第6話痛みは重い

 右の頬に刃物傷のある男がとある雑居ビルの廊下を歩いている。

 その右手はボーリングの玉でも持つかのように、髪を掴まれた女がいた。

 その目隠しをされた女は恐怖と痛みから顔を引きつらせ泣き声をあげている。

 その様子に後ろを嗜虐的な笑みを浮かべた体のでかい男がついていく。

 奇妙な行列。


「痛い!」


 女の口から久々に言語らしいものが出た。

 扉の前で急に止まったので髪が引っ張られたのだ。


「黙れよ」


 男は扉を開けるとその中に女を投げ込む。

 女は、キャアと叫んで地面を滑り壁に当たって止まった。


「落ち着けよ、お嬢ちゃん。死ぬかどうかの瀬戸際だぜ。

 おい、ケーバー、目隠し取ってやれ」


 ケーバーと呼ばれた男は「はい」と返事して女の目隠しを取り外す。

 目隠しを取られた女は恐怖の色に染まっていた。


「ここにゃ、窓はない。それに場所が場所だ。

 どんだけ騒いでもいいし、暴れてもいいが、その分痛い目みるからな。うるさいのは嫌いなんだ。

 で、名前は?」


 女は答えない。いや、答えられない。

 引きつった悲鳴で答える。

 男はそんな女の頭を軽く小突く。


「名前だ。名前。あるだろ? 嬢ちゃんにも」


「く、熊谷フミです」


 フミは自分の名前を一気呵成に答える。


「何歳?」


「21です」


 ふうん、と男はフミの顎を掴んで値踏みする。


「これだけでも金になりそうだな。体の方はいまいちだが」


 男の後ろでケーバーも一緒に笑う。


「待って、私は――」


「落ち着けよ。別に今すぐどうこうしねぇよ」


「兄貴、そりゃねぇっすよ。今日のやつら、こいつでいい思いできると思ってますよ?」


「ったく、サルでも我慢するぞ」


 そういって兄貴は財布を取り出す。


「これで女でも呼んでやれ」


「ありがとうございます!」


 受け取ろうとした瞬間、兄貴が財布を取り上げる。


「何するんですか!」


 ケーバーが不満そうに口をとがらせる。


「やっぱやめだ。お前ら、二日間ぐらい我慢できるだろ」


「いや〜あいつら無理じゃねぇかなぁ」


「我慢させるんだよ」


 兄貴は口の端だけを引き上げて笑う。


「何かあるんですか?」


 兄貴はケーバーの質問を無視してフミに向き直る。

 と、フミは唇を震わせながら口を開いた。


「あの、私には家族はいません。身代金なんて……」


「お前さんの職場には?」


「スミレ園は貧乏施設です。お金なんてありません……

 わた、私、何も言いませんから帰らせ――」


 兄貴はフミの両頬を片手で握り黙らせる。

 痛みからフミの顔が歪んだ。


「大丈夫だよ、嬢ちゃん。あの土地が欲しいって奇特な人がいてね。

 まあ、ちょいと非合法な団体だから、表立って買うわけにもいかないもんで、あんたんとこの園長さんに懇切丁寧にお願いしてんだよ。

 これがうまくいかない。園長さんが何か勘違いしてて売ってくれないんだよ。

 だから安心していい。嬢ちゃんはここにいるだけで十分だ。

 まあ、ちょっとお手伝いは頼むんだが……」


「お手伝い?」


 兄貴はニヤリと笑う。


「ここにいるのが最初の手伝いだ。園長先生が嬢ちゃんのこと大事に思ってりゃそれで終わり。

 でももし二日過ぎたら……こいつらの相手してもらう」


 ケーバーが快哉を上げる。


「二日我慢させたクソ猿どもだから、ちょいと大変だと思うけどよ。よろしく頼むわ」


「仲間呼んでいいすか?」


「好きなだけ呼んどけ」


「園長に連絡は?」


「明日の朝に入れればいいさ。それまで嬢ちゃんいないことで気を揉ませてやれ」


 笑いながら二人は出ていった。

 フミは震えることしかできない。

 外はだいぶ日が傾いてきていた。


◆◆◆


 陽が少しだけ陰ってきている。

 斎藤はまだシャッターの下りた店の多い飲み屋街を歩いていた。

 早めに開いた立ち飲み屋には、何人かの酒飲みが始めている。


 斎藤はそれらに視線を向けながら歩いていた。

 とはいえ、頭などは動かさず、眼球だけで必要なものを探している。

 そして、斎藤が通るときにちょうど開いた町中華から30メートル歩いたところで目的のものを見つけた。


 しなびたスウェットの上下にくたびれた革靴。

 肩にはデニムのトートバッグが掛けられていて恐ろしくチグハグだ。

 しかし、斎藤が注目したのはそこではない。

 腕についた高級時計だ。

 斎藤は、一度通り過ぎると後ろから声をかける。


「お前、情報屋だろ。知りたいことがあるんだ」


 しかし、男は慌てない。


「わかってるなら脅しても無駄だ。自分の命よりも大事なもんは出さねえ。金次第だ」


「金はない」


「なら諦めろ。殺されたって言いやしねえよ」


 情報屋という人種はある種の崇拝にも似た感情を自分の情報に対して持っている。

 価値というものに金額をつけるのだ。

 多くの人間にとって、他人の命の価値はゼロに近い。

 隣に座っている人間が死ぬよりも、今日の日替わりランチのメニューの方が価値が高いのだ。

 そして、多くの人間はその事実から目をそらしている。

 それを受け入れることは恥だと考えている。

 しかし、こういった人種はそれを受け入れているのだ。

 自分の命でさえも平等に無価値だと信じている。


 当たり前だが、それは気狂いのそれだ。

 しかし、彼らにはそれが一等上等なそれなのだ。

 人としての信仰に近いそれを否定するのは通常難しい。

 ならば、どうするか。簡単だ。

 人ではない、人の中心。動物の部分に聞くのだ。

 そのためには、こちらが人を辞めれば良い。

 気狂い以上の気狂いになるのだ。


 斎藤は、口をふさぐと路地に連れ込む。

 そして、壁に顔面から叩きつけた。

 情報屋がガアと叫ぶ。

 それを無視すると、足の甲を踏みつけた。

 さらに情報屋が大声をあげそうになるのを喉に突きを入れて止める。

 情報屋が何もできず目を白黒させるのを確認して地面に組み伏せた。


「命よりも重いのは知ってる。ただし、命は軽いが痛みは重いぞ」


 斎藤は、答えを聞かず右人差し指を圧しり折る。

 情報屋が声のかわりにつばきをあげた。


「何が! 何が聞きたいんだ!!」


 情報屋が涙をこぼしながら口を開く。


「この辺の武闘派のヤクザ」


「三代目那郎会と非奈組だ」


「最近どちらか人を集めてるだろ?」


「しらな――あぁああぁ!!」


 斎藤は右の薬指と小指を同時に折る。


「那郎会の須藤って若頭補佐が子分集めてうろついてるのをみた!」


 斎藤が場所を聞くと、スミレ園のそばの地名が出た。


「悪かったな。助かった」


「クソったれ! 終わったなら行っちまえ! クソったれ!」

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