第5話連れて帰る

 西アフリカのスリズ協和国東部の砂漠地帯にある市場。

 深夜になり、昼の暑さを冷ます砂混じりの乾いた風が吹いていた。

 しかし、特有の香辛料の匂いはまだ街を漂っている。


 俺は仲間のアイザックを探して歩き回っていた。

 ――早まるな。

 心臓が早鐘のようだ。

 その理由は走っているせいだけではない。


「子供に見られた」


 アイザックは街の情報屋を始末しに出かけていた。

 そして終わったであろう頃に突如としてその電話があり、それだけ言って切られたのである。

 確かに不安は拭えなかった。

 何が支障をきたすかわからないこの状況で命取りになりかねない。

 しかし……


 俺は飲んでいたダガラ・ダーモロコシ酒の瓶を蹴り倒すと、部屋を飛び出した。

 情報屋の居場所、市場はそれほど遠くない。


 深夜になり市場には人通りはなかった。

 しかし、いたるところに人の気配がある。

 伺うようなその気配は、余所者に対する怯えによるものだろう。


 俺はその中で人の気配の少ない方を選んで進んでいく。

 アイザックは狩りの達人だ。

 人のいない方へ子供を追い込むことなど容易いことである。

 右に回り込み、左に回り込み。

 着いたのは市場の外れ。


「やめて……」


 アイザックが銃を構えている。

 その先には怯えた目でうずくまる少女が一人。

 膝の辺りを撃ち抜かれている。


「すまなかった。心配かけたな」


 アイザックは俺に笑いかける。

 俺はそこで初めて”俺たち”の目を見た。

 こんな目をしているのか。

 愕然とした。

 そうか、人非人俺たちとはこのような目をしているのか。

 地面が揺れた。

 尻から転んだ。

 その情けない姿にアイザックが鼻で笑う。


「どうした? そんなに急いで走ってきたのか?」


 ――地面は揺れていない? 三半規管の異常か?

 俺は頭を叩こうとして、手のひらがびっしょりと濡れていることに気がつく。

 ――なんだ、これは。


 目の前がぐるぐると回る。

 呼吸が浅くなり、鼓動がどんどんと速くなる。

 胃の辺りを誰かに握られているかのように痛む。

 喉が渇いている。


 なぜだ。なぜ今になって俺はこんな些事に焦っている?

 俺にとってこんなこと日常茶飯事だったはずだ。

 自分に言い聞かせる。

 間違っているのは俺だ。


「待て。もう終わる」


 アイザックが銃を構え直す。

 照準は少女。


「やめろ……」


 俺は反射的に銃を腰から取り出す。

 アイザックに銃口を向けた。

 そして発砲。


 アイザックは驚いたように振り返る。

 そして、その向こうで少女は物になっていた。


「なんだ? 俺の尻拭いをしにそんなに必死だったのか?」


 アイザックは銃を懐にしまう。

 俺も銃をしまおうとしてできなかった。

 身体中の筋肉が言うことを聞かない。

 どれもこれもが、命令系統から切り離され動こうとしない。

 頭を失った少女がドサリと倒れた。

 俺は唯一動かせる首をそちらに向ける。


「いつまでそうやってるんだ?」


 アイザックが俺の銃を軽く押した。

 俺はそれでやっと銃口を下げる。

 油の切れた自転車のようだ。

 と、アイザックが少女に向かって歩き出す。


人狩りマンハントなんて久々にやったら乾いちまった。先に帰っててくれ。

 それとも一緒にやるか? 心配してくれた礼だ。お前が先でもいいぞ」


 アイザックがカチャカチャとベルトを外す。


「そうか。お前、爆弾で金玉二つ飛ばされたんだっけ?

 まあ、見てるだけでよければ、どうぞ」


 アイザックが少女の横にたった。

 俺はそこで身体がフルに動くことに気がついた。

 さきほどやった――やってはいけない――失敗にケリをつける。

 銃声。


 アイザックが振り返る。

 口が「なぜ」と動き、バタリと少女に覆いかぶさった。

 俺は身体をなんとか起き上がらせると、アイザックを蹴り飛ばす。

 そして、少女に自分のコートを着せる。


「すまない」


 俺は声を絞り出そうとして失敗した。

 喉が動かない。

 涙が流れる感覚。


 俺は目を開ける。

 目の前がぼやけている。

 視線をいつものローテーブルに向ける。


 ――最悪な夢だ。クソ野郎め。

 時間はまだ深夜だ。

 机のグラスに残っていたウイスキーを呷るとまたソファに横になる。


◆◆◆


 斎藤がスミレ園に来たのは久しぶりであった。

 斎藤の職場のシフトがなかなか埋まらず、暇をしている斎藤が出ずっぱりになっていたためである。

 それも、昼前まで職場にいたため着いたのは、子どもたちの帰宅時間に被ってしまっていた。


「失敗したかな」


 斎藤は独り言ちながら園を覗き込む。

 園の中で高校生の未莉亜ミリアがウロウロとしているのだ。

 また絡まれるのはいただけない。帰るか?

 そう考えていたが、どうにも様子がおかしい。


「どうした?」


「斎藤!! フミちゃんが帰ってこないの」


「連絡は?」


「したの。スマホに。切られた。折返しもないし……」


 切られた。

 ビッグ・トラブルの気配。

 思い出すのはあの視線だ。

 あの視線。思い出す。

 あれは暴力集団、いわゆるヤクザのものか。


 あの時、ありえないと考えたがそうではなかった。

 理由は関係ない。

 そして、それに関する後悔もない。

 それらは動き出す妨げになるだけだ。


「全員いるのか?」


「うん。いるけど……」


「お前の責任で全員ここから出るな。フミさんは、俺が連れて帰る」


「え? やっぱり、何かあったの?」


 斎藤はその問いに首をふる。


「何もない。何も、ない。気にするな」


 斎藤の四肢に力が漲る。

 ミリアはその斎藤を見て後退った。


「さ、斎藤。怒ってるの? それとも楽しいの?」


 斎藤は自分の顔を触り、口角が上がっていることを知る。

 なぜ、そんなことに興味はなかった。

 それは、意味のないことだから。


「大丈夫だ」


 斎藤はそういうと踵を返し園を出ていった。

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