第7話ただの冷蔵庫

 フミは体を芋虫のように丸めていた。

 恐怖から身中が冷え切っていて震えが止まらない。

 そして、否が応でもあの日のことを思い出す。


 あの日、あの男、あの視線、あの感触、あの恐怖。

 人に暴力をふるったことなどなかった。

 生きているのか、死んでいるのか。

 殺してしまったのか、殺されていたのか。

 頭の中を過去が駆け巡る。

 思考が止まらない。

 いっそ気絶してしまえれば……

 そんなのを待っていたら自分は狂ってしまうのでは……


 と、フミの思想の渦を止めるように扉が開けられた。

 髪の長い優男が立っている。


「お〜い、フミちゃん。飯だ」


 男は片手に持った弁当をフミの前に吊るした。


「食べれるか?」


 フミは首を横にふった。


「そら無理だよな」


 男はフミのそばに腰を下ろす。


「急に連れてこられてこれだもんなあ。

 兄貴達もひでえよ。

 俺もさっき殴られたんだぜ?」


 笑いながら頬の傷を見せる。

 フミもつられて笑う。


「だ、大丈夫ですか?」


「ありがと。まあ、いつものことさ。殴るのが趣味みたいな人たちだからね」


 人懐っこい笑顔。

 少しだけフミはほっとした。

 こんな人もいるのか、と。


「ごめんな、痛いよな? ホントは手ぐらい何とかしてやりたいんだけどさ」


「あ、いえ、その……」


 フミが口を開こうとした瞬間男の目が変わった。


「まあ、あれだよな? 口あるもんな。できることはあるよな」


 さきほどの優しそうな雰囲気などない。

 フミを思いやる気持ちもない。

 あるのは私利と私欲。


「下使わなきゃいいんだろ? 声出すなよ。出さなきゃ痛くはしねえから」


 男がベルトを外そうとカチャカチャとやり始めた。


「ったく。ケーバーさんも馬鹿正直にあの人に付き合う必要ねえんだよ。

 こっちはこっちゃあ、楽しさと気楽さだけを頼りに悪いこと仕事にしてんだからよ」


 フミは声を出そうとして失敗する。

 恐怖で喉が動かない。

 肺に入った空気が力なく出ていくだけだ。


「歯あ立てんなよ?」


 男がフミに近づこうとしたとき、扉がまた開けられた。


「おい、タケ。楽しそうなことしてんな?」


「けけけ、ケーバーさん?」


「鬼太郎じゃねえよ」


 ケーバーは、鼻で笑うと笑顔のままタケのそばによる。


「ダメじゃねえか。我慢しろって言っただろ。

 俺が兄貴に怒られるんだぜ?」


「す、すんません。でも二日も我慢したことなくて……」


「だよなあ。お前らそんなもんだよなあ」


 ケーバーはハハハと大声で笑った。

 タケもハハハと少し引きつったように笑う。


「す、すんませんでした。ちゃんと我慢します」


「いや、いいよ。我慢は」


 ケーバーは、タケに笑いかける。

 え? とタケが首を傾げた。


「終わりだっつってんだ」


 タケの顔面にケーバーの拳が突き刺さる。

 タケの体が吹き飛び、後頭部から壁にぶち当たった。

 口から息と血が飛び出す。

 ケーバーは拳を、さらに顔面に叩き込んだ。

 後ろが壁のせいで威力が逃げる場所がない。

 タケの右眼球が飛び出す。

 タケが大声をあげ、こぼれ落ちた眼球を拾おうと出した右手を、ケーバーは眼球ごと踏み潰した。


「ケーバーさん、どうし――タケ? どした??」


 声を聞きつけ男たちが現れた。

 そして、部屋の惨状に目を剥く。


「連れてけ。喋れねえようにしとけよ。殺してもいい。ったく。サルが」


 ケーバーは苛ついたように吐き捨てるとフミに近寄る。

 フミは体を捩って逃げようとするが、不可能な話だ。

 容易に追いつかれる。


「動くな」


 そういうと、フミの手を解いた

 その脇を抜けて一人の男が、大きな箱を持って奥に設置している。


「こっちから鍵開けられないようにしたから、こん中なら好きに動いていいぞ。

 あとあれはトイレだ。気分悪いだろうが、堪忍してくれ」


 そういうと弁当をフミの鼻先に突きつける。


「食べたいものがあったら言ってくれ。できるだけ善処する。

 まあ、明後日までは安心してくれ。誰もお前にゃ手を出さねえよ。

 明後日まではな」


◆◆◆


 モニターの大量にある部屋に斎藤はいた。

 足元には血まみれの男がいる。


「なあ、須藤ってやつを知らないか?」


「須藤ならお前がもうぶっ殺しちまったよ! こいつだよ」


 そういってモニターに映る一人の血溜まりに沈む男を指差す。


「化け物が。たった一人で組の事務所潰しやがって」


 男は肩を落とす。

 斎藤が那郎会の事務所に踏み込んで一時間。

 建物内で動くものは二つになっていた。


「目的は何だ」


「須藤のアジトはどこだ?」


「須藤? 知らねえよ」


 男の答えを待って、斎藤は顔面に爪先を叩き込む。

 男は壁と地面をバウンドしてから斎藤の足元に戻った。


「すまねえ、思い出した」


 一つの地名を伝える。

 斎藤は脳内にメモしながら、もう一度顔面に爪先を叩き込んだ。


「そこはもう行った」


「待ってくれ。他には知らな――」


 男の左手を踏み砕く。

 男が大声をあげ、もう二つ地名を叫んだ。


「他は知らない! ホントだ!」


 斎藤は、左手の人差し指を踏み潰す。


「知らないんだ! ホントだ!!」


 斎藤はしゃがみ込むと、男の鼻先を摘む。


「ホントだ。ホントに知らない――ホントなんだ!!」


 男がつばきをあげて叫ぶ。

 目には涙が溜まっている。

 斎藤は、冷静に男を観察する。

 嘘をついている様子はない。


「助かったよ。でだ、ここの録画装置はどれだ?」


 こういった、表立った警備のできない施設の防犯カメラは、データを飛ばすことはない。

 代わりにデータを何重にも隠していることが多い。


「これだ。これを消せば残らない」


 男は斎藤の眼の前で操作する。


「大丈夫だ。あんたの痕跡はこれでなくなった」


 男が笑う。

 斎藤も笑う。


「ここもそうだろ?」


 斎藤はそういって、機械の一部を叩き壊した。

 バチバチと音を立てて機械が煙を吐く。


「すまねえ、忘れてた。そこにもデータは――」


 ギャアと男が叫ぶ。

 斎藤に膝を踏みつけられたのだ。

 膝が通常の反対に曲がる。


「まだあるな。ここもだ」


 斎藤が拳を叩き込んだ。


「言わなかった。これはお前の罰だ」


 男のもう一つの膝が砕ける。

 男が大声をあげた。

 恐怖に思考が回転する。


「ここだ! ここにもデータがある! そこにもある!」


 男は半狂乱になりながら叫ぶ。


「他にはない! ホントだ!」


 斎藤は言われた場所を潰すと、男の前に立ち耳を掴んだ。


「お前の後ろはなんだ?」


 そういって耳を引きちぎる。


「後ろはただの冷蔵庫だ! 俺のコーラしかない!!」


 斎藤は「そうか」と呟く。


「もうない。もう何もない。ホントだ。ホントなんだ」


 斎藤はもう一度、そうか、と呟き男の顔面に拳を叩き込んだ。


ってく! でん部言っ! こどいでく!」


「分からなかったのか? 俺がこんなことをした理由が」


「言わねえ! 今日のことは誰にも言わねえから!!」


「そうか。なら担保をもらおう」


 斎藤は男の喉をググッと握る。

 男の口が「なんで」と動く。


「担保だ。俺は痕跡を残すわけにはいかない。一欠片もな」

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