レグスの恩返し
教会で出会った少年と別れ、ギルドまで戻って来た頃には日も沈んだ時間帯となっていた。
現時点で神聖国でやれる事を終え、後は王都まで帰るだけだったのだが夜の暗闇の中で出発するような馬車があるはずも無く今夜一晩は宿を取らざるをえなかった。
「今晩泊まれそうな宿ですか?うーん、それは難しいと思います。宿屋は何処も近いうちに結婚式を挙げる方々で予約が埋まっていると思いますし………」
この国に来て知り合ったギルドの受付嬢のサラさんに今晩空いてそうな宿が無いかを尋ねてはみたが返ってきた答えはそんなものはないというものだった。
結局俺はレグス君の借りている宿に、レフィアちゃんはサラさんの部屋に今晩だけ泊めてもらうことになった。最初はレグス君が「なら二人とも俺の部屋に来るか?」と提案してくれたがサラさんの強い反対によりこの形に落ち着いた。
そしてその翌日、朝早くに馬車で王都へと帰ろうとしていたのだが一つ問題が発生した。
「あれ………レグス君もこの馬車に乗るのかい?」
見送る為に着いてきているのだろうと思っていたレグス君が当たり前のように王都行きの馬車の中に乗り込んできたのだ。
「俺も王都に……エデル達に着いていくつもりだ」
「レグス君も王都に何か用事が?」
「……ああ、どうしてもやらなければならない事があるんだ」
「やらなければ……?なら何か俺に手伝える事は?」
長期休暇の期間を使って神聖国での用事を終わらせるつもりだったのだが予想していたよりも早く王都に戻る事になってしまった。なので長期休暇の時間はまだかなり残されている。だからレグス君が何か困っているのなら力になりたかった。
「いや、こればかりはエデルに手伝ってもらう訳にはいかないんだ」
だが俺の申し出に対してレグス君から返ってきた言葉は否定の言葉だった。
「……すまない、余計なお世話だったかな?」
「違う…………俺はエデルに………命を救われた恩を返さなければならないんだ」
「……………………ん?」
俺がレグス君の命を……?なんのことだ?必死に思い返してみてもそんな記憶は存在しなかった。
「俺はあの日……エデルを追って『腐敗領域』に繋がる森に深く入り込んだせいで腐敗の毒気にやられてしまった。重度に毒気に侵された俺は苦しみの中で死を待つだけだった。だがリフィアがあの……エデルが抱えていた黄色い実の事を教えてくれたおかげで俺は命を繋ぐ事が出来た」
そうか俺があの日レフィアちゃんを背負いながらも持って帰ったフフの実はレグス君の命を救ってくれたのか……そういえばイリエステルの下を離れ村に帰った時に村の人達がそんな事を言っていた気がする。話を聴いた時はもっと軽い症状だと思っていたのだがそんなに酷い状態だったのか。
「レグス君が助かってくれて本当に……本当に良かったよ。でもその事で恩返しなんてする必要は無いよ」
誰かに恩を売りたくてフフの実を持って帰ってきたわけでは無いのだ。
「エデルが何を言おうともう決めた事だ。この恩は絶対に返す。……俺に自分の命の価値を付けさせてくれ」
……そんな事を言われたら断りづらいじゃないか!
「でもほら……レグス君は神聖国で良くしてくれたじゃないか。教会にも案内してくれたし宿の無かった俺を部屋に泊めてくれたし……神聖国ではレグス君に助けられてばかりだったと思うけど……」
だから俺への恩返しなんて事は考えずに自分のことに時間を使って欲しい。
「いや、それぐらいは当然のことだ。あれで借りを返せるなんてかけらも思っていない」
律儀すぎるだろ!
レグス君が良い子である事が今は裏目に出ていた。
「ならあの教会の事はどうするんだ?あの教会にはまたレグス君の助けがいるように思えたけど」
「……さっきも言ったが何を言われようと俺は絶対に借りを返す。それを果たすまでは神聖国に戻ってくるつもりはない」
頑固すぎるだろ!
………え、ちょっと待ってくれ。俺への恩返しが終わるまで神聖国に戻って来ない?じゃあその間サラさん達はレグス君に会えないのか??これ俺が明確な期限を提示して早く収拾をつけないと俺がレグス君に想いを寄せる女性達から恨まれることになるんじゃ………。
「レグス君としてはその……内容とか具体的に決めてたりするのか?」
「具体的には決めてないが……俺には金かねぐらいしか思いつかない………すまない……神聖国のギルドでは生活に必要な分しか稼いでなかった。エデルが生きていると知ってればもっと依頼を受けていたんだが……王都の方の依頼でなんとか工面するつもりだ」
「いや、むしろレグス君が自分の為に時間を使ってくれていて良かったよ」
今日までの間、恩返しのためのお金を俺に渡すために自分の時間というものを削って依頼漬けの日々でしたとか言われたらこの場で嘔吐する自信がある。
「………分かった。お金だね?それで構わないけど一つ条件がある」
どうやらレグス君の意思は固いようだ。ならば何かしら条件を決めて納得してもらうしかないだろう。
「条件?」
「期限は魔法学校の新しい学期が始まるまでだ。厳密にいうとあと二十日間ぐらいなんだけど………」
「……二十日間?無理だ。そんな短い期間で渡せるだけの金が集まる筈が無い」
「いや、でも仕方ないんだ。魔法学校が始まってしまったらレグス君に会いに行ける時間が無くなってしまうからね」
嘘だ。魔法学校は普通に休みの日もあるしそういう日には外に出たりもする。レグス君を騙すのは心苦しいがこの条件だったら変に高い金額にもならない筈だしこの事でレグス君の時間を必要以上に奪う事も無い筈だ。
「……だがギルドじゃソロ(一人)だと報酬の良い依頼もあまり受けさせてもらえないんだぞ。それに一日のうちに受注できる依頼の回数に制限がある」
だから良いんじゃないか。レグス君は義理堅い性格をしているからソロだと受注できる依頼の選択肢が少ないとはいえ自身の恩返しという都合に他人を巻き込んだりは出来ないだろう。困らせたい訳じゃないが俺だって本当は息子同然に思っているレグス君を危険に晒したり金をせびるなんて事はしたく無い。なんとかこの条件で納得してもらうしか無かった。
「……なら次のその長期休暇ってやつまでじゃダメなのか?」
ダメに決まってるだろ!
「すまない次の長期休暇は魔法学校の中で班を組んでる人と予定があってそっちに付きっきりにならなきゃいけないんだ」
これも嘘だ。そんな予定なんてかけらも無い。だが次の長期休暇までの間とか冗談じゃない。そんな長い期間レグス君をこの件で拘束させる訳にはいかないしレグス君に想いを寄せる女性達に申し訳ない。
「……っ!」
レグス君に嘘をつくという罪悪感からふと横へ目線を逸らすと隣に座っていたレフィアちゃんが気まずそうに顔を俯けていた。
……そうか、今俺が話している事が嘘だって事はレフィアちゃんにはすぐに分かる。俺が嘘をついていると分かっていながらレグス君にそれを黙っているのはレフィアちゃんにはきつい事だったのかもしれない。
「……分かった。ならそれまでになんとかしてみせる」
なんとかレグス君もこの条件で納得してくれたようだ。
そうしてこの話に一旦の区切りが付いたところで馬車が動き出した。
「俺はギルドに向かうから此処で」
馬車が王都に着きレグス君は一人で早速ギルドに向かおうとしていた。
「レグス君ちょっと待って!」
ギルドの方へと歩いていくレグス君に静止の声をかけた。
「……なんだ?」
「やっぱりレグス君が俺の依頼を一緒に受けるっていうのはどうかな?」
レグス君の実力を信じてない訳じゃ無いが恩返しの為だと無理をしないか心配で彼に着いて行こうとした。
「ダメだ」
だが俺の提案はすぐに却下された。
「それじゃあ俺は胸を張って借りを返したなんて言えない。それに俺は討伐依頼を中心に受けるつもりだ。エデ……お前の安全を保証出来ない」
……あれ?もしかしてレグス君の中で俺は非戦闘員として数えられている?
「……じゃあな」
そう言ってレグス君は改めてギルドの方へと向かっていった。
「ちょっ……行ってしまった……」
無理をしないか心配だ。だがレグス君も神聖国のギルドで様々な依頼を達成していたみたいだし大丈夫……だよな?
「……ありがとうレフィアちゃん。俺が嘘をついている事を黙っていてくれて」
レグス君の姿が見えなくなったことで漸くレフィアちゃんが俺の嘘を黙っていてくれた事に感謝を述べる事が出来た。
「いえ……あまりレグスの時間を奪いたく無かったんでしょう?」
「……本当は自分の為にお金も時間も使って欲しかったんだけどね……多分それだとレグス君は納得してくれなかっただろうし」
「それに…………ナイトエイジさんとの時間を……大切にしたかったのよね?」
なんでそこでリリィが?……もしかして次の長期休暇は同じ班の人との予定があるという話の方は嘘ではないと勘違いしているのか?
「……レフィアちゃん……実は次の長期休暇に同じ班の人と予定があるっていうのも」
「ジョンさーん!!」
レフィアちゃんの勘違いを訂正しようとすると突然背後から俺の名前(偽名)を呼ぶ声が聴こえてきた。
「リリィ?」
後ろを振り向くと声の主であるリリィが此方に駆け寄ってきているのが見えた。
「……ふぅ…ご機嫌ようジョンさん、それとレフィアさん。言われていたよりも早く帰ってこられたのですね?もう神聖国でやらなければならない事というのは終わられたのですか?」
「あ、ああ。俺の用事は終わったんだが……」
やらなければならない事………リフィアちゃんを返してもらうという今回の遠出の第一の目標は果たせないままに帰ってきてしまった。
「……もしかしてまだ終わってないのですか?」
リリィも、言葉尻を萎ませながらレフィアちゃんの方へチラリと視線を移した俺を見て上手くいかなかった事を察してくれたようだ。
「色々と予想外の事が起こってな、また二年後に神聖国に行かなければならないんだ」
「………そうですか。ですが二年後ということは今回の長期休暇の残りの期間は此方で過ごされるのですよね?」
「そのつもりだ」
「それは良かった。ならこれから一緒にお食事でも……レフィアさんもご一緒にいかがですか?」
「俺は構わないが……レフィアちゃんは予定とかは……」
「私は……………ごめんなさい、レグスに伝え忘れた事があったから………」
「……伝え忘れた事?それは一体」
「さようなら……!」
伝え忘れた事というのが一体なんなのか尋ねるよりも前にレフィアちゃんはギルドの方へ走り去っていった。
あんなに急ぐという事は結構大事な要件だったのだろうか?レグス君がギルドに向かったのも先程だから追い付かない事は無いだろうが………。
「……残念ですわ。ですが彼女が行けないと言うのなら仕方ありません。仕方ありませんから私達だけで食事をしに参りましょう」
「……そうだな、一度寮に戻ってヒサメ達と合流しよう」
「え?」
「ん?」
「……いえ、なんでもありませんわ。…………分かりました。あのお二人のところに参りましょう」
その光景を物陰から見ている人物が居た。
「どうして……なんでレフィアがあいつと………」
それはこの国の大臣の一人息子にして今エデルと共にいる幼馴染の少女レフィア・グレイスがマジカルヤマダ魔法学校において所属している班のリーダーを務めているユリウス・アゾーケントその人だった。
それを見たのは偶々であった。特に目的もなく……いや、心の何処かで想い人である少女を探しながら城下町を歩いているうちに馬車から件の少女がとある人物と降りてくるところを見てしまった。
頭が瞬時に沸騰するかのように熱くなり、すぐにでも怒りのままにその人物……ジョン・ドゥに詰め寄ろうと二人のいる方へと足を踏み出そうとした。
しかしその踏み出そうとしている足を鉛のように重くする一つの感情があった。
恐怖だ。
今まさにレフィア・マクスウェルの横にいるジョン・ドゥという男は自分の名誉を著しく傷つけたこの世で一番憎むべき者であり…………恐怖そのものでもあった。
ユリウス・アゾーケントの中ではこの世界には自分と自分の思い通りになる人間の二種類しか存在しなかった。
仮に自分の思い通りにならない人間がいたとしても権力でどうとでもなったし実際にそうしてきた。
だが先日魔法学校で行われた魔競技『PvP』においてユリウス・アゾーケントは生まれて初めて権力などではどうにもならない真の恐怖というものを知ることになってしまったのだ。
その時に脳裏に焼き付けられた恐怖が、自らの足を馬車の方ではなく物陰へと向かわせる。
屈辱だった。何故誰よりも高貴な生まれである自分がこんな薄暗いところでコソコソと他者の様子を確認しなければいけないのか。
だがどれだけ怒りが湧いても体の方は奴に…ジョン・ドゥには絶対に勝てないと完全降伏を示していて、そこから一歩も前へ進む事が出来なかった。
ただ静かに、暗がりの中から彼が居なくなるのを待つしか無かった。
ギルドにて
「命を救ってもらった恩を返すためには少しでも報酬の良い依頼を……………ん?この似顔絵は……」
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