食べ」


 聞き上手なのは、さすがの年の功。

 ご飯を食べながらも、私たちの出会いから最近の様々な出来事なんかも、いつの間にか喋らされたって感じだった。

「へぇ、それで同棲を反対されて落ち込んでるの?」

「私はもっと前から一緒に暮らしたいって思ってたの、大学からも近いしさぁ、家までの通学の時間も省けるでしょ? だけど成人するまではって、ゆみこさんが言うから我慢してたんだよ。それが、まだ学生だし一人前じゃないからってさらに待ったをかけられてさぁ、嫌になっちゃうよ」

 おばあちゃんの前だからか、いつになく愚痴っぽくなってしまった。


「反対する理由は本当にそれだけなの?」

 祖母が母に聞く。

「そうですよ、子供の幸せを考えるのが親の役目ですから」

「へぇ、あんたがそれを言うんだ?」

 母は何か答えようとして、その言葉を飲み込んだ。

 そういえば今日はなんだか浮かない顔をしている。

「え、なに?」

 祖母と母。親子である二人にしかわからない何かがあるようで……

「あんまり頑なに反対したら駆け落ちしちゃうかもよ?」

「やだ、おばあちゃん、何言いだすの?」

 私は冗談だと思って笑いながら突っ込んだのに。

 何故か母は困ったような顔をしていた。

「あんた、久美に話してないの?」

 怒っているわけではなく、穏やかな声音で祖母が聞く。


「え、なに、何なの?」


「久美、あんたのお母さんはね、お父さんとの結婚に反対されて駆け落ちしたんだよ」

「えぇぇ」

 知らなかった、そんなの初耳。だいたい母は元々口数が少なくて、私が幼い頃は仕事ばかりだったし、仲良し親子みたいにお喋りすることなんてなかったしな。口うるさく言われることがなかったから私的には気楽だったな。でも、だからと言って仲が悪いわけでもなく、普通の親子関係だと思う。


 でも、そうか。母にそんな過去があったなんて……


「ねぇ、詳しく聞かせてよ」





~~~


「そんな、たいそうな話じゃないんだけどねぇ」

 そう言って、母は話し始めた。


「お父さんと出会ったのは病院だったの、私が看護師として初めて配属された血液内科に入院してきたのよ。悪性リンパ腫だった」

 久美ならわかるわよね、と私の顔を見る。

 黙って聞いていたゆみこさんも私の方を振り返るから、わかりやすいように説明をする。

「悪性リンパ腫は、白血球の中のリンパ球が癌化する病気で、血液の癌だね。化学療法がよく効く、5年生存率は割と高い方だね」

 あ、反射的に教科書みたいな一般的なこと言っちゃったけど、そうか父の場合はもう亡くなってるし生存率なんて意味ないや。


 母は一つ大きく頷いて、続きを話しだす。

「治療――化学療法をしながら入退院を繰り返して、薬が効いて一年ちょっとで寛解になったわ。これで再発しなければもう会えないなぁと思って少し寂しくなったけど、それでいい、もう入院して欲しくないと思ってた。そしたらね、街でバッタリ会ったのよ、通勤で使ってる駅の近くだった。それでまぁ、いろいろあって付き合うようになってね」

 母は一口お茶を啜って、当時を思い出しているような穏やかな顔をしていた。

「付き合い始めて半年くらいかな、彼の体調も良くて、付き合いも順調だと思ってたんだけど……別れ話を切り出されたの。納得できなかったから理由を問い詰めたのよ、そしたら――病気とか経済的な事を考えてのことだったのよ。将来のことを考えたら身を引くことが私のためだと思ったらしいわ」

「それでお母さんはどうしたの?」

「だから、私はプロポーズしたのよ」

「やるー!」

 うちの母はつよつよだ。


 父としては、病気の再発の懸念とか、入退院を繰り返したり持病があることで安定した収入がないことへの不安もあったのだろう。

 そうか、逆プロポーズされちゃったかあ。

 私の中では、おぼろげな記憶しかない父を想う。


「それでまぁ、おばあちゃんに報告したら反対されてね」

「それで駆け落ち?」

「まぁ、ね」


「それであんたは、後悔したのかい?」

 親の反対を押し切って結婚した人生を悔やんだのかと、祖母は母に聞く。

「するわけないじゃない」

 即答だった。


 二人とも、微笑んでいた。






「そういうことで、久美と先生との同棲を認めるってことでいいね!」

「えっ?」

 いきなりの、祖母の宣言に驚きの声を上げたのは、私だけだった。

「いいの?」


「正式には卒業を待ってという形にして、実習やバイトで遅くなる日には泊っても良いってことにしたらどうかしら?」

 祖母の提案に、それぞれが考えているようだ。


「さっき、子供の幸せを考えるのが親の役目って言ったわよね。私もそう思ってあんたの結婚を反対したわ。それでも、その反対を押し切ったあんたは幸せだったんでしょ、それが答えよねぇ」


「確かに、そうかもねぇ」

 母が同意をした。


「先生はいかがですか?」

「私に異論はございません、ありがとうございます」

 ゆみこさんも喜んでいる。


 私は感動していた。

 母の話を聞けて、母の強さを知った。

 そのおかげで私は生まれ、育ててくれた祖母と母。

 二人の強さが、私にも受け継がれていたらいいなぁと思う。



 改めて、早く大人になりたいと思う。

 私には目標とする大人がたくさんいる、それはとても幸せなことだと思う。


  You are my role model.


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