第3話大丈夫

 日が頂点を越え気温がさらに上がる頃、住宅街にある人気ひとけのない公園のベンチに斎藤は座っていた。

 その横には大口を開けて眠っているフミ。


「ンゴ……ンググ……ムニャ、ンンン?」


 フミが目を開ける。

 そして、パチクリと辺りを見渡す。


「うん? ここ、どこ?」


 そして、斎藤を見て、あっ! と叫んだ。


「バスジャック!」


「あれは終わりました」


「お、終わった?」


 終わった。ただそれだけで説明を終わらせた斎藤に、フミは、全開のクエスチョンマークで答える。

 斎藤はそれについて答えるつもりはない。


「ここどこかわかりますか? とりあえず降りたもので」


「そうですね。ちょっと離れてますが、園まで歩いて行けますけど……大丈夫ですか?」


「ええ、どうせバスは使えないだろうし。ちょうどいい。

 動けそうですか?」


「はい。特に痛いとかはないです」


「そうですか」


「はい。えぇっと、こっちです」


 フミは立ち上がると、園の方を指さし歩き始める。

 公園を出たところでフミは横の斎藤を見た。


「あの、いいんですか? あんなことあったのに……逃げちゃって……」


「こっちは巻き込まれただけだ。問題ないですよ」


「えっと……でも……」


「それに、フミさん。もしかしてですけど、警察は嫌なんじゃないですか?」


 フミの眉がピクリとあがる。


「なんで……」


 あれだけパトカーに反応してれば、サルでもわかる。

 斎藤は少し悩んで黙ることを選択した。

 それをどう受け取ったのか、フミは口を開く。


「私、昔家出してるんです」


「はぁ」


 斎藤の興味なさげな合いの手。

 だが出かかった言葉をフミは止められなかった。


「私の母に出来た新しい彼氏が酷いやつで。

 お金は持ってくし、酒飲んで暴れるし。

 でも、まだそれはマシでした」


「マシ……」


「学校から帰ってきたら、あの男は酒を飲んでました。

 なんかイヤらしいやつをテレビの画面で。大きな音で」


 フミは不愉快そうに顔をしかめる。


「私は、すぐに自分の部屋に行こうとしたんです。

 そしたら、来いって言われて……

 母が殴られてるのを知ってましたから、怖くて近寄ったんです。

 そしたら座れって。自分の膝の上を指すんです。

 私気持ち悪くて嫌だって言ったら……」


 フミは頬をさする。


「その後押し倒されて、私、頭が真っ白になって……

 近くにあった瓶で頭を殴って逃げてきたんです」


「それでそのまま、家出」


「はい。お金なくなってどうしようってときに園長先生に拾ってもらって」


「それは運が良かったですね」


 本当に幸運だと、斎藤は思った。

 会って数時間の人間にこんな話をしてしまうお人好しっぷりである。

 話を聞いたのが、その善人園長でなければ、そして、薄情者斎藤でなければ今頃食い物にされていただろう。

 もしくは、さきほど起きた恐怖から逃げるために何か話をしていたかったのか。

 まぁ、どちらにせよ。賢明ではない。


「はい。でも、その……あの人がもし死んでたら……」


「大丈夫ですよ」


 斎藤は声をかけた。


「大丈夫……ですか」


「はい。大丈夫です」


 斎藤はもう一度同じことをいう。

 フミを安心させよう、などという高尚で安易な言葉ではない。


 日本の警察は、良くも悪くも優秀だ。

 小娘一人、それもこんな不用心な女が頭空っぽにして逃げて見つけられないわけはない。

 その馬鹿な男は生きていて、フミの母と一緒にいるだろう。

 そして、警察に届けるわけにもいかないだけだろう。

 結果、母親は殴られているだろうが。


 もしくは死んでいるが、警察が本腰を入れて探してない可能性もある。

 世の中に不要なチンピラの命を奪った事件よりも、もっと重要な――高齢者の万引きのような――事件を追う方が世間のためと考えているのかもしれない。

 そして、斎藤もそうだと思う。


 なんにせよ、今この場でフミが警察の厄介になる可能性は低い。


「そうだと……いいな……」


 フミはそう呟き、何かを少し考えるように黙り込む。

 そして、少ししてから顔をあげた。


「そこを曲がったところです」


 小さな公民館のような建物と、申し訳程度の運動場。

 学校か遊びに行ってるのだろうか、子供たちの気配は感じられない。


「ここですか」


 斎藤は運動場をぐるりと見渡す。

 デコボコの地面、柵の残骸、花壇らしき跡。

 なるほど。なかなかの荒れっぷりである。


「あの柵を直したくて」


 元々の高さはわからないが、腰程度だろう。

 斎藤はぐるりと運動場を囲う柵を見てから、フミに視線を戻す。


「あれより先に花壇を戻した方がいいんではないですか?」


「花壇ですか?」


「はい。花壇の方が、簡単にできますよ」


 レンガを組んで高さを出すなら大変だが、地植えの花壇だ。

 地面を耕してデザイン製のあるレンガを並べればそれなりに形になる。

 拡張したければプランターでも使えば十分形になるだろう。

 斎藤は試算しながら花壇をぐるりと回る。


「極端な話、ここを耕しただけでも花を植えられますよ」


「ほんとに!? 鍬ならどこかにあったかも」


 斎藤は鍬を探しに行くフミを見送り、ガチガチに固まった花壇跡地をいろいろと確認しながら歩いていると、門から一人の少女が入ってきた。

 小学校中学年くらいだろうか。

 ショートカットのその少女は、斎藤を見て立ち止まる。


「だ、誰ですか」


 斎藤は答えに窮した。

 誰と言われれば斎藤だ。

 しかし、彼女の求めている答えはそれではあるまい。


 斎藤はその顔をしかめる。

 少女が、ヒィと門の外まで逃げていくのを見て、店長の顔が怖い発言を思い出した。

 斎藤はできるだけ柔和な笑顔を浮かべる。

 少女は後退った。


「えっと……私はホームセンターの店員です。

 フミさん……熊谷さんがこの運動場を補修したいというので、手伝いにきました」


 少女は少し眉根を寄せる。

 そして、得心したように緊張が解けた。


「よくわかんないけど、お姉ちゃんの友達?」


 友達……違う。

 斎藤はそう考えた。

 しかし、それを説明するのがひどくめんどくさく感じる。


「まあ、そんなもんです」


「そっか。なら……怖い人じゃないのかな?」


 少女が門を抜けようとしたときその手を、さらに現れた少年が掴んだ。


「お前、あの顔見ろよ! 絶対悪人だよ!!

 姉ちゃんと友達なんて嘘に決まってる!!

 姉ちゃんどこにやった!!」


 少女と同い年くらいだろうか。

 少女より少し背の低い少年は、少女を庇うように前に出てくる。

 斎藤は、この少年が一番まともだと思い、思わず笑った。


「な、何がおかしいんだ!」


「いえ、気にしないでください。

 そして、あなたは正しい。

 私を信じるのは、フミさんに確認を取ってからの方がいい」


 斎藤が二人から少し離れると、ちょうどフミが現れた。


「おかえり、二人とも。今日はまっすぐ帰ってきたのね」


「姉ちゃん! こいつ誰だよ!」


「こいつ? 斎藤さんのこと?

 ほら、運動場すごいことになってるから直そうと思って、そのお手伝い?」


 フミの疑問符を付けての説明に、二人は顔を曇らせる。


「姉ちゃん、なんか騙されてない? お金出せとか言われてない?」


「大丈夫よ、そんな心配しなくても。斎藤さんいい人だよ」


 フミは屈託ない笑顔を斎藤に向けた。

 斎藤は思わず目をそらす。

 フミはその仕草に少し首をかしげるが、すぐに忘れた。


「今からちょっと花壇を作るんだけど、二人はどうする?

 遊びにいく?」


 少年は足の裏でトントン地面を叩く。


「いや、俺もいる」


 そういって、建物の中に走っていった。

 ランドセルを起きにいったのだろう。

 監視のつもりだろうな、と当たりをつけ、少年の無意味な意地を感じて、斎藤は思わず吹き出しそうになる。


「どうしたんですか?」


 この人が一番危機感がないな、と斎藤はこの園のことが心配になった。

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